074:張り詰めた糸が切れる時
「クソったれが、死んだら終わりなんだよ!」
鮫島は、乱暴な言葉とは裏腹に丁寧に西房の体をコックピットの固定装置から外すと、両手で持ち上げて地面に横たえた。
鮫島は西房のようなオカマ野郎は大嫌いなはずだったが、この西房だけは鮫島の乱暴な態度にもお構いなしで絡んで来る変な奴だった。
西房は鮫島を妙に気に入っていたようだが、鮫島は西房が苦手だった。
何故か嫌いと言うのでは無く、苦手だったのだ。
こいつといると、いつもの調子が出ない。
強く出ても威圧しても、他の奴らのように怯えるのでもなく避けるのでもなく、気にした様子も無くオカマ言葉で話しかけてくる。
自分の事を「鮫ちゃん」と呼ばせていたのも、この西房だけである。
他の奴が調子に乗って、そう呼んだときは半殺しにした事が何度かあるのだが、何故かこの男(女)だけは調子を狂わされて怒れなかった。
自分の事を「鮫ちゃん」と呼んで良いのは、この世にただ一人だけ、鮫島を庇って死んだ由紀だけのはずであったのだが、何度警告してもそう呼んでくる西房にだけは、いつの間にかそれを許していた。
横たわる西房の亡骸の横で、1時間程そうしていただろうか……
「バシュッ」
そんな音がして、鮫島の胸に痛みが走る。
思わず防弾ボディアーマー越しに自分の胸を押さえるが、そこから細長く先端が尖った金属の棒が突き出していた。
「ぐふっ!」
口の中に食道から血が溢れ出してくる。
つい感傷に浸って、周囲の警戒を忘れていたようだ。
「ら"しくもね"ぇ…」
そう濁った声で自らに毒づくと、口から血を溢れさせながらも横倒しになったアームドスーツの機体の胸部装甲板の影に走り込み腰の銃を取り出して胸の前に抱え込むようにして周囲を窺う。
それを追うように周囲から放たれた矢が、アームドスーツの機体に当たって跳ねた。
「ちっ、もう囲まれてるか」
あたかも鮫島は、胎児のような姿勢で横倒しになったアームドスーツの巨体に抱きかかえられているかのような、そんな位置に居た。
恐らくボウガンだと思われる矢を使ってきたと言う事は、相手も隠密に事を運びたいのだろう。
防弾性能の高いボディアーマーも刃物で刺す攻撃には弱い。
チタンメッシュ製の薄い防刃ジャケットも下着代わりに着用しているが、切るのではなく強力な軍用ボウガンによるのであろう刺突攻撃には用を為さなかったようだ。
鮫島はハンドガンを一旦地面に置いて腰に下げていた大型のナイフを取り出すと、胸から突き出ている金属製の矢を手で掴み、ぐるりとその矢の径に沿って鋭いエッジを一周させて切り込みを入れ、一気に力を込めてそれを折った。
例え金属と言えども周囲に切れ込みを入れ、鮫島の膂力をもってすれば実に脆く先端が折れる。
背中に手を回して矢の後端を掴んで一気に引き抜くと、メリメリと矢を包み込んでいた筋肉の破片ごと抜けた。
「ぶほっ」
一気に出血が増えて、再び口から吐血する鮫島。
当然である、刺さっている物を取り除けば流れ出る血液を押しとどめるものは無いのだから、一気に傷口からも出血が増える。
しかし、鮫島は西房に腕と膝の治療で処方された、治療用ナノマシン群が自らの細胞再生能力を一時的に底上げしている事を知っていた。
程なく出血は止まるはずと、そう読んでいた。
しかし、まだそれには時間が足りない……
そして、既に出血が多過ぎて、鮫島の体力を持ってしても意識は僅かに朦朧として来ていた。
鮫島が時間稼ぎを考えていると、聞き覚えのある声が聞こえた。
「どうしたね、鮫島君。 流石の君ももう動けないかね」
それは嬉しそうに鮫島に話しかける、勝ち誇った鏑木の声だった。
「鏑木ぃぃぃ、てめえ どう言うつもりだ」
怒りに意識を賦活され叫び返す鮫島、その目は先程迄の弱り切ったものでは無く、血走って怒りに溢れていた。
鮫島は怒りに身震わせながらも、自らの傷の回復時間を出来るだけ稼ぐことを考えていた。
治療用のナノマシン群を投与されていると言っても、それはスーパーマンになれる訳では無い。
常人に比べれば遙かに再生能力は早いが、とは言ってもそれは高速度再生を見ているように素早く再生する訳でもないのだ。
相手は、あの小者の鏑木だ。
小物ほど勝つために必要な、今為すべき事を為さずに優位な自分をひけらかそうとする。
そう鮫島は考えた。
鏑木は隠密に事を進めたいと思っているだろうが、鮫島はそんな事など知ったことでは無い。
手榴弾でも放って派手に音を立てれば、小心者の鏑木の事だから慌てて馬脚を現す事は容易に想像できると鮫島は考えてニヤリと笑う。
「あいつは事務屋で机に踏ん反り返っていりゃあ良いのに、こんな場所まで出張って来ているたぁ身の程知らずって奴だな」
恐らく、何か出て来ざるを得ない事情が生じたのかもしれない、そう考えて鮫島は鏑木を挑発してみた。
「良いのかよ鏑木さんよ、犬塚の許可は得てるんだろうな」
そう、間違い無く許可は得ていないはずである、そう考えた鮫島だったが帰ってきた答えは意外なものだった。
「犬塚局長の許可は当然取ってあるさ、むしろ直々に私が行くよぅに言われたくらいだよ」
鏑木は犬塚に懐いている鮫島の精神的ダメージを思ってか、実に嬉しそうにそれを告げた。
鮫島は相手に動揺を与えるはずの言葉に対して返ってきた予想外の返事に、逆に動揺する事となった。
それに追い打ちを掛けるように、鏑木が言葉を続ける。
「そうそう、伝言を頼まれてね。 今までご苦労様と言ってくれ、 だそうだよ鮫島くん」
「犬塚の野郎……」
歯軋りをして悔しがる鮫島に、いつもの鉄面皮の姿は見られない。
ただ一人、すべての人間関係を拒絶してきた鮫島が、あの由紀を除けばこの世で信じても良いかなと思った男が犬塚であった。
騙す側であったはずの自分が騙されていた。 常に裏切る側で、裏切られたと悔しがる奴を腹の底から馬鹿にしていた自分が裏切られる側に居た、その一番認めたくない事実が鮫島をらしくもなく逆上させた。
いや、認めたくない一心で、裏切られた自分から目を逸らす為に意識を怒りに無理矢理シフトさせたのだ。
「クソがあぁぁぁぁぁ!」
そう叫ぶと、立ち上がり鏑木に向かって手榴弾を投擲する。
その体にドスドスドスッと3本の矢が突き刺さった。
「ぐふはっ!」
再び口内から溢れ出す真っ赤な血、刹那!激しい爆発音がして鏑木の横で軍用ボウガンを構えている男が二人吹っ飛んだ。
鏑木は、間近で発生した爆発に腰を抜かして座り込んでいる。
万事休す、である。
すでに逃げ道は無い……
焼け付くような痛みに耐えながら、慌ててアームドスーツの胸部装甲板の後ろに隠れる血まみれの鮫島は、ようやくそれに気付いた。
自分が隠れている物が、損傷の無いアームドスーツである事に。
「ふざけやがって、狸じじいめ。 ぶっ殺してやる」
自分専用では無いために窮屈なコックピットに血を吐きながらも横向きで無理矢理潜り込むと、鮫島は固定具をロックするのも惜しんで胸部装甲板を閉じるスイッチを入れた。
ギュイィィィィム、プシュゥゥゥゥッ… カシューンッ、カシューンッ…
稼働中に操縦者である西房の死亡によって動作を止めていただけの、胸部装甲板に小さな紅いキスマーク付けたアームドスーツは起動時のセルフチェックも不要な為に重い金属がきしむような動作音で難なく立ち上がった。
鮫島の装着したヘッドマウントディスプレイには、哀れな程に慌てて逃げ惑う鏑木の姿が映っていた。
「形勢逆転だな鏑木さんよ、慌てて小便ちびるんじゃねーぞ」
コクピットの中で毒づく鮫島、矢が貫通したままの体からはアームドスーツを動かす度に血が噴き出している。
「こりゃあ、流石の俺もヤバイな」
既に、コックピットの下は血の海の様相を呈し始めていた。
逃げ回る鏑木は、満身創痍の鮫島が操っているアームドスーツでは追い切れない。
操縦者の体の動きに追従して動かすマスタースレーブ方式の操縦法が、今や満足に動けなくなりかけている鮫島にとっては徒となっているのだった。
苦し紛れに掌から放ったテーザー銃の金属片二つが、極細のワイヤーの糸を引いて瞬時に鏑木に迫る。
しかし、それは目測を誤って尻餅をついた鏑木の横の地面に突き刺さった。
一刻でも早く立ち上がろうとして醜く足掻く鏑木だったが、焦れば焦るほど足が地面を掴めずに上手く立ち上がる事ができない。
ゆっくりと振らつきながらも鏑木に近付く鮫島のアームドスーツ、こいつだけは叩き潰さなければ気持ちが収まらない、そんな強い執念が出血多量で既に意識の朦朧としている鮫島を突き動かしていた。
「ひゃああぁぁぁぁぁぁ……」
間近に迫るアームドスーツの巨体に、鏑木が堪らずに勢いよく小便を漏らした。
見る見るうちに暗い色に染まって行くのは、ネズミ色の夏用スーツを着た鏑木の股間である。
鮫島の搭乗したアームドスーツが鏑木の前で止まり、その機械仕掛けの大きな右手を握って振り上げた。
最早これまでかと鏑木が観念したその時、アームドスーツが膝から地面に崩れ落ちて正座姿勢のまま動かなくなった。
振り上げた右手も、ゆっくりと垂れ下がって行く……
「ふぇっ…?」
その場にへたりこんだまま、頭を庇っていた両手を降ろして目の前で停止しているアームドスーツを見つめ、呆然として何が起きたのか把握できていない様子の鏑木であった。
その顔は流した涙と鼻水で醜く汚れ、それが月明かりに汚く反射して見える。
鏑木は、漸く状況を把握して笑い出す。
「ひゃはははははは、悔しいねぇ鮫島くん。 そうか化け物じみた君もついに力尽きたかね、さぞや悔しかろうなあ、あひゃひゃひゃひゃ」
汚れた顔を袖で拭い、立ち上がる鏑木。
アームドスーツに恐る恐る近寄ると、それでも動かないことを確認してから胸部装甲板の横にあるヒンジを必死で捻り、操作パネルを開くと赤いレバーを引いた。
プシュウゥゥゥッ!
エアの抜ける音と共に、油圧ダンパーで勢いを殺された胸部装甲板がゆっくりと外に向かって開き、中の様子を鏑木たちの前にさらけ出した。
血だらけの鮫島は、矢が刺さったままの体でぐったりと力無く項垂れている。
その口元からは、まだポタポタと赤い血が滴り落ちていた。
鏑木が怯えながらコックピットの中を覗き込めば、鮫島の足下には血の池ができていた。
部下から矢を借りて鮫島の体を突いてみても反応は無い。
漸く鮫島の死を確信した鏑木は鮫島の髪の毛を掴んで、その血だらけの顔を持ち上げて唾を吐きかけた。
「散々この私に逆らいおって、様ぁ無いなぁ鮫島くんよ。 手足を損傷したときから君はもう用無しの穀潰しだったんだよ」
鏑木は鮫島の髪の毛を掴んだまま、その頭を激しく揺らす。
その瞬間、閉じていた鮫島の目がカッと見開かれて鏑木を睨みつけ、その垂れ下がっていた右手が鏑木の顔をガツリと捕まえると、同じ動きでアームドスーツの右腕が中空を掴む動作をして真似る。
「ひいぃああぁぁぁぁぁぁぁ!」
油断していた処をいきなり不意打ちを食らって、堪らず絶叫を上げる鏑木。
鮫島は生きていたのだ。
「やっと捕まえたぜ、鏑木さんよ」
そう言う鮫島の頬を、鏑木の吐きつけた唾が鮫島の血と混じり合いながらゆっくりと下に流れて行く。
「ど、どうして右手が使えるんだ……」
自らの顔をガッツリを捕まえている鮫島の大きな手を引き剥がそうと、必死で抵抗する鏑木だったが鮫島の右の手はビクともしない。
その固い感触に、鏑木は気付く。
「きさま、これは西房くんが開発中のサイボーグ義手かっ … くそっ、離せ!」
そう、荒川沿いの巨大物流倉庫の地下で鮫島が西房から受けていた治療は、このサイボーグ義手の調整だったのだ。
生身の肉体との整合と融合を促すために投与されたのが、治療用のナノマシン群だったという訳であった。
「死ねよ、クソが!」
暴れる鏑木をものともせず、片手で顔面を掴んだまま地面から引き上げた鮫島を撃つこともできない鏑木の部下達。
下手に撃てば、鏑木に当たってしまうかもしれない程に鏑木と鮫島の位置は近い。
鏑木の部下達が迷っている間に、グシャリと鏑木の頭が熟れたトマトのように潰れて中身が弾けた。
「グゴボボボ…」
力の抜けた鏑木の肺から漏れ出す空気が、真っ赤な泡と血しぶきとなってその潰れた顔の辺りから吹き出して、鏑木の体はビクンと小さく跳ねるとそれきり動かなくなった。
「様あねぇぜ、鏑木さんよ」
そう言うと鮫島は鏑木だった物を放り出して、ゆっくりと固定具を外すと矢が突き刺さったままの体でアームドスーツのコックピットから外へ抜け出してきた。
その凄惨な姿に、鏑木の部下たちも矢を放つかどうか戸惑っているようだった。
どうみても、鮫島の命の灯火は長くはなさそうに見えたのだ。
鏑木の部下達はふらふらと動く鮫島に狙いを付けたまま、その巨躯の凄惨さに圧倒されたのか目で跡を追っている。
突然、指揮官らしき男が我に返ったかのように射撃命令を下すが、矢は放たれず後ろからゴトリ、ゴトリと次々に重いものが地面に落ちる鈍い異音が聞こえる。
何が起きたのかと、振り返る指揮官の首もボトりと地面に落ちて、その鋭利な切り口から真っ赤な血が噴水のように吹き出した。
鮫島は、一本の檜の太い幹に寄りかかるとポケットから紙巻きタバコを取り出して口に咥える。
ライターを探しているのか、ポケットを弄っているが見つからないようだ。
既に、その目も良く見えておらず、手の感覚も満足に無いのだろう。
「おい、誰かライターを持ってねぇか?」
鮫島が、誰も居ない空間に問いかけるが、誰も答える者は居ない。
「ちっ、最後のタバコくらい吸わせてくれても良いだろう、なあ由紀」
「長い事待たせちまったなぁ、由紀よぉ ……」
そう呟く鮫島の、霞む目に最後に映ったのは金色のロングヘアと眩しいくらいに白い肌色であった。
次の瞬間、鮫島の首もボトりと椿の花が落ちるように唐突に地面に落ちて転がった。
「由紀 …… 」
地面に落ちた鮫島の口元が、そう呟くように動いたかに見えた。




