071:十字傷の男
9月ともなれば暦の上では秋なのだが、8月が終わったばかりの日差しはまだまだ強い。
俺が日課になっているダイクーア教団本部の監視を終えて家に帰る頃には、いつしか日も暮れ始めていた。
今日も教祖に関する収穫は無かった。
こんな日が続くようであれば、誰か関係者を脅かしてでも聞き出すしか無いだろう。
オレンジ色の夕日を浴びた玄関前の飛び石の上で、俺を待っていたバルを抱き上げる。
いつものようにバルの小さな上半身だけを左の肩に乗せ、左手でお尻が落ちないように下から支えてやった。
すると、いつものようにバルが俺の耳の後ろ辺りに顔を擦りつけてきた。
玄関の引き戸を開け、農家風な広い石畳の土間を抜けて靴を脱ぐと俺はいつものように家の中へ上がり込む。
鼻をくすぐるのは赤味噌の濃厚な香りと出汁の良い匂いだ。
まだまだ外は暑いと言うのに、エアコンを効かせた室内では囲炉裏の上で大きな鍋がぐつぐつと煮込まれていた。
な、夏に鍋だと……
「和也兄さん おかえりなさい、今日はお肉がいっぱいよ」
台所から振り向いて真っ先に俺を迎えてくれたのは、短い期間ですっかり日本に馴染んでしまったメルだった。
現代日本の食事がすっかり気に入ってしまったメルは、毎日レイ婆と千絵婆に料理を仕込まれて最近ではおかずを1品とか2品任されるようになる程に上達しているようだ。
異世界では料理をした事が無かったというメルだったが、包丁などの刃物に対する恐怖心が無かったようで、あっという間に器用に包丁を扱うようになってしまった。
そうして一ヶ月にも満たない間に、異世界には無かったと言う出汁や多様な調味料類を扱えるようになっていたのである。
「ただいま~」とメルの声に応えて、ひょいと木の蓋を開けてみれば大きな肉塊がゴボウや大根そして野菜や山菜と一緒に鍋の中で存在を主張してグツグツと煮込まれている。
「おっと、夏に豚汁って珍しいね」
そう訪ねたら、真っ先に「豚じゃない」と否定された。
「今日は、新鮮な肉が沢山取れたでな」
「そうそう、大猟でしたね」
イオ爺とレイ婆は、二人で顔を合わせてお茶を飲んで笑っている。
「村中にお裾分けしたけど、分けきれなくて冷凍庫が埋まっちゃったな」
そう言う修蔵爺ちゃんは、生姜焼きだろうか良い匂いのする焼き肉で一杯始めているようで、とてもご機嫌だ。
千絵婆ちゃんと台所に戻ったメルは、トントントンとリズムに乗った心地よい包丁の音を響かせて追加の料理を作っているようだ。
なんだか、この肉について俺の知らない事があるような含みのある言葉だったけど、判らないからとりあえず流すことにした。
俺は「ふ~ん..」と曖昧に応えると、自分の定位置に腰を下ろして食事の支度が終わるのを待つことにした。
肩に乗ってゴロゴロ喉を鳴らしているバルの背中を撫でながら、俺はテレビのリモコンを惰性のように操作して次々チャンネルを変えていたのだが、あるチャンネルで気になる特集をやっているのを見つけた。
丁度、BS(衛星放送)のチャンネルで、各宗教団体の夏祭りを特集した番組をやっていたのだ。
それは星雲祭りとか火伏祭りとか名称は様々だが、夏の季節に大々的に人を集めて行われる新旧取り混ぜた大きな宗教団体のお祭りの風景だった。
その時にテレビの画面に映っていたのはダイクーア教団の夜祭りの光景だった。
それは多国籍な寄せ集め臭のする映像だった。
何処の様式なのか見当も付かないが、豪奢な宮殿のような教団本部がある建物の前に続く幅広く長い階段と、その長大な参道を埋め尽くすように人で溢れている夜祭りの中心に居るのが、俺の最後の標的であるダイクーア教団の教祖、瓜生 雅守だった。
その額に刻まれた大きな十字傷こそが、教祖が聖痕と称する神に愛されたと言う信仰の証らしいが、ただの刃傷沙汰のなれの果てにしか俺には見えない。
その十字傷の図案は教団の紋章にも使われているほどに、教団の象徴とも言えるもののようだ。
じっと画面を見つめている俺に気付いて、レイ婆と仲良く話をしていたイオ爺が画面に目をやり、その目を見開いた。
「此奴、ウルガスではないか!」
「まあ、生きていたんですね ……」
イオ爺の声に画面に目を遣ったレイ婆も、それだけ言うと絶句した。
俺の肩に顎を乗せて喉をゴロゴロ言わせていたバルも、何事かと言うように振り向いてテレビの画面を見たあと、肩から下りると胡座をかいている俺の足の上で丸くなってしまった。
修蔵爺ちゃんも俺たちの様子に気付いたのか、酒を飲む手を止めてテレビの画面に視線を向けた。
「ウルガスって、こいつと知り合いなの?」
何処かで聞いたことがある名前のような気がした。
そう訪ねる俺にイオ爺とレイ婆が語ってくれたのは、異世界からこの世界に二人が来る事になった時の話だった。
ウルガスとは、駆け落ちをして隠れて暮らしていた爺ちゃん達を追って来たダイトクア教国の第三王子で、レイ婆ちゃんの婚約者(レイ婆ちゃんは、ごり押しでOKなんかしていないと言っていたけど)を自称して、二人が脱出した先へ何度も何度もしつこく追ってきた男だった。
そう言えば数日前に聞いた、イオ爺たちが異世界から来たという話の中にウルガスという名前が出て来たのを、俺は思い出した。
「あ奴め、この世界に転移するする時に「雷裂斬」を喰らわせて切って捨てた筈じゃったが、生きておったか」
「転移石は私たちが持ってきたのに、この世界にまでどうやって来られたのかしら..」
イオ爺が言っている「雷裂斬」ってのは、高電圧のショックで肉が内から裂けるように弾けてしまうイオ爺の世界の雷属性魔法の事らしい。
「あの額の十字傷がその時の傷なんじゃないの?、ほら額だけじゃなくて胸元にも大きな傷みたいのが見えるよ」
俺がそう指摘すると、白い麻の僧衣の胸元から喉に向かって大きな傷があった。
イオ爺とレイ婆が追い詰められて転移する直前に放ったいくつかの雷撃でウルガスの頭と体から激しく血しぶきが噴き上がるのを確かに見たとイオ爺は言っていた。
おそらくウルガスが生きていると言う事は、魔道具か何かでイオ爺の雷撃のダメージを軽減して生き延びたのだろうと言うのが二人の推測だった。
空間転移が術者本人と本人が触れている物を瞬時に転移させるのと比べれば、転移魔法陣は複数の対象者を転移させる事を目的としている為に、一定の効果時間が存在する。
同様に転移石による魔法陣にも、恐らく一定の効果時間というものが存在するのかもしれない。
それはメルが発動させた転移魔法陣に、メルを追って来た5人の皮鎧の男達が乗って一緒に転移して来た事でも推測は出来る。
このリアル(現代世界)にウルガスが居ると言う事は、二人の使った転移魔方陣の効果時間が終わる前に彼も転移魔法陣に飛び乗ったのだろうと言うのが、転移魔方陣の持続時間を考えたイオ爺の見解だったのだ。
二人がこの世界に転移した場所が藪深い山の中だった事もあって、二人はすぐにその場を離れたそうだ。
だから、それより少し遅れて転移してきたウルガスに気付かなかったとしても有り得ない話では無いし、相応のダメージを負っていた筈のウルガスが、そのまま二人を追いかけられるとも思えない。
イオ爺程では無いが、そこそこの火属性魔法を使えたというウルガス。
ウルガスが魔法の存在しないこの世界でどの程度の術を使えたのかは不明だが、例え威力が大幅に衰えたとは言えども現代社会で僅かでも魔法の力を使えたとするならば、それを奇跡と呼び換えて神秘に惹かれる信者を引きつける事になっても不思議では無い気はするのだ。
ダイクーア教団の教祖である瓜生雅守が、イオ爺とレイ婆を付け狙っていたウルガスであったという事は、それが本当であればイオ爺たちにも大きな問題を突きつける事となってしまう。
何しろ、親父や美緒を殺すように指示していた相手が、自分たちを付け狙っていた男なのかもしれないからである。
自分たちがこの現代世界に逃げてきたからこそ、ウルガスも一緒に現代世界へと連れてくることとなったのだ。
そのウルガスがダイクーア教団を設立した結果、自分たちの孫である親父や曾孫である美緒が殺される事になった、それは二人にとっては皮肉な結果でもある。
そして何よりも二人の居たと言う異世界がイオ爺の言う通りに超未来の世界であるならば、未来である異世界で二人を追っていたウルガスと言う男を過去である現代世界に連れてきてしまった結果、そのウルガスが二人を追い詰める元となったダイクーア教団を設立したと言う事になる。
使われている紋章が同じである事とダイトクア教国という名称の相似から、恐らくダイクーア教団がダイトクア教国と繋がりがあることの可能性は高いと思う。
これは、イオナとレイナと言うニワトリが生まれる(=異世界を追われる)元となったウルガスと言う卵を産んだ(=過去に連れてきてしまった)のはイオナとレイナ自身であると言う事にならないだろうか?
自分が産まれた卵を産んだのは自分だという矛盾のループ、 これって、タイムパラドックスとかいうやつじゃないの?




