037:厄災の華(後編)
『監視班から連絡が、いや応答がありません!』
緊迫した声で、黒コートの一人がフードの頬の辺りを押さえながら言う。
フードの中にインカムが隠れている訳でもないのだが、通信をするときの癖のようなものなのだろうか?
『どうした応答しろ! 何があったんだ!』
『ダメです、全員から応答がありません』
『どういう事だ、まさか今回の件が嗅ぎつけられたのか?』
『我々の妨害をするとすれば、先行して動いている日本のチームじゃないのか?』
『まさか、日本が例え裏でも正面切って我が国の邪魔をしてくるとは思えん』
『じゃあ何処だ、他に邪魔が出来るような勢力はロシアと中国くらいなものだ』
『いや、ロシアは今回大きな部隊を動かしているという報告は無い!』
なにやら急に慌ただしい動きを見せている男達、何を言っているのか解らないが彼らがアクシデントに見舞われたのは間違い無いように見えた。
同時刻、別々の方向から和也の居る港湾倉庫の付近に向かう大型貨物車の一団があった。
そのうちの1つの集団は、アニメの魔法少女キャラクターを全面にプリントした2台の宣伝用と見られる大型貨物トラックと、それを先導する一台の黒い大型のSUV(スポーツ用多目的車)、そしてSUVと前後して走る金属製荷台の普通貨物車とで構成されていた。
「急ぐのよ!、早くしないと八坂ちゃんを敵に取られちゃうわよ!」
SUVの車内で助手席に座り、野太い声を張り上げているのは濃い化粧をした赤髪でショートカットの男性。
見事にオカマ野郎である。
「オカマ野郎」と心の中で呟いたのは、後部座席に不機嫌な顔で座っている鮫島であった。
この男とは本当に相性が悪かった。
一緒に居ると、その青々と髭の剃り痕が目立つ細長い顔を叩き潰したくなる。
その才能だけは渋々認めてもやるが、元々は技術部門の癖に前に出たがる処が気に入らない。
「鮫ちゃん、何か言った?」
地獄耳だなこいつ、そう思って鮫島は無言で目を見開きオカマ野郎の西房辰馬を嫌そうに見る。
相変わらず、鮫島の神経を逆撫でするような濃い化粧と青々とした髭剃り痕が目立つユニークな顔をしている。
こいつとは絶対に馬が合わない、無言でそう確信する鮫島であった。
こいつと居ると、何故か自分のペースが乱されるのだ。
「あなたの分も特別に席を用意してあげたんだから、あたしとお人形さんたちの邪魔だけはしないでね!」
西房は、ルームミラーを自分の方に向けて濃い付け睫毛の様子を確認しながら、鮫島にそう言うと別の部下に問いかけた。
「先行している偵察部隊からの連絡は、どうなってるの?」
「それが、何処からも応答がありません!」
「ふう~ん、まさか全滅しちゃったわけ?」
そう言うと西房は、もう昔から直らない癖なのだが、自身の髭剃り痕の感触を指の腹で擦り上げてザラザラ感を味わうと黙ってしまった。
もうひとつの集団はオリーブ色の貨物用大型コンテナを積んだ輸送用トレーラーが2台と、 黒の大型ワゴン車が1台の計3台で構成されている。
先頭を走る大型ワゴン車の車体中央寄りの後部座席には、李秀英の姿があった。
こちらも酷く急いでいるようで、しきりにドライバーへと指示を出している。
それは和也と一緒に自己紹介をした時の流暢な日本語ではなく、彼女の母国語によるものだった。
『うちが後れを取る訳にはいかないの、急いで!、まさか何も動きの無かった米帝に先を超されるとはね、失態だわ!』
『日本の勢力も同じように倉庫に向かっているという情報が入っています』
そう答えるのは助手席で7インチのタブレットらしき機器を操作している若い男。
秀英はチラリとルームミラー越しに後方の大型トレーラーを確認すると、隣の老人に問いかける。
『本当に大丈夫なんでしょうね?、あんな化け物共の近くに居るのは心臓に良くないわ!』、
化け物とは、何であろうか?
彼女の言葉が、後方のトレーラーに積まれた大型のコンテナを指している事は間違いが無い。
『心配は無用だ、充分に洗脳は済んでいる。 それにこれがある限りは、我々に危害を加える心配は無い』
そう言って、その老人が秀英見せたのは、太く大きなロック装置が付いている長いベルト。
老人はそれをバッグに仕舞うと、次に手首に巻いた太い金属製の腕輪を見せた。
秀英も、他の同乗者も同様に自らの手首に装着された太い腕輪を確認していた。
『その八坂和也とか言う坊主、炎を操る謎の技と体術を少し使う程度と聞くが、その程度であればアレを見たら小便を漏らして命乞いをするだろうさ』
愉快そうに、くくくっと声を漏らして笑う老人。
秀英は、前を向いたまま黙って答えない。
あれは体術と言うには余りに無様な動き、だがその瞬間的な動作速度はその道の達人に匹敵するものだった。
そして、その前に感じた体の周りを微かに覆う気の揺らぎのようなもの、あれは何だったのか……
そんな二組の、それぞれ異なるバックを持つトラックとトレーラーの車両軍団は、別々のルートを通って和也の居る港湾倉庫に向かっていた。
やがて目的地である倉庫の直前で互いの道路は交差する。
二つの勢力は奇しくも和也の居る大きな倉庫の前にある、海に面する幅広い場所で鉢合わせをする事になった。
「部隊の展開準備完了しました!」
そんな連絡がインカムを通して車を降りた西房に伝えられると、彼は自分の鼻を擦っていた左手の中指をぺろりと舐めて前を向き、声も無くニヤリと大きく笑みを見せた。
彼が片手を上げると僅かな油圧機械の動作音を響かせて、大型貨物トラックの金属製荷台の側面に設置されたガルウィングドアが羽を広げる昆虫のように上に開いてその中身を晒してゆく。
「さぁ、私の可愛いお人形さん達、予定外のお客様だけど丁寧にお出迎えするのよ」
何処か嬉しさを堪えきれない西房の眼前から凡そ30m程離れた場所に大型のトレーラーが停まっており、そこには終業式の日に和也のクラスへと転校してきた李秀英が数名の人民服を着た男達と一緒に立っていた。
彼女の後ろにあるトレーラーから次々と出てくるのは成牛程もある大きな黒い犬のような動物と、体高が楽に3mはあろうかと思われる異様な巨体のゴリラのような生き物だった。
しかし、よく見ると黒犬は奇形で頭が二つあり、ゴリラと思われた筋肉の塊のような巨体の上には人の顔を猪のようにデフォルメした醜い顔が付いていて、その大きな口からは牙のような物がはみ出している。
その体には金属製の鎧のようなボディアーマーを身につけ、その手には巨大な金属製の棍棒を握っている。
「お前らの国では遺伝子改造に血道を上げているとは聞いていたが、化け物連れとは穏やかじゃ無いな!」
狂喜にに満ちた笑いを浮かべている西房の横で、鮫島はそう叫ぶ。
「それは、お互い様でしょ!。 そちらこそ、お出迎えにしては大げさじゃないかしら!」
李秀英が良く通る声の日本語で言い返しながら、西房と鮫島の後ろを指指す。
「鮫ちゃん、あなたも早く着替えてらっしゃい。 あなた用のは私が特別に改造して、不自由な右手と左足でも使えるように直接神経伝達装置を取り付けてあるんだからねっ!」
尚も秀英に向かって言い返そうとしていた鮫島は、言いかけた言葉を素直に飲み込むと周囲の助けを借りながら、鮫島の特別サイズに合わせて改造されたこれまた特別製のコックピットに収まった。
「俺はよ、狭いのは嫌いなんだよ」
乗り込む際に、そう吐き捨てるように西房に言うのだけは忘れない。
「こう見えても臆病だからな!、美女のエスコートにはタキシードを着ないと落ち着かないのさ!」
秀英に聞こえるか聞こえないか判らない程の声で先程言いかけて止めた言葉を口にした鮫島は、体高が3m以上はあろうかと思われる大きくダークグレーに塗装されたアームドスーツの、ボディ前面にある狭いコックピットをカバーする分厚い胸部前面装甲をゆっくりと閉じた。
「技術大国日本が秘密裏に開発中と聞いていた菱川島重工のアームドスーツ、そのコードネームが確か[ タキシード ]だったかしらね」
そう言い返す李秀英の真っ赤な唇から覗いた長い舌が自身の唇の乾きを癒やすようにペロリと左右に動いた。
「獣相手とは少しばかり予想が違って不本意だけど、精一杯エスコートさせていただくわ!」
ダークグレーの大きな機械人形を見て驚きもしない李秀英の軽口に鼻白んだ西房は、皮肉を込めてそれに応えた。
「うちのペットもパーティ会場に同伴させたいんですけど、宜しいかしら」
そう微笑みを絶やさずに李秀英が指図すると、両脇に控えていた異形の獣たちは鮫島たちのアームドスーツに向かって突進を開始した。
「ああ、近所迷惑にならないように静かに頼むぜ」
鮫島の乗った機体から、そんなスピーカーを通したような音声が聞こえた。
「派手な音を立てると、警察が飛んでくるから全員火器の使用は控えなさい!」
西房の指示が下ると、ギュィーン!、カシューン!、と金属が軋む音と機械の動作音をさせて、鮫島の後方に並んで待機していたダークグレーの一団が立ち上がる。
そのアームドスーツ部隊も、素早い動きで地響きを上げて異形の獣たちを迎え撃つ為に突進を始めた。




