004:恋人と友人
高二の冬、いつもと変わりない週末の金曜日。
俺は駅前のいつもの場所で俺を待っている同じ学校の女子に声を掛けると、いつものように笑顔でその前に立った。
「お待たせ!」
思い切りの笑顔を、その子に向ける。
「ううん、全然待ってないよ」
声を掛けられたその女の子は眩しそうに少し目を細めて俺に目映い笑顔を向けると、下から見上げるように見つめ返してきた。
(うはっ、めっちゃかわいぃぃぃぃ)
俺は心の中でガッツポーズをして拳を天に突き上げると、そんな事はおくびにも出さず何気ない素振りで彼女と並んで歩き出す。
少しでも彼女と長く話していられるように、彼女の歩幅に合わせてゆっくりと歩くのが毎朝の日課になっているのだ。
他人から見たら何と言うこともないような話をしているだけなのだが、二人で一緒に登下校するこの時間だけは誰にも邪魔をされたくない、俺にとっては至高の一時なのである。
彼女の名前は葛西紫織。
この夏に俺から告白をして付き合い始めた、1学年下の高校一年生だ。
身長188cmで痩せ型の俺と並ぶと、女性としてはやや高めな165cmの彼女でも頭は俺の顎のあたり迄しか無い。
腰に張り付くような少しきつめに見えるプリーツスカートと胸の部分の布地の余裕の無さに比べて、その間にあるウエスト部分の布地だけには大きなゆとりが感じられる。
それだけで彼女のウェストが非常に細い事が制服の上からでも見て取れて、そのプロポーションの良さは俺の密かな自慢でもある。
尤も、この17年間一切の女性経験が無い俺にとっては、まずは紫織と手を繋ぐことが人生最大の目標であったりもする。
ウエスト部分を幾重にも折り込んで膝上丈にした短めのスカートから伸びる足もスラリとしている。
これで顔が残念だったら良いオチになるが、そんなことは無い。
両サイドが長めのボブカットに大きな黒い二重の目と長く濃い睫毛、形の良い鼻とやや薄めの唇は化粧をしていずとも印象がボケること無く、誰が見ても美人という表現以外は出来ないだろう。
横を歩く俺も曾祖父譲りの日本人としてはちょっと彫りが深い顔をしているのだが、どちらかというと格好いいと言うよりも、友人たちの意見では「痩せたゴリラ」に近いような厳つい顔の部類らしい。
俺の父方の曾祖父と曾祖母は未だ健在で、その二人共が外人かと思うような彫りの深い顔をしているので、そんな血を自分も引いているのだろうと思って居る。
話は戻るが、紫織と出会ったのは今から約1年ほど前で、オンラインゲームの中の出来事が原因だった。
ゲーム内の初心者向けエリアでモンスター相手に苦戦している彼女のキャラクターを、たまたま通りかかった俺が治癒魔法と身体強化魔法で支援して助けた事が、彼女と俺が知り合った最初の切っ掛けだった。
少し話してみると、廃人が寄せ集められたサーバーなのに彼女のレベルとスキルが不自然に低いのは、旧作をちょっと始めたばかりの頃にVR版への移行施策と旧作の廃止が行われたせいだった。
彼女は自分がそのまま廃人サーバーへ移転することも、よく理解していなかったそうだ。
その日は成り行きで彼女のレベル上げのサポートを少しやって別れたが、その後に彼女からのゲーム内のメッセージ機能を使ってお礼のメッセージが届き、やがて頻繁に彼女のキャラクターと遊ぶようになった。
彼女とプライベートな話をするようになったのは、それから半年程の時間が経過してからだった。
その時に初めて、彼女が同じ街に住み同じ高校に通っていることを知ったのだが、それから俺たちがゲーム外でも会うことを決めるのには、それほど時間が掛からなかった。
むしろ、俺よりも彼女の方が積極的に現実世界で逢いたがったのだが、俺は当初乗り気では無かった。
なにしろ俺は小学校の頃から人付き合いが苦手で人見知りも激しくて、あまり知らない他人と話すことは得意では無かったのだ。
それに自分の顔が傍目には怖いイメージがある事も知っていたので、リアル世界で逢ってガッカリされる事が嫌だったと言う事もある。
そんな訳で俺はリアルで逢う事には慎重だったのだが、最後は彼女に押し切られた形で逢うことになった。
ゲーム内の彼女のキャラクターは美形を好む多くの人達のゲームキャラと比べると逆に特徴の無い平凡な外見だっただけに、現実での彼女に対して特別に期待はしていなかった。
そもそも、ゲーム内での性別や年齢がリアルでの性別や年齢と同じとは限らないのが、オンラインゲームの怖いところでもあるのだ。
逆に現実で彼女と会うことが、後戻りの出来ないとんでもない地雷を踏むのではないかという、ネットで見知っただけの妄想に近い恐れもあったのは偽りの無い俺の本音だった。
ゲーム内であれこれと話をしている分には、彼女は素直で優しい素敵な女の子だった。
正直、ここまで自分が素直に色んな事を話せる異性というのは初めてだったし、そんな彼女に心を惹かれていない訳も無いのだが、余計なネットの知識が俺を引き止めていたのだ。
まあ、意を決して彼女と現実で会ってみたら色んな意味でぶっ飛んでしまった訳なのだが……
今まで彼氏が居ないなんて信じられないくらい可愛くて、スタイルも良くて性格もゲーム内と変わらなくて、そんな子が俺が心を許した相手の正体だったなんて、色んな意味でぶっ飛んでしまったと言うのはそういう事なのだが、そのあたりのことは長くなるので割愛する。
あれこれと、とりとめの無い話をしているうちに学校に着いたので一学年下の彼女とは学校の玄関で別れて、俺は自分の教室の引き戸を開けて中に入った。
すると、何やらクラス中がザワザワといくつかのグループに分かれて何やら騒いでいた。
状況を飲み込めないまま席に着いた俺を、引き戸を開けた音で気付いた親友の加賀見義則がさっそく近づいてくる。
こいつと無駄話をするのも、俺の日課のようなものだ。
義則は高校に入ってから出来た友人で、若いのに時々宗教臭い事を言う事があるが、それ以外はとても良い奴だ。
子供の頃から家族ぐるみで何処かの宗教に入信しているようなのだが、高校生の俺たちの付き合いには関係が無いと思っているから、彼がそれを持ち出さない限り自分から尋ねることは無い。
義則も俺が母親のせいで宗教アレルギーなのは知っているから、二人の付き合いにそれを持ち出すことは無い。
要は、俺を誘ってこなければ二人の付き合いに何の問題も無いし、他人の趣味嗜好や思想に変な差別のような事はしたくない。
これは、俺と義則の暗黙の了解のようなものなのだと思う。
こいつが、今のところ俺の数少ない友人の中で一番の親友と呼べる、誰よりも信頼できる奴なのだ。
「まったく、毎日紫織ちゃんと通学なんてマジ羨ましいぜ」
そう言いながら、わざとらしくパンチを繰り出す仕草を見せる義則。
「お前、そんな事言ってたなんて玲子ちゃんが知ったら、どう思うのかなぁ」
「うは、お前そこでそう来るかよ」
「ぷふっ、お前こそ何をビビってるんだよ」
義則のからかいに動じる事なくニヤリと笑い返す俺の返事を聞いて、ちょっと焦った顔をする義則。
それを見て、俺は思わず吹き出しそうになった。
玲子と言うのは義則の彼女の事で、紫織に紹介をしてもらった彼女の友人でもある。
紫織と付き合いだした事を義則にカミングアウトしたら、事ある毎に「紫織の友達を俺に紹介しろ!」と毎日のように言いだした事から出来た彼女だけに、この点で義則は俺には頭が上がらないはずだ。
「ち、違うって、違うんだよ…玲子とは家の方向が逆だからさ、ほら、お前らみたいに待ち合わせて通学するなんてしたくてもできね~んだよっ!」
そう慌てて言い繕う義則。
「おっ、慌てて言い訳するところが怪しいですなぁ、義則くん」
そう言って笑う俺だけど、実際のところ義則はまだ玲子と付き合い始めたばかりで彼女にはまだ頭が上がらない。
そんな事を知っているから、俺は武士の情けでそれ以上は突っ込まない事にしてやった。
「ところでさ、…」
それを切っ掛けに義則が話題を変えようとして、少し深刻な顔をして俺に小声で囁いてきた。
「ん?」
義則に続きを促すと、今朝のクラスの騒ぎの原因を話し始めた。
「なんかさ、今朝地下鉄で事故があったらしくて先生達がまだ出勤してないらしいんだよ」
「事故って、飛び込みとかか?」
「いや、職員室に行ったらさテレビのニュースでやってたんだけど、なんか毒ガス撒いた奴が居るらしくて駅は大騒ぎらしいぞ」
「毒ガスって何だよそれ、どうせ防犯用の唐辛子スプレーとかそういうのだろ」
毒ガスという言葉の響きが非日常過ぎて素直に納得ができないのは、平和に慣れた日本人である俺だけではなく、クラスの殆どが本気にしていないのも無理は無い。
いや、恐らくそのニュースを見ているであろう日本人の多くが同じ思いだろう。
義則の言葉は事実だったらしく、その日の1限目は俺たちの予想通り自習だった。
そして、事件のあった駅に乗り入れている複数の地下鉄が運休となった事から、午後の授業は打ち切りとなり他の交通機関を使って帰るように指示があった。
当然、俺たちを含めた学校中が大喜びに沸いたのは語るまでもない。
昼食の弁当を食べてから教室を出て、義則と一緒に玄関まで行くと紫織が俺を待っていた。
「反則級の可愛さだよな紫織ちゃん、まったく何でお前なんかに…」
義則が呟きながら肘で俺の脇を突いてくる。
「いやいや、君の玲子ちゃんも充分可愛いと思うぜ」
俺が多少の優越感に浸りながら言い返すのだが、その言葉に真実みが感じられないのは、まあ許して欲しい。
そう、紫織の隣に仲良く並んでいるのは義則の彼女である玲子だった。
義則は時間があるから、家が逆方向の玲子を今日は送って行くのだという。
玲子も紫織程では無いが学年でもトップクラスで通用するくらい充分に可愛い女の子だ。
比べて言うなら紫織は日本でもトップクラスだと俺は密かに思っているのだが……
紫織の隣で俺たちを待っている玲子の髪の毛は胸辺りまでの、やや巻き毛のセミロングで前髪は横に流れている。
背は紫織よりも少し低い157cm~160cmくらいだろうか。
スタイルも悪くないが如何せん隣に並んでいるのが紫織だと、充分に良いスタイルでも些か見劣りがする…と思ってしまうのは付き合っている故の贔屓目では無い、と俺は思っている。
「こんなに早く帰れると、ずいぶん時間が余っちゃうね」と紫織が俺を見上げるように言う。
ただでさえ可愛いのにそんな目をされると、もう目眩がするくらい心臓がドキドキする。
「少し遠回りだけど、河原の土手を歩いて帰ろっか?」
俺が返事を返すと、紫織は「うん」と嬉しそうに頷き返してくる。
(今日こそ手を握るぞぉぉぉぉぉぉ!)
そんな俺の隠された心の叫びを知るものは居ない、いや居たら恥ずかしくて死ねる。
二人でゲームの事とかクラスの出来事などを話しているうちに目的地の河原に着いたので、「少し座ろっか」と言う俺に素直に頷く紫織、たまらんね。
もう俺の下心は耳と鼻と口から溢れそうだ。
そんな俺の葛藤を知ってか知らずか、紫織はハンカチを草の上に敷いて座るとポーチからもう一つハンカチを取り出すと隣に広げて俺に、ここに座れと促している。
「ちょっ、近いんじゃ…」
先ほどまでの鼻血が出そうな程の下心は何処へやら、紫織との距離が近い事に一瞬狼狽えるが、この距離の近さは俺の小さな野望を遂げる為には望むところである。
川の堤防にもなっている大きな土手に生えた芝生の上に仲良く腰掛けて、二人で川面を眺めながら取り留めの無い話をする。
そんな事が楽しい初心な俺たちでもあった。
そうは言っても他に趣味の無い俺の出す話題と言えば、色気の無い事にソード&マジックオンラインの事が自然と中心となる。
口下手な俺が雄弁になれる話題と言えば、それくらいしか無いのも残念な話ではあるが、それでも紫織は楽しそうに聞いてくれている。
ゲーム内でプライベートな事をあれこれと話すようになってから知ったことだが、紫織の家庭は母子家庭で、父親の浮気が原因で両親が離婚したのは紫織が10歳の時だったそうだ。
当時は理由を教えて貰えず、自分が父親に捨てられたのだと子供心に思ったと言っていた。
だから他人から嫌われることが怖くて、笑いたくなくても微笑んでしまう癖が何時の間にか付いてしまったんだと、自嘲気味に紫織がそのときに語ってくれたのだった。
そうは言っても、深く人と関わると離れてしまう時が辛いから極力他人とは関わらないように表面的な付き合いに留めてきた紫織が俺に心を開いてくれた切っ掛けは、最初の出会いがオンラインゲームの中だったからだろうと思っている。
顔も見えない、どこに住んでいるどんな人かも判らない相手であり、自分の素顔も本当の性別さえ相手は知らないという仮想世界での出会いは、紫織にとって構えずにすむ気楽な付き合いだったはずだ。
紫織程の顔立ちとスタイルを持っていれば、間違い無く世の男達は黙っていても寄ってくるだろう。
紫織自身が好むと好まざるとに関わらず、紫織の都合にお構いなしで相手は紫織の外見に惹かれて集まってくるのだ。
しかし、そこに紫織の外見に囚われずに本当の中身を見てくれる人が今まで一人も居なかったと言う事が、幸運にも彼女がこれまで誰とも付き合ってこなかった理由らしい。
ゲームの中では誰も紫織本来の外見を知らない。
そんな中での出会いと付き合いに、彼女が本能的に持っていた他人への心理防壁が甘くなって居たのが、俺にとっての得難い幸運だったのだろうと思う。
距離が近いせいで、俺の左手と紫織の右手は触れそうな程に近い。
そっと近づけるだけで小指と小指が触れあうのが判り、ドキドキしながら慌てて手の距離を離す。
紫織は、それに気付いているのだろうか?