064:消えたランドクルーザー
鮫島は、当初から追跡者がいることに気付いていた。
バックミラーにチラチラと見え隠れするグレーのセダンが、新宿の本部を出てからずっと跡を追ってきている。
恐らくそれは見え見えのダミーであり、本命の追跡車両は何処か自分の死角に居るはずであった。
何台もの車両を使い回して行われるプロの追尾を逃れるのが難しい事は、鮫島が一番良く知っていた。
だが、まだそこまで本格的に人員を投入して程に行動を疑われているとは思えなかった。
「狸おやじめ!」
鮫島は鏑木の顔を思い浮かべて悪態をつく。
普段使っているセーフハウスに鮫島が居ない事を知っていると暗に漏らしてきたのは、自分への警告であることを承知している。
裏切れば何時でも殺せる、そう言っているのだ。
もしかすると、もう武器の不正持ち出しもバレているかもしれない。
そう考えれば、自分が自由に動ける時間は残り少ないようにも思える。
そして犬塚が言った言葉、あれは暗に「やって良い」と言っているのは長い付き合いで判っている。
表向き、やるなと言いながらも裏ではやらせる、それが昔から犬塚の狡猾なやり方であった。
そうした批判や泥は全部鮫島が被ってきた。
結果だけが犬塚のものだ。
好きにやらせてくれるならば、それに不満は無い。
犬塚はいつだって、最後に後始末だけは拭いてくれていたのだから……
サービスエリアに入ろうと車線変更をした赤い軽自動車を前方に見つけると、鮫島はフォード・エクスプローラーをフル加速させてその手前に割り込んだ。
後ろから追尾してきたグレーのセダンは、赤い軽自動車に進路を妨げられて着いて来られない。
そのままサービスエリアの中を突っ切って再び走行車線に戻ると、追尾してきた車両はバックミラーに見えなくなっていた。
その後も車線変更を繰り返し、大型トラックを障害物として利用して追跡を回避した鮫島は、再び一般道を南下して都内へと戻った。
24時間営業の立体駐車場へ車を停めると、その足で別のセーフハウスへと歩いて向かう。
当然、防犯(監視)カメラの無い道を選んでいる。
小高い丘の上にある公園から、セーフハウスである安っぽいアパートの周囲の道路や路地の様子を伺う。
1時間ほどそのまま様子を伺って、薄暗くなったのを見計らってそのアパートへ向かった。
仕掛けたおいた罠に異常が無い事を確認して、こっそりと室内に入る。
当然のように灯りは点けない。
小型のヘッドアップディスプレイを押し入れから取り出して装着し、赤外線ライトを点ける。
眼前に室内の様子がハッキリと映し出された。
既に赤外線はモノクロ映像の時代では無い。
鮫島の眼前にはフルカラーで高精細な映像として室内の様子が映しだされているのだ。
かつて2012年の12月に産総研から発表された赤外線のモノクロ映像をカラー処理する技術は、既にリアルタイムで高速処理するチップが開発され、西房の研究室でもヘッドアップディスプレイの小型化が進められている。
鮫島が装着しているヘッドアップディスプレイは、西房から横流ししてもらった試作品であった。
生活感が無く、決して広くも無い室内を歩き畳みを剥ぐと床板を外し、床下へと潜り込む。
アパートの1階を敢えて借りたのは、そのためであった。
数十分後、鮫島は70リットルほどの大きな登山用のザックを背にして部屋を出た。
大きなザックの中には、今までの仕事で溜め込んだ札束が入っているのだ。
鮫島は銀行を信用していない。
僅かな利子を当てにして銀行に金を預けて置いても、口座を凍結されてしまえば兵糧攻めにあってしまう。
だから、銀行には当面の口座振替に必要な金額しか入金をしていないのだ。
愛車の白いエクスプローラーは、もう置いて行くしか無いと決めていた。
広くて良い車だが、あの車は目立ちすぎる。
白い色は母親が好きな色だったが、そんな事は言っていられないのだ。
鮫島はインターネットのオークションで購入した別人の銀行口座から、毎月の使用料金を引き落としている月極の駐車場へと向かう。
そこに停まっている、埃まみれで汚れたグレーメタリックの2015年式ランドクルーザーの中古車に乗り込んだ。
グレーメタリックを選んだのは汚れが目立ちにくいから、只それだけの理由だった。
勿論、実際にはもう生きてはいない男の名義で購入した車両である。
キーレスで運転席に座ると、自動的にインパネに灯りが点る。
生体認証でエンジンを掛けると、しばらく愚図った後に6.0リッターV型8気筒DOHCエンジンが目覚めた。
ゆっくりと車を動かして、再び北関東へと向かう。
これから、山の中に隠した武器弾薬類と特殊装備を掘り出しに行くのだ。
ターゲットは八坂和也という高校生。
こいつをぶちのめして連れて帰れば俺の勝ちと言う事だ。
本当は最初のターゲットは自分の膝をへし折ってくれた大國という大学生にしたかったが、その身元は何故か資料には無かった。
資料にあったのは八坂和也の現在の和歌山県の住居に関するレポートだけであった。
八坂和也は生かして連れ帰らなければならないが、大國と言う大学生であれば、ぶち殺しても文句は言わない無いはずなのだが情報が提供されなかったのだ。
まるで、八坂和也の処へ行けと言われているような違和感を覚えたが、借りを返す事、負けたままで終わらせない事に執念を燃やす鮫島には、どちらでも良い事であった。
八坂和也という小僧を捕らえてしまえば、必然的に大國の居所も掴めるだろうと踏んでいた。
その後でゆっくりと誰に喧嘩を売ったのか思い知らせてやれば良い、そう考えていた。
学生ごときに想像もつかないような、圧倒的な力の差を見せつけてやると心に暗い炎を燃やして鮫島はアクセルを少しだけ踏み込むと、やがて鮫島の乗ったランドクルーザーの赤いLEDテールランプは、ゆっくりと都会の夜の闇に消えていった。




