006:VRゲームへのダイブ
人目の多い街中の通りに出ると自然と手を離してしまう初心な俺だったが、歩く二人の距離は今朝迄とは違って互いの肩が触れ合う程に近くなっていた。
二人がいつも通っている駅前にあるVRネットカフェに到着すると、二つ並んで空いているダイブユニットを探す。
地下鉄の事件のおかげで学校を昼過ぎに出てきたので、いつもなら空きを探すのに苦労するダイブユニットが二つどころかいくつも、その日は空いていた。
もうお馴染みとなっている店のマスターに「学校は?」と聞かれたが、事情を話すと納得してくれたので、いつもの手順でマッサージチェアを大きくしたような全身を包み込むようなシートのダイブユニットに身を沈めて、ふと隣のユニットに居る紫織を見ると彼女もこちらを見ていた。
互いに笑顔で親指を上げて合図をすると、戦闘機のコックピットを覆うキャノピーのような透明な天蓋が自動的に閉じてゆく。
ゲームへのダイブを開始する為のいつもの接続プロセスが、いつものように進んでゆく。
すぅっと眠りに吸い込まれるような感覚と共に周囲の音が消え去り、一瞬目の前がブラックアウトする。
その直後、瞬時に脳裏にカウントダウンの数字が認識されてログオン手順が順調に進んでいることが判る。
脳内視界の右上で見る見るうちに3桁のカウント数が上昇しているのは、ゲーム世界を構築するサーバーと俺の脳との間の同調率だ。
これは一般的にシンクロ率と呼ばれている。
このシンクロ率と呼ばれる数値が60%を超えた値で1分間安定すると、暗闇に数字だけが見えていた視界が徐々に明るくなりゲーム世界が俺の目で実際に見ているかのように目の前に広がり始める。
完全にゲームへのダイブが完了するとシンクロ率の数字は判らなくなり、視界に入るのは自分のキャラクターの目線で見た世界である。
ちなみに、シンクロ率が60%を超えない場合はログオンをキャンセルされてしまうが、絶えず気になることが心の隅から離れなかったりストレスが溜まりすぎていたりするような精神状態の人は、言うまでも無くゲームをやるまえに休息を取るべきだと思う。
俺がログオンした場所は、前回ログアウトしたゲーム内でセーフハウス(隠れ家)と呼ばれている有料の個室である。
小さなワンルームマンションのような造りで、MPやHPを急速に回復させるベッドや個人のアイテムBOXに入りきれなかったアイテム類などを保管しておく倉庫などが置かれている殺風景な部屋である。
尤も殺風景なのは俺の部屋だからで、部屋自体は有料の装飾用アイテムを多数使えばいくらでも飾ることが出来る。
しかし、普通の高校生の俺にとっては装飾にお金を使うくらいなら有効な強化アイテムの入手やゲームのログオン代に使う事の方が最優先事項なので、そんな余裕は無いと言いたいところだが、実は俺自身ゴテゴテと装飾すること自体にあまり興味が無かったりする。
ログオンしてすぐに紫織のキャラクターに向けてメッセージを飛ばす。
すると、視界の左下に小さな透過スクリーンがポップアップして、すぐに返事が返ってきた。
聴覚障害者用に、画面下部には会話内容が自動変換でテキスト表示されているが、たまに誤変換があるのはご愛敬である。
シオリン・カッシーニ:>そっちは何処に居るの?
メイン・マンドレーク:>いまセーフハウス、そっちはどこ?
シオリン・カッシーニ:>えっと、プロメテリアの噴水前かな…
メイン・マンドレーク:>おっけー、すぐに迎えに行くよ
シオリン・カッシーニ:>ううん、すごい露店で混雑しているから西門を出たところで待ってるね。
メイン・マンドレーク:>西門ね、すぐ行く1分待って!
ちなみに、紫織のキャラ名はシオリンである。
ベタなキャラ名だと思うのは本名の紫織を知っているからであり、少なくとも紫織に初めて出会った時はイタリア風の名前だなあと思っただけだった。
俺のキャラ名は小学校の頃からからずっと使い続けているキャラ名なので、中二病っぽいからと言って今更変える気も無いし出来る訳も無いので、もうある意味開き直るしか無いと割り切っている。
でも、其処を突っ込まれると逆ギレしちゃうかもしれない。
プロメテリアは、ゲーム内に存在する国の一つであるプロメテリア王国の首都であり、其処は初めてゲームに接続した人の出現ポイントでもある。
またゲーム世界の設定上はパンゲア大陸という大きな大陸の中央部に位置する人間族の多い国という事になっていて、実際に此処を拠点としているプレイヤーは多い。
都市の北側は急深な傾斜地に深い森が広がり、その先には山脈が人々の往来を妨げるようにそびえ立っている。
東には高さは無いが山脈の尾根が南北に連なり、西は山々の間を縫うように広い街道が延びている。
そして南側には大きな湖が広がり、湖の北側、プロメテリアの南側を東西に街道が延びている。
東側にも北側にも山を越える峠道が申し訳程度に存在するが、道は細く人の往来は少なく積雪の多い冬場に通る者はほとんど少ない(と言う設定になっている)。
広大な都市の敷地を取り囲む石造りの城壁は東西に4km南北に6km、その高さは全域で7mに及ぶ立派な造りをしている。
その内側の中央北側には更に東西1km南北2km、高さは5m程の城壁が見られる。
ここが中央に王城を置き、その周囲に貴族の屋敷が多数置かれている貴族街である。
貴族街と市街を隔てる大きな門の前には、大きな円形の池があり中央部には噴水も有ったりする。
その池から東西南北に広い道路が延びた先に東門、南門、西門が存在する。
北門は普段は締め切られており、貴族街からしか通り抜けることは出来ない。
各門へと続く大通りに面して武器屋や道具屋を始めとして、魔道具屋や食料店やアイテムショップなどの商業施設が建ち並び、噴水と貴族街に近いほど高級な店が、東南西の門に近いほど庶民向けの店が存在している。
そして人通りの多い道路沿いを埋め尽くすように個人の露天が立ち並んでいる光景は、プロメテリアという首都の賑わいを如実に実感出来るポイントでもある。
俺はログインした時点から自分のキャラクターである、メイン・マンドレークになりきる。
メイン・マンドレークの外観は細身の高身長で、それ以外は現実の無骨な俺とは程遠い女性のような容姿をした優男である。
髪の毛は黒のストレートロング、その長さは肩甲骨の下辺りまであるから後ろから見れば女性にも見えるかもしれない。
あくまで小学生の時に考えたキャラクターなので、ここは武士の情けで突っ込まないで欲しい。
正面から見て中央やや右で左右に分けられた前髪は、量の多い左側が左目にかかる程度の長さで切り揃えられ、両サイドの髪の毛は耳の後ろへと流しているため耳は外から見える状態の黒髪にはキューティクルの綺麗な天使の輪が出来ている。
ややリアル(現実世界)でのゴツゴツした彫りの深い俺よりは彫りが浅いとは言え、充分に目鼻立ちがクッキリした美形キャラである。
何故髪型がストレートロングなのかと言われたら、小学生時代の自分に聞いて欲しいとしか言えない。
それは、俺の黒歴史でもある「ぼくの考えた最強の主人公」像を、小学生の頃からずっと使い続けているからとしか言えない。
当時は男なのに風になびく長髪が格好良いと思っていた、ただそれだけで深い意味は無い。
だから重ねて言うが、俺の黒歴史を突っ込まないで欲しい。
メインは支援職にジョブチェンジするとアイテムポケットに入れっぱなしになっているアーティファクト(伝説)級のアイテムを取り出し、聖職者には似合わない真っ黒なローブや指輪・腕輪などを身に付けて愛用の神話級アイテムのマジックスタッフを手に取り、空間転移地点登録先を脳内検索する。
勿論、これらのレアなアイテムは長年やっていればそれなりに集まる物だったり、ボスのドロップ品を集めて製造職スキルで作った物だったりするので有料のアイテムは無い、というか有料アイテムなんて高校生の小遣いではそうそう買える物ではない。
ちなみに当初はシンクロ率が100%に近い程、脳内で魔法スキルの名称をイメージしただけで詠唱を省略して魔法が発動してしまうバグがあったので、ゲーム内では有料のアイテム以外の手段で魔法発動迄の時間を短縮する事が出来ないように対処されている。
そのため、イメージしてから発動までの間に発生する詠唱時間を短縮したいプレイヤーは、自身のステータス値を上げてそれを短縮するかレアアイテムのドロップ品を手に入れるか有料アイテムを購入して詠唱時間を短縮するかしか方法が無い事になっている訳なのだ。
しかし、ステータス値の調整での詠唱時間短縮は他の大切なステータス値を上げられない事にも繋がるので、有料アイテムで補う人が多いのだが、俺はVIT(体力値)やLUK(幸運)と言ったステータスを捨てて高いDEX(器用さ)値での詠唱時間短縮を選び、更に様々なアイテムも利用して、打たれ弱さと引き替えに高い魔力と短い詠唱時間に特化したステータス値にしていた。
そう、軽い中二病だった当時の俺は「当たらなければ何という事も無い!」と言いたかったのだ。
自分の空間転移先登録リストの中にプロメテリアが無かった為、多人数移動用の転移魔法陣を使う事にした。
最初に転移スキルに付随している転移先監視スキルを発動して、転移場所に邪魔な障害物が無いかを確認する。
それからプロメテリアを登録してある転移魔法陣を詠唱して目の前に大きな魔方陣を出現させると、その中心へ俺は足を踏み入れた。
転移魔法陣の持続時間は12秒、その間に魔法陣の中に入れば集団で転移することも可能だ。
同時刻、首都プロメテリアの東門に近い場所にある宿屋街の一角に展開された魔方陣が発する光の柱の中に俺は転移して来た。
転移し終わった俺は紫織が居るはずの西門の方向を向くと、まずは視認できる中央広場にある塔の上に空間転移し、そこから視認できる西門の前へと連続して空間転移をする。
空間転移スキルは大量のMPを消費する代わりに登録先以外に明確に目視できた場所にも飛べるのである。
最初に塔の上へ飛んだのは西門を直接目視するためなのだ。
俺は紫織…いやメインはシオリンの処へ行くために必死に見えるだろうが、例え他人に笑われたとしても俺は直ぐにでも飛んで行きたい気持ちなのだ。
西門の横で待つ剣士シオリンは、白銀色製の青い塗装に金で模様が描かれた防具を胸と両肩、背中や腰周りや手足の先などの要所に装着している。
その下にはミニスカートの下に青いスパッツ、大きく胸元の開いた簡素な上着を身に着けている。
そして、その華奢な体に似合わな過ぎる一際大きな両手剣を背中に背負い、俺を待っていた。