060:3つめの復讐
耶麻元に復讐した次の朝、俺は寝不足気味だった。
俺が居るのは、美緒を自殺に見せかけて殺す事を俺の元母親に嗾けた、比路瀬義隆のランニングコースである。
今朝早くから公園の外周路の一角に、俺は熱光学迷彩で周囲の人から身を隠して潜んでいた。
比路瀬の、毎朝欠かさないランニングの習慣を掴んでから1週間。
俺は準備を密かに進めてきた。
耶麻元の事故から間をおかずに、教団に警戒される前に一気にやってしまうつもりだったので、多少の寝不足に文句を言ってはいられない。
「宗教は貧者の阿片とは、かのカール・マルクスの言葉だがまさに言い得て妙だな」
「そして、向精神薬と暗示の併用を "神の御手" とは、瓜生様はよくも言ったものだ」
配下の者達が居なくなったホテルの一室で一人になった時に、ソファーに背を預けながら比路瀬はそう言い切った。
他の幹部も内心ではそう思っていたのかもしれないが、少なくとも自分が "神を信じていない事" を公言するのを聞いたのは比路瀬が初めてだった。
三日前の事、俺は教団地区本部で聞き出した幹部の名前が本当に復讐対象なのかどうかを、 自分の目と耳で調べる為に熱光学迷彩で姿を消して比路瀬の行動を追っていた。
それは、万が一にも無関係な者に復讐してしまう愚を犯したくなかったからに他ならない。
とは言え、ダイクーアの幹部を務めているという時点でほぼ黒確定なのだが、無差別に人を殺す人間にはなりたくなかった俺は明確な理由が欲しかっただけ、そう言われても仕方が無い。
比路瀬がダイクーアのビジネス宗教者である事が判った少し前、彼の部下に連れられて比路瀬の部屋を出て行ったのは俺の元母親であった女だった。
比路瀬の言葉は、10数年前からダイクーアに嵌まった俺の元母親に向けられた侮蔑の言葉だったのだ。
比路瀬自身が心から信じても居ない、彼らの崇める神の名を借りて親父と美緒は殺された。
勿論、彼が心からダイクーア神を信じていたからと言って、それを許すつもりは一切無い。
許すつもりは無いのだが、せめて親父と美緒を殺す動機は偽りのビジネス宗教ではなく、止むに止まれぬ愚か者の狂った信仰心であった方がましだった。
俺の元母親は同行していた教団の地区責任者らしい男と共に、比路瀬からネチネチと責められて帰って行った。
美緒の死から一ヶ月近くが過ぎようとしているが、元母親と言う立場を利用しての俺の取り込みが進んでいない事で呼び出されたようだった。
もっとも、今の俺は家を引き払ってイオ爺の実家に移り住んでいるのだから、元母親が取り込むも取り込まないも無い、もうあの街には居ないのだから。
今住んでいる村に余所者が訪れれば自然と目立つ。
隣の家に無関心な都市部と違って、今度の俺の居場所を奪う事は少々ハードルが高いのだろう。
その時の会話で一つ判った事があった。
元母親自身は直接美緒に手を下していないと言う事だった。
しかし、直接手を下していないというだけで、俺とレイ婆が親父の事故後の対応で留守をしている間に言葉巧みに家に上がり込み、犯人を呼び込む手引きをしたのは元母親だと言う事が明らかになったのだ。
そして、直接手を下した犯人は今日比路瀬と一緒に走っている5名のボディガードのうち、最後方に居る大柄な奴だった。
「そうは申しましても、美智瑠さんが上手くやってくれたからこそ美緒と言う娘が玄関を開けてくれた訳でして...」
その時の地区責任者の言い訳が、俺の頭にプレイバックされる。
美智瑠とは俺の元母親の名前だ。
「あの子が生まれてすぐに出家しましたから、私の顔も覚えてはいないはずなのに、それでも親子だからでしょうか母親だと言うとすぐにドアを開けてくれました」
美智瑠という女は母と子の情を利用した事を悪びれもせずに、しれっとした顔でそう言った。
俺と違って、美緒は母親の顔を知らないどころか記憶も無いはずなのだ。
だからこそなのか、美緒は母親というものに憧れにも似た感情を持っていた事は否定出来ない。
ほとんど家に居なかった母親の父親に対する悪口と、ダイクーア教団への賞賛をする時の呆けたような愚かな顔しか母親の記憶が無い俺と違って、美緒は何も知らないのだから仕方ないとは思う。
「お母さんって、どんな人?」そう美緒に何度か聞かれた事を俺は思い出していた。
「和兄ぃは、お母さんに逢いたくないの?」そんな事も言っていたな...
あいつは、きっと母親というものに逢って甘えてみたかったのだろう。
美緒を傷つけたくなくて、俺も親父も母親のことは口を濁して避けて極力触れないようにしていた。
それが今回の事を招いたとすれば、なんとも皮肉なものだ。
「こんな汚れた世に居ることが不幸なのです。ダイクーア神様の発展の礎となれるなら、あの子が生まれてきた意味もあると言うものです」
それは、母親の言葉とも思えない台詞...
「まあダイクーア神様に成り代わると言っては不敬の極みですが、この世に未練を残さないように直接手を貸したのは私ですがね」
そう言ったのは、ボディガードの一人。
「瓜生様の下さった神の御手は誠に妙薬、どのような者もあれを飲めば自分の意思に逆らって我らの暗示通りに体が動く」
そう付け加えたのは、地区責任者の男。
「なまじ意識があるものだから自分の手が意思に反してロープを首に掛ける時は、涙を流しながら首を振ってイヤイヤをしてましたがね」
笑みを浮かべながらそう言ったのは、美緒に手を掛けたと言うボディガードの一人。
「自らの汚れが自らの手によって清められる様を、自らのその目で確認出来るのです。 これはダイクーア神様のお慈悲と言えるでしょう...」
そんな第三者のような比路瀬の言葉に、俺は怒りを押さえる為に拳を握り締めていた。
その場で全員を燃え滓にしてやろうかと思ったが、必死でそれを思いとどまった。
今怒りに任せて屑共を殺っても、時間を空ければ他の幹部連中が危険を察知して身を隠してしまうかもしれないし、まだその時点では最高幹部三名のうち、耶麻元の調査が全部終わっていなかったのだ。
「我がダイクーア神様のお慈悲によって現世の汚れを浄化された訳ですから、今頃は父親と共に私共に感謝している事でしょう」
美緒の死をダイクーア神の手による浄化と言い切った比路瀬は、耶麻元と同じような醜い笑いをその顔に浮かべていた。
俺は、比路瀬がトイレに行った隙に空間転移して自宅に戻り、二日後に耶麻元の地方セミナー出席を知り、隠れて追跡してその夜に一つ目の復讐を決行した。
そして、その夜のうちに二つ目の復讐を果たした俺は、翌朝ここで比路瀬とボディガードの一人を待って居るのだ。
復讐の報告が為されれば警戒されて復讐のチャンスは減る。
勿論手段を選ばなければ何時もで殺すことは出来るが、普通の死で納得できる程に軽い復讐では無い。
だから寝不足で少々頭が重いのだが、タイミングは今日の今しか無いのだ。
いつものコースに、いつも時間。
いつものように比路瀬はやってきた。
まだ昨夜引き起こした耶麻元の事故の事も、森多がゲームに囚われている事も連絡が来ていないのだろう。
連れているボディガードの顔ぶれも数も、いつもと同じだった。
走ってくる比路瀬の額には健康そうな汗が浮いているが、それが何か俺をイライラさせる。
後生大事に維持しているお前の健康とやらも、今日で全てを無意味にしてやる!。
そんな比路瀬が何も知らずに走ってくる。
俺は比路瀬が姿を隠している俺の横を通り過ぎる直前に、両脇のボディーガード二人の踏み出した足に風の塊を纏わり付かせた。
リズム良く動かしていた足も、着地のタイミングを狂わされれば屈強な男たちと言えどもバランスを崩すのは容易い。
体重が乗せられた足をもつらせて転ぶ二人のボディーガードたちと、勢いを殺せずに倒れたボディガード達に追突して足を取られ転倒する後方のボディガード3人。
その中で美緒に手を掛けた一人が、俺の風魔法の突風によって歩道脇の灌木に頭から突っ込んだ。
その騒がしい物音に振り返る比路瀬だったが、奴が後ろを向いたタイミングで丁度上から垂れ下がっていた植物に顔から突っ込んでしまった。
それは、俺が実家の山から移植した野バラの蔓だった。
「野薔薇緊縛!」
イオ爺に習った俺の木属性魔法で急速に成長した薔薇の蔓は、比路瀬の首へと蛇のように絡みついた。
太く成長した野バラのトゲが比路瀬の首に食い込んで血が滴り落る。
比路瀬の足にも草むらから伸びてきた野薔薇の蔓が生き物のように絡みつき、バランスを取れずに倒れそうになる。
しかし、その首に絡みついた野薔薇の太い蔓が奴に倒れる事を許さない。
土属性の重力魔法により、体重が5倍ほどになった比路瀬は自らの力で体勢を立て直す事もできずに首に巻き付いた蔓に首を絞められて鬱血した赤黒い顔で藻掻いていた。
魔法で太く強化された野バラの蔓は、その重みで切れもせずに比路瀬の体を支えながら更にその体を上に引き上げる。
やがて、首の骨が外れるような湿った音がすると比路瀬はだらりとして動かなくなった。
美緒に直接手を下したボディガードも灌木に絡みついた野薔薇の太い蔓に頭を突っ込んだまま藻掻いていたが、そのまま蔓が木の上に引き上げるように動くと、そいつもしばらく苦しそうに藻掻いた後に痙攣して動かなくなった。
他のボディガード達が慌てて蔓から比路瀬と同僚の体を離そうと苦戦しているが、魔法で強化された植物はそう簡単には切れたりしない。
美緒と同じように自分の意思に反して死んで行くという、絶望的な恐怖を充分に奴らは味わってくれただろうか?
それを見届けて、俺は自室に空間転移して戻った。
なにしろ、これから朝の魔力制御特訓が待っているのだから、半分徹夜で眠いとか言っては居られない。
こうして、俺の3つめの復讐は終わった。
次は行方がハッキリしない為に後回しにした、教祖の調査が待っている。




