070:暗殺失敗
時間は少々巻き戻る。
和也がアームドスーツの集団に襲われていた頃、偉緒那と玲衣那にも飢えた3頭の熊が迫っていた。
恐ろしいうなり声をあげて玲衣那と偉緒那に迫る飢えた3頭の熊。
大型にならないはずの月の輪熊であったが、その3頭の体躯は2m近い大きなサイズだった。
「あらあら、いつまでも懲りないわねぇ」
何度か同じような事が過去にもあったのか、玲衣那がそんな事を呟く。
偉緒那の前に無造作に歩み出た玲衣那は、幅広の剣のように大きな鉈を右手を後ろに回して掴むと、腰に吊り下げた黒い金属製の鞘から抜き出して片手だけで軽々と持った。
偉緒那は玲衣那の後ろになる位置で、チタン製の杖を前に突き出すようにして何やら口の中で唱うように短く呟いている。
「来るわよ!」
丁度詠唱を終えた偉緒那に、玲衣那が前を向いたまま声を掛けた。
「3頭じゃな、いけるか?」
「グリードベアやベアウルフに比べたら可愛いものよ」
そう言って不敵に微笑む玲衣那だが、前を見据える目は真剣そのものだった。
「そうじゃったな」
偉緒那は軽く笑うと、先ほど唱えていた魔法力増強の詠唱効果を確認してから次の詠唱に入った。
「来たわ!」
玲衣那が短く呟く。
彼女は偉緒那から少し離れた位置で幅広の剣のような大きな鉈を両手で握り直すと、腰を落として迎え撃つ構えを取った。
玲衣那がまるで剣のように構えているそれは、その片刃の形状以外には鉈との共通点は無いも同然の異形だった。
刃渡りは約80cmもあろうか、肉厚で幅広な刀身、それは片刃の剣と呼んでも良い代物のような形状をしている。
それは刀身の鋭利さで鮮やかに切り裂く事よりも、その歪な大きさと重さで叩き切る事に特化した武器のようであり、また全体に広がる刃紋は多重鍛造法による製造法で作られたかのような、何重にも重なった棚田のような複雑な模様を描いている。
「多重雷痺撃!」
そう呟くように言葉を発する偉緒那。
その杖を振る動作と同時に、小さな電撃が最後尾の熊の右前足の肩付近に炸裂し一瞬だけ足の筋肉を痙攣させた熊が走るリズムを崩して転倒し、先行する二頭から僅かに遅れたが再び前を行く二頭を追って走り出す。
続けて真ん中を走っていた熊の、左前足の肘の辺りに小さな電撃が地味に炸裂する。
パチッ!と言う音と共に小さな閃光が見えた瞬間、先程の最後尾にいた熊と同じように筋肉の収縮運動を一瞬だけ阻害された二頭目の熊も、足を縺れさせて先頭の熊からやや遅れてしまう。
足を縺れさせて遅れた二頭目の熊も、すぐにバランスを取り戻して先頭の熊の後を追っている。
しかし、偉緒那の放つ小さな電撃攻撃を受けた二頭とも、前を走る仲間との間に間隔が開いてしまっているのだ。
だが、それだけでは飢えた熊たちの戦闘能力に影響するような大きなダメージは無いように見えた。
「あいかわらず、仕事が正確ね」
剣を、いや大型の鉈を無造作に構えたまま、玲衣那が後ろにいる偉緒那に声を掛けた。
「無駄に魔力があれば良いというものではないでな、要は使い方よ」
偉緒那が、楽しそうに答えている。
この二人、迫り来る危機に対して、まったく緊張をしていなかった。
偉緒那の返しを聞いて玲衣那はニコリと短く笑い、間近に迫る先頭の熊に向かって駆け出したのは僅かに数歩。
襲い来る猛烈な牙と鋭い爪の突進から左足を半歩外に開くようにして前足を引き、紙一重で身を躱すと手にした大型の鉈で熊の首を鮮やかに切り落として見せた。
ドサリと熊の頭が地面に落ちるより速く前に右足を踏み込み左足を少し引くと、そのまま返す刀… いや大型の鉈で次に来る熊の頭を右下から左上へと真っ二つに断ち割る。
そして、そのまま大型の鉈の動きに逆らわず玲衣那は空中で刀身を下向きに返し、体を捻るように左足を引いた。
最後尾を走っていた熊は、玲衣那の気迫とあまりの強さに怯えたのかブレーキを掛けるように前足を突っ張って速度を緩めたが、それが徒となった。
玲衣那はその隙を見逃す事無く、空中で刀身を返した鉈をそのまま落とす。
その一連の動作によって、大型の鉈は袈裟切りで熊の左肩から右前足にかけて容赦なく一刀の下に切って捨てた。
最初の一撃からそれまでに掛かった時間は僅かに1秒と少し、ドサドサドサッと重なるように地面に続けて崩れ落ちる三頭の熊。
ビュッと片手で軽々と異形の刃物を振って、僅かに付着した刀身の血を振り落とす玲衣那。
鮮やかすぎる手際に、迸る血糊は僅かであった。
離れた斜面の上から様子を伺っていた集団の姿は既に無く、熊が全滅したと同時に逃げ去っていた。
熊を運んできた檻は、そのまま放置されている。
「あいかわらず鮮やかな手並みじゃの」
そう言って賞賛する偉緒那を見て、玲衣那は謙遜する。
「いやですよ、偉緒那の電撃がピンポイントで上手いところにヒットしたからですよ」
そういって玲衣那は笑った。
「和也が魔力を込めた魔石が有るでな、まあ一撃で倒すことも出来るが、それではお前が楽しくなかろう」
そう言って玲衣那をからかう偉緒那である。
「あらやだ、試し切りにはちょっと物足りませんけどね」
「まあ、わしらも舐められたもんじゃの」
そう言って笑い合ったかと思えば、その後は当然のように倒した熊の解体に入る二人であった。
息を切らせながら転げるように斜面を走って逃げる男達。
先程、偉緒那たちを襲った奴らであったが、瞬く間に玲衣那に切り倒される熊を見て早々に退散したのだった。
こいつらには、偉緒那のやった地味な魔法の事は判っていないだろう。
ドサドサッと何か重いものが複数地面に落ちたような音が、先頭を走る男の後ろで聞こえた。
「うひゃぁ!、き、金髪の……」
後ろから悲鳴を上げる仲間の声を聞いて立ち止まった先頭の男、その背中に仲間が勢い余ったのかドンとぶつかってきた。
そのままズルりと下へ崩れ落ちそうになっている、後ろから来た仲間を受け止める先頭の男。
その仲間の体には首から上が無かった。
「ひゃああぁぁ!」
間欠泉のように定期的に切断面から吹き上げる真っ赤な血を顔に浴びて、先頭にいた男は腰を抜かして尻餅をついてしまう。
その血で赤く染まった視界に、木漏れ日を浴びて金色に光る少女の腰まである絹糸のように繊細なロングヘアーと白い肌の色が目に焼き付いたが、それから間を置かずに男の首から上がゴトリと地面に落ちた。




