038:強化装甲歩兵 VS 魔獣モドキ
目の前に現れた異形の化け物は、兵士の戦闘能力を強化するために遺伝子改造実験を行った副産物であった。
遺伝子改造技術は黎明期の顕微鏡レベルで行われた時代に比べて大きく進歩していた。
黎明期のように細胞1つに対して遺伝子を抜いたり入れたりして一喜一憂する段階から、ナノマシンを使用した遺伝子の自動置き換えが可能となり、最先端ではウィルスに似た構造を持つナノマシンの開発によって、一気に全身の細胞の遺伝子構造を書き換えるというレベルにまで達していたのだ。
当然、ウィルスに似たナノマシンは感染力が無いように作られていて、活動期間も投与されてから全身の遺伝子を書き換えるのに必要な三日間程度で自壊して、無害なタンパク質の分子となるように設計されていた。
全身の細胞の遺伝子情報を三日程度で置き換えることが出来るとどうなるか、先祖伝来の遺伝病で苦しむ人達はこれによって多くが救われることとなる。
既に発症していた人達の進行が止まり、発症前の人達が何事も無く一生を終えることが出来るようになる迄には、まだ少しの期間が必要ではあったが、ウィルスタイプの遺伝子改造技術は医療面での大きな革新であった。
しかし、長期間の臨床試験が終わり治療法としての許認可が下りるには、まだ何年か待つ必要がある。
そんな背景が生み出した軍産複合体による遺伝子改造技術の副産物が魔獣モドキたちなのだ。
常に、生身の兵士の損傷を減らす策は練られてきた。
それは装備の進歩であり、兵器の電子化であったが、生身の人間は兵器の頑丈さに比べて実に脆い存在だったのだ。
どんな最新鋭の戦闘兵器であっても、生身の人間が耐えられない環境で動作することは出来ない。
どんなに高速で急加速や急反転ができる戦闘機を開発出来ても、操縦する人間が急激な重力変化に耐えられなければ実戦配備は不可能なように、生身の人間の脆さが兵器開発の足枷となるのは既に現実の問題であった。
生身の人間は一発の銃弾を受けただけで戦闘不能になり、簡単に死亡してしまう事もある。
生きていたとしても戦闘継続は不可能であるだけでなく、その救出や治療・生命維持といった人的・経済的な損失も馬鹿にならないのだ。
勿論、戦死者への年金支給金額の総額も国家にとって大きな経済的損失という側面が有ることは間違いが無い。
兵器の自動化やロボット化も研究され進められていたが、複雑な判断を要する作戦行動を行うために必要なのは、それを操り指揮する生身の人間であることに変わりは無かった。
であるならば、兵士そのものを強化すれば良い、そう考える効率優先主義者が出てくるのは時代の必然でもあったのだ。
そうして、生まれたのが遺伝子改造による強化人間や、強化軍用生物である。
体力や生命力、そして細胞再生能力の強化を目的とした死ににくい生き物の研究すら、一神教の国では全ての生き物を創造した神に対する冒涜としてハードルの高いものであった。
むろん研究室レベルでは、何処の国も手を付けていた当たり前の事ではあるが……
宗教的な禁忌が無く過大な人口を抱える国では無尽蔵に存在する戸籍すら無い貧困層を実験材料として最先端の研究が行われていたとしても不思議では無い。
そうした実験による偶然の産物として生まれたのが、超強化生物である魔獣モドキたちなのであった。
しかし、機械による人体強化と保護を主目的に人型のパワードスーツの開発に拘って推し進めていたのが日本であった。
軍需企業各社だけでなく、技術系の開発者の多くがロボットアニメを見て育った世代が占めており、各部門のトップがアニメオタクの過去を持つ事すら日本では珍しくなかった。
そして企業トップだけでなく、国のトップでさえ二足歩行の人型兵器に開発には積極的にゴーサインを出したのだった。
中で操縦する生身の人間の脆さはどうするのか、そういう人型兵器の美学を解さない者たちへの開発者達の回答は、人体保護機能や衝撃緩衝装置の魔改造による飛躍的強化と、コックピットの装甲強化で押し切った。
そうして生まれたのが、鮫島たちが乗っているアームドスーツなのである。
人型で中に入って生身の人間が操縦する、これだけは非効率と言われても絶対に譲れない関係者の総意でもあったのだ。
マスタースレーブ方式で操縦する、これ程の大型のアームドスーツを開発したのは世界広しと言えども日本だけであった。
日本も含めて各国は生身の人間を保護するプロテクター的な装備として兵士が身につける、 国によって名称は異なるが、一般的にパワードスーツと呼ばれる装備の開発を進めていた。
それは、生身の兵士が装着することによって防弾性能や筋力の補助機能を高めるという現実的な兵装である。
李秀英側が使役する魔獣は、1つのトレーラーに8体、魔犬は2体乗せられている。
彼女の後ろに停められた2台のトレーラーから降ろされたのは魔獣10体と魔犬4体であった。
対する日本のアームドスーツは3mを超える巨体である事と搬送車両に設置する懸架装置が必要な事もあり、大型トラック1台に3体がやっと、合計6体が軍需産業を担う菱川島重工から鮫島達の組織に配備されてきたプロトタイプの機動歩兵の総数であった。
魔獣モドキは、一斉に倉庫の屋根や周辺に散らばり、6体のアームドスーツを迎え撃つ体勢を整えていた。
正面からアームドスーツに相対するのは4体の魔犬モドキと6体の魔獣モドキたちである。
それを見て、アームドスーツの戦士たちは背に装着されていたスタンガン機能のある2mはあろうかと思える大剣のような特殊警棒を引き出して構え、魔獣モドキたちと相対した。
当然、周囲に散開した魔獣モドキへの警戒も怠らない。
緊迫した空気が張り詰める中、アームドスーツのコックピットには普通貨物車に偽装された特殊装甲車から逐次情報が入ってくる。
敵の現在位置、各自が受け持つターゲットが重複しない為の目標指示、効率的に敵を殲滅させる為の情報が相互リンクにより逐次ヘッドアップディスプレイのモニターのマーキングと音声指示により下されていた。
アームドスーツの特殊警棒からバチバチバチッと月明かりの中でも鮮やかな青白い色でスパークの光が見える。
「鮫ちゃん、穀潰しになりたく無かったら一気に決めちゃいなさい!」
特殊装甲車に乗り込んだ西房が、インカムを装着して指示を飛ばす。
工作班が工事に見せかけてこの一帯を封鎖しているが、先行している監視班からの連絡が途絶えている事を考えると長引かせたくは無い。
本来の任務は、この近くに「赤坂」と言う符牒で知られる国の組織から誘き寄せられている、八坂和也の奪回であるのだから。
ガン!、大きな衝撃音が聞こえるとアームドスーツの一体が蹌踉けている。
何か重いものを投擲されたのだ。
その音を契機として、正面から牛ほどの体を持つ魔犬モドキが4頭、大きな牙の生えた口を開けて向かってくる。
その後ろから、異常な程の脚力で巨体をものともせず、魔獣モドキが突起の付いた巨大な棍棒や戦斧を振り上げて迫ってきている。
リンクシステムは、それが陽動である事を示していた。
眼前のモニター表示される緑色の表示は僚機を表し、オレンジ色の表示は敵をあらわしている。
右側面の倉庫と左の海側に有るクレーンから敵が急速に接近している事をアイコンの動きは示していた。
「左右両面より敵急速接近中、正面は陽動だ!」
そんな特殊装甲指揮車からの指示がインカムから流れてくる。
「遅いんだよ!」
鮫島は指示に毒づくと同時に左に体を捻る。
手に持った特殊警棒が鮫島の左上方の空間を薙ぎ払った。
ガン!と言う大きく鈍い音と同時に、特殊警棒を握る腕を中心として体全体に打撃がヒットした感触がフィードバックされる。
それとほぼ同時に、ガン!ゴン!と言う重い金属の打撃音が聞こえて、鮫島の両脇にいるアームドスーツが突如地面に叩きつけられた。
そこに居るのは、大きな突起の付いた金属製の棍棒を持った2体の魔獣もどきの巨体だった。
「甘いんだよ、お前ら!」
襲いかかってくる両脇の魔獣モドキの一体の脇を、金属の巨体を器用に動かしてすり抜けると腹に膝蹴りをぶち込みながら、両脇の僚機を操縦している奴らに毒づいた。
2台のトレーラーから降ろされる魔獣の数が異なっていた事に気付いたのは、修羅場に慣れていて冷静に状況を判断した鮫島だけであった。
他の僚機は初の実戦に興奮していて、そんな初歩的な注意を怠っていたのだ。
単純に、それだけしか数が揃わなかったのか、あるいは少ない方のトレーラーから先に降ろした伏兵が居るのか、その可能性を考えて、周囲の警戒を怠らなかったのは、鮫島だけであったのだ。
蹌踉ける魔獣モドキにスタンガン機能を起動させて、その無防備な背中に大剣のような特殊警棒を叩き込んだ。
ガキィィン!と重い金属同士の打撃音が周囲に響き渡る。
これでは、火器を使わずとも周囲の耳目を集めるのは時間の問題だろう。
そうは言っても、装備していない火器類を使うことは物理的に不可能である。
「ちっ! まんまと見え見えの手に引っかかりやがって、間抜け共が!!」
鮫島は特殊警棒を剣のように青眼に構えると、正面になった2体の魔獣モドキと向き合った。
「まあ、殴り合いの方が俺の性に合っているがな」
アームドスーツの装甲越しとは言え、マスタースレーブ方式による自身の体を使った直接的な操縦で肉弾戦にも似た感覚の高ぶりを鮫島は感じていた。
周囲をモニターすれば、僚機は悉く敵の奇襲を受けて防戦一方となっている。
その分厚い装甲板が無ければ、既に戦闘不能なジャンクとなっていても不思議では無い状況だった。
「ルールに縛られた練習場でいくら強くても、坊やたちに実戦はまだ早かったって事だな」
防戦一方になっている僚機を操っている同僚達は、みな武道の有段者である。
マスタースレーブ方式で動かすアームドスーツの巨体は、操縦する人間の動きを瞬時に、そして正確にトレースして動く。
そのために、操縦者の戦闘能力の高さが如実にアームドスーツの強さに直結するのだ。
不安定な路面などで、姿勢を崩さないようにする補助モードも備えてはいるが、鮫島はそれを嫌って最初から切っている。
実戦では不安定に見えるような捨て身の動作も、場合によっては勝つためには必要だと身に沁みて判っているからだ。
ただ一体だけ戦闘体勢を維持している鮫島に、他の魔獣モドキや魔犬モドキが集まってきた。
僚機は、魔獣モドキたちの打撃から自分の機体を守るのに精一杯の様子で助けが入る事は期待できなさそうだ。
この機体はまだ菱川島重工の量産型では無く、実戦データ採取用のあくまでプロトタイプであった。
その為に機動性を優先して、操縦者を守るボディの分厚い装甲に比べて足首や手首などの可動部分(関節)の装甲は比較的弱い。
その分ガードに使う腕や太腿の装甲は厚いのだが、そこを攻められたら不味いことになる。
自らの弱点を充分に把握した上で、鮫島は囲まれる前に攻撃に出る事を選択した。
連続複数打撃だけは避けなければならない、その為に敵の包囲が固まる前に打って出る!
そう決めると、鮫島の行動は速かった。
一番近い魔獣モドキに向かって攻撃を仕掛ける振りをして下から特殊警棒を投げつける。
反射的に右手の棍棒で避ける動作をする魔獣の腕に自身の左側面から体当たりをすると左手を相手の右腕に絡めて巻き込むように一気にアームドスーツの体重を掛けて地面に引き落とし、肩の関節を捻切る。
グキグキッ!、ブチブチッ!と言う湿った音がして、腕を捻切られた魔獣モドキが包囲網から離れる。
そこから転がるようにして素早く立ち上がった鮫島は、特殊警棒を拾うと怯んだ別の一体の顔にスタンガンの電撃を浴びせ、敵の集団に向けてその魔獣モドキの背中を蹴って飛ばし、その包囲から抜け出した。
そのまま走って、近くで防戦一方になっている僚機を攻撃している魔獣モドキの頭を大剣にも似た大型の特殊警棒で殴り飛ばす。
「すまん、助かった」
そう言って立ち上がる僚機に向かって、手を差しのべると素早く立ち上がらせる。
「ビビったら死ぬぞ坊や!、こっちの方が頑丈なんだ、数は不利でも優位さを生かした戦い方を考えてみろ」
そう言って、鮫島は次の僚機を攻撃している魔獣モドキと魔犬モドキに特殊警棒を振り上げた。
(さすがに、俺一人じゃ荷が重いからな)
せいぜい、敵を分散して受け持って貰わないとな、そう心の中で呟いて僚機の足に噛みついて行動を阻害している魔犬モドキの片方の頭に思い切り大型の特殊警棒を叩きつけた。
一時は不意の奇襲攻撃によって体勢を崩されていたアームドスーツ部隊だったが、バランスは立て直された。
特殊警棒による電撃の苦痛に呻く魔獣モドキは棍棒を振り回してスタンガンを持ったアームドスーツを弾き飛ばす。
その重量が乗った打撃の運動エネルギーは凄まじいものがあるが、特殊合金製のボディには僅かな凹みしか見られない。
とは言えその衝撃は生身の人間には堪えるようで、打撃をまともに受けて倒れたダークグレーのボディはしばらく動けないようだった。
鮫島の乗った機体にも猪頭獣人モドキの巨体が棍棒を振り上げて迫る。
斜め一歩前に出た鮫島は、打点をズラして巨大棍棒の根元を右手を掴んで腰を落とすと猪頭の獣人モドキを引き寄せる。
力比べでは巨体の猪頭と言えども機械のフルパワーには勝てないようで、キュイーンという機械的な動作音に引き寄せられ棍棒を持った右手の肘が伸びきる。
其処へ体ごと捻り込んだ反動と共に、金属製の左腕が叩き込まれた!
筋肉と腱が千切れる嫌な音がして猪頭の獣人は濁った悲鳴を上げる。
そのまま俯せに倒れた猪頭の背中にのし掛かり、その醜い後頭部に特殊合金の拳を叩きつけようとした処で何かに気付いたように動作を止めると、素早く飛び退いた。
そこへ僅かに遅れて、別の猪頭の獣人が振るった大きな棍棒が唸りを上げて通り過ぎた。
大きく重い棍棒を振り切って隙だらけになった猪頭に右掌を開いて向けると、小さな発射音と共に細いケーブルを引きながら二本の金属片が猪頭の顔に突き刺さった。
その瞬間、猪頭は激しく痙攣して苦しむが、自分を攻撃した鮫島に棍棒を振り上げて向かってこようとする。
その姿を見てぎょっとした鮫島は更にデーザー銃の電圧を上げて対処すると、猪頭の巨体は耐えられず苦悶の声を上げてその場に昏倒してしまう。
「まさか、現代社会でオークに邪魔をされるとはな」
先ほどまで李秀英が居た辺りを見ると、もう影も形もない。
同僚たちを振り返ると、足首付近の破損で動けなくなっている機体が3体あった。
他2体は一部損傷を負いながらもオーク擬を駆逐したようだ。
オルトロスモドキの魔犬は既に影も形も見えない。
残りのオークモドキと共に逃げたらようだ。
「作戦中止よ! 残念だけど、この化け物どもを連れ帰るわよ!」
西房からの撤退指示を受けてオークの回収作業に移った仲間から離れ、埠頭の岸壁に機体を停めて周囲の様子を確認する。
様々なセンサーを使用して安全を確認すると機体に片膝をつかせて腰を落とさせ、次に全面ボディのハッチを開くと、待ちきれないように左手だけでタバコを取り出して咥えた。
そこへ、西房の野太い声がインカムから聞こえてくる。
作戦失敗で、相当に苛立っているようだ。
「鮫ちゃん、何やってんの? まともな機体は少ないんだから回収を手伝いなさいよ!」
「狭いのは嫌いなんだよ、俺は」
そう呟くと、鮫島は、左手だけで器用に取り出したタバコに火をつけて煙を吐き出した。
「坊主、俺が殺ってやるから捕まるんじゃねーぞ…… 」
鮫島の居る埠頭からは200m程離れた倉庫の屋根に、金髪の美少女が立っていた。
足下には、倒れて動かない戦闘服の男、小型のインカムを装着しているのが見える。
『アナスタシア、終わったか?』
そう問いかけてきたのはヴォルコフ、やや遅れてティグレノフの巨体も現れる。
『こちらは、全部片付けた』
『こちらも全員始末した』
密かに、李秀英の偵察部隊と西房たちの偵察部隊を全滅させていたのは、大きな動きが無いと言われていたアナスタシア達だったのだ。
『では、帰りましょうか』
そう言って、彼女は緩くカールした金髪を風になびかせながら、和也の居るであろう倉庫の方角を見ていた。




