082:決別の転移魔法陣
俺が不用意に飛び込んだ礼拝堂の裏にある部屋は、上下の二階層構造になっていた。
その部屋の一段高い位置にある広さ10畳ほどの空間に、ウルガスが笑いながら立っている。
そこから7段ほどの石の階段を隔てた下の広間は、15畳ほどの石畳だった。
そこに展開されている魔方陣の中で、イオ爺たちが床に伏せて動けずに苦しんでいる。
その魔方陣の中に勢いを殺しきれずに飛び込んでしまった俺の体にも、ググッと一気に凄まじい重圧がのし掛かってきた。
これは重力結界!?
恐らくこれは、俺が港湾倉庫でパワードスーツ相手に使った物と同じタイプの、地属性範囲魔法だ!
そう考えながらも、俺は全身を押しつぶそうとする重圧に為す術も無く、自らの重量に耐えきれずその場に倒れ伏して動けなくなってしまった。
「ウルガス! お前程度の者が何故、これほどの魔力をこちらの世界で使えるのだ?」
イオ爺が苦痛に耐えながらも絞り出すように問い掛けると、ウルガスは嬉しそうに懐から魔石を取り出して、それを自慢げに見せながらイオ爺の問いに応えた。
「ふはは、これだよ!」
それは俺がイオ爺に言われて魔力を込めた魔石とほぼ同じような大きさで、卵大の宝石のような石だったが、色がちょっとイオ爺の物とは違っていた。
「ゲームに取り込まれたやつらは魔力が強くてなあ、この程度の魔石に魔力を溜めるのに5人掛かりで5日もかからなかったぞ」
そう言って自慢げに語るウルガスの言葉を聞くと、苦しさを堪えながらもウルガスを嘲笑うようにイオ爺が応えて言った。
「どうりで奴らの魔力も大したことが無いはずよ、和也はそれを数秒で破裂させる程じゃったがのぉ」
それを聞いて一気に顔を真っ赤にして俺を見たウルガスが、吐き捨てるようにイオ爺に向かって嬉しそうに告げた。
「なんとでもほざけ、俺の邪魔をしたお前達はここで殺してやるわ! だがレイナ、お前だけは助けてやろう。 そして俺と元の世界へ戻るのだ」
しかしレイ婆の態度は、先ほどの神殿に居た時から少しもブレていなかった。
「誰があなたなどに助けてもらうものですか!、死ぬのはあなたです」
「なあ(ねぇ)和也!」
床に伏したイオ爺たちがほぼ同時にそう言うのと同時に、俺が何事も無かったかのように立ち上がる。
イオ爺とレイ婆も、続いて何事も無かったように立ち上がり、続いて修蔵爺ちゃんとメルもウルガスを睨みつけながら立ち上がった
その様子を見て、信じられない物を見たように驚愕の表情を見せるウルガス。
さきほどから赤くなったり青くなったり忙しい奴だ。
「どういうことだっ!、俺の魔法はまだ切れていないはず」
「重力結界なら俺も使えるんだよ」
重力結界を反転させて相殺させる反重力結界を、俺は発動させていた。
俺がそう言うと、俺の打ち消そうとする反重力魔法の力に耐えきれなかったのか、パリーン!と良く響く音を立ててウルガスの掌の上からその魔石が弾けて周囲に飛び散った。
「くそっ、ようやく元の世界に戻れる処まで来たというのに邪魔されてたまるかっ」
ウルガスは祭壇の上に置大事そうに飾られている、駝鳥の卵程はあろうかいう大きさの魔晶石に向かって飛びつこうとする。
「烈風斬撃!」
俺が魔法を発動させるより一瞬速く、既に立ち上がる前から詠唱を終えていたイオ爺の放った風魔法で、ウルガスの左手の肘から先が血しぶきを上げて千切れ飛ぶ。
「ぐうぅイオナめ、またしても……」
苦痛に呻きながらもウルガスはその魔石を右の手で抱き込むように掴む。
そして左手から吹き出す血にも構わず、詠唱を強引に始めだす。
「和也やつを逃がすな!、わしの魔力はもう切れそうじゃ」
そう言うイオ爺の声にタイミングを合わせたかのように、160cm程はありそうな長い棒を持った白装束の信者達が入り口から次々と入って来た。
それを見て、レイ婆がイオ爺の前に無言で進み出たのが見えた。
乱入してきた白装束の一人は、あのミーティングルームに居た幹部に間違い無かった。
「瓜生様、なんという事に」
「ええい、こいつらを捕らえるのだ」
「瓜生様に治療を! 早くしろ!」
指揮官らしい幹部の男が、そう声を張り上げる。
酷く傷ついたウルガスを見て、幹部と信者たちは俺たちに激しい敵意を向けてきた。
「構わん、先にこいつらを殺してしまえ!」
止血をされているウルガスからの指令を聞くと、信者たちは一気に俺たちを取り囲む。
そして槍のように先端が尖った棒を、俺たちに向けて突き出した。
俺は両手で圧縮した空気の塊を高速で発射させて、白装束の男たちを後方へと吹っ飛ばす。
そのまま周囲の仲間を巻き込んで、後方の壁や階段に激突する信者達。
すかさず次の目標へと両手を向けて高圧気弾を放とうとしたその直前、大きな衝撃が俺の腹に突き刺さり、俺は後ろに吹っ飛ばされた。
それと同時に耳に響いて来たのは、石造りの部屋に響き渡る大きなパン!という銃声だった。
「和也!」
「和也!!」
「和也!」
「和也兄ちゃん!」
俺は壁に激突して少し痺れる頭を振りながら立ち上がる。
物理防御魔方陣とエナジーコーティングによって、俺の腹を狙った銃弾は防ぐ事が出来たが、さすがに小さな銃弾とは言え、高速で発射された銃弾の運動エネルギーは凄まじい。
小さな銃口から開放された膨大な運動エネルギーは、防御結界に激突して肉体を損傷する事が出来なかった分だけ、丸ごと俺を後方に吹っ飛ばす力として解放されたのだろう。
俺は立ち上がりながらも爺ちゃん達に急いで防御結界を張った。
4人にそれを張る僅かな間に、ウルガスは魔法の詠唱を終えていた。
ウルガスの前に大きな魔法陣が展開されて、光を放ち出している。
拳銃を右手に構え、そして魔石をその右肘の内側に器用に抱え込んだまま、ウルガスは俺に銃口を向けていた。
「この世界の魔法、いや科学技術は元の世界へ行けば魔法のようなものよ。 この世界の知識と技術をもって、俺は世界の王となってやるのだ!」
憎々しげにそう言ってウルガスは祭壇の陰から、大型の人が一人くらいは楽に入りそうな金属製のスーツケースを引きずり出して来た。
そのケースの中には、恐らくウルガスが異世界へと持ち込もうとしている様々な技術情報や銃などを含むサンプルが入っているのだろう。
すでに発動していたウルガスの魔法は、床に展開された魔方陣が全体を輝かせ、中央部には既に光の柱が立ち上がっていた。
元の世界へとウルガスは言った。
すると、これは転移魔法だと言う事なのか?
たった今、転移石と判明したそれを抱えたまま、ウルガスは手にした銃を腹のベルトに挿し込み、そこから魔方陣の中央部へと歩み出した。
僅かに聞こえる小さな声に横目でイオ爺を見ると、魔法の詠唱を始めていた。
そうだ、あいつをこのまま行かせるものか!。
「おまえらは、ここで死ぬが良いわ」
そう言うとウルガスは、懐から小さなリモコンのコントローラーのような物を取りだして俺たちに見せつけるように高く掲げた。
そして、躊躇無くそのスイッチを押そうとした。
「ぐはっ!」
ウルガスがリモコンを取り落とす。
一本だけ残ったウルガスの左手に、メルの放った矢が突き刺さっている。
その苦痛に呻く動作で、右脇に抱えていた転移石が、床にゴトリと音を立てて落ちた。
俺の放った高圧気弾で、その魔石が吹っ飛ぶ。
慌てて屈み、リモコンに手を伸ばすウルガスがスイッチを押して、勝ったと言う表情を浮かべる。
「行かせるか!」
俺とイオ爺が同時に叫び、修蔵爺ちゃんが山刀を光の中に居るウルガスに投げつける。
それがウルガスの胸に突き刺さるのとほぼ同時に、俺のファイアーーボルトとイオ爺のサンダーボルトがウルガスを襲う。
レイ婆の投げたクレイモアが、スーツケースを吹っ飛ばした。
スーツケースを掴もうとしていたウルガスの体を、真っ赤な炎と電撃の青白いスパークが包み込むのが見える。
「ぐわああぁぁぁ…」
その絶叫を聞いた次の瞬間、ウルガスの姿はその場から掻き消えていた。
後に残っていたのは、レイ婆の投げたクレイモアが突き刺さって壁際まで吹っ飛び、グチャグチャになった大きなスーツケースだけだった。
ドン!と床下から突き上げられるように、突如大きく足下が揺れる。
同時に、不気味に鳴動する室内。
突如始まった激しく大きな振動に耐えられず、周囲の白い壁に大きな亀裂が斜めにいくつも走る。
天井からも壊れた石材の一部が、ボロボロと落ちてきた。
「早く脱出せんと不味いのぉ、和也!脱出じゃ転移魔方陣を早く用意せい」
状況が一刻の猶予も無い程に不味い事は、俺にだって判っている。
でも紫織が……
石になった紫織の事が頭を過ぎるが、ガラガラと崩れ落ち始める天井がそんな想いを吹き飛ばす。
〈和兄ぃ、生きてる?〉
〈これ以上はヤバイから僕たちは、脱出するよ〉
〈廃人くん、また会おうね〉
〈天井が崩れるわ、早くしないと!〉
〈みんな、早く乗って! 〉
エクソーダスのみんなからもチャットで脱出する様子が伝えられてきた。
もう本当に時間が無いのは間違いが無い、これ以上躊躇するとイオ爺たちも巻き込んでしまう。
「早くせい和也! わしはもう魔力切れじゃ」
そう言うイオ爺の急かす声に、俺は苦渋の想いで転移魔法陣を展開させた。
レイ婆が崩れ落ちてくる天井の石材を、回収してきたクレイモアで次々と弾き飛ばしている。
もう、これ以上は無理か……
展開された転移魔法陣に急いで飛び込む爺ちゃん達。
追いかけるように部屋の四方から猛烈な爆炎と煙が吹き出して来た。
床の亀裂も大きな揺れも、もう立っていられない程になっている。
俺は紫織のいた礼拝堂がある壁の向こう辺りを振り返り、様々な想いを振り切るようにワープポータルに飛び乗った。
翌日、俺たちは自宅で朝食を食べながらテレビのニュースを見ていた。
「地下の燃料庫から燃え広がった火災は翌朝まで燃え続け、白亜の大神殿は崩れ落ちて盛時の面影は見られません」
テレビのニュース番組では、崩壊して未だ煙の収まらないダイクーア教団本部の火災の様子を伝えていた。
決着を着けに行く前は、メテオストームでも落として跡形も無くしてやろうかと思って居た俺だったが、実際に出来たことは少ない。
石になったまま瓦礫に埋もれてしまった紫織の事を考えると、俺の心が締め付けられるように痛む。
最後に紫織が言いかけた言葉の先が、俺は気になって仕方なかった。
神殿の崩壊に巻き込まれて、石にされた紫織と義則は跡形無く砕け散っているだろう……
自らの手で大好きな紫織を殺してしまったという実感が、ひしひしと胸を締め付ける。
イオ爺もレイ婆も自宅へ帰ってきてからは、あの騒動の事は何も言わなかった。
エクソーダスのみんなからは、無事を知らせる連絡があった。
あの戦いの事を何も知らない千絵婆ちゃんは、いつものようにメルと朝食の片付けをしてくれている。
「向こうは、テレビもネットも無いし、不自由な世界じゃぞ」
イオ爺が気持ちを切り替えられないヘタレな俺に向かって、念を押すように言った。
「それでも、こんな世界で魔力を狙われて生きるよりましだろ」
俺は、不機嫌に言い返す。
そう、こんなに俺や俺の家族が生きることを拒絶した世界なんかより、魔法が普通に存在する異世界の方が、俺にとっては生きやすい世界だと思いたかった。
「俺強ぇ~できるしのぉ」
それを聞いたイオ爺は、俺を茶化すようにからかってきた。
「ちょっ、そんなつもりは……」
俺はその突っ込みを否定するが、SFやファンタジーの世界のようなイオ爺たちの居た世界は、剣と魔法と魔物が実在する世界だ。
俺は向こうで落ち着いたら、冒険者になって世界を旅して廻ってみようと思って居る。
そして、俺を受け入れてくれる居場所を見つけるのだ。
「向こうに行ったら、お前の力を隠して生きなければ同じ結果じゃぞ」
「むしろ、こちらのような法律に守られていないだけに、あなたの力を求めて理不尽な事が起きるわよ」
レイ婆もイオ爺の意見に同意して俺に注意を促す。
それでも、まだ魔法が現実として認められている世界なら、こっちの世界より素の自分が世の中から拒絶される事は無いだろうと、そう思って居るのは事実だ。
俺は、素直に頷いた。
「うん、大きな力は極力隠すつもりだよ、もう追いかけ回されるのは沢山だしな。 それに、メルを国に連れていかないとな、拾った責任もあるし」
そう言うと、後ろから誰かに肩を摘ままれた。
「ちょっとー拾うとか、わたしは猫じゃないですよー」
メルが頬を膨らませて、いつものように口を尖らせて拗ねている。
こんな日常が続いて欲しいと、俺は本気で願った。
「じゃあ、明日から本格的に準備を始めるかのぉ」
イオ爺がそう言って話を締めると、俺たちは本格的な異世界転移への買い出しへと出掛ける為に立ち上がった。




