036:厄災の華(中編)
その頃、美緒の身に降りかかった出来事を何も知らず、俺は指定された場所に向かっていた。
MPの残量も気にせず港湾倉庫の屋根から屋根を空間転移して、ようやく辿り着いたのは目的となる倉庫の広い屋根。
月明かりがあるとは言え、ディスプレイの照明から自分の居場所がバレると不味いのでスマートフォンのGPSマップ機能で目的地なのかどうかを確認する事はできないが、恐らく間違ってはいないはずだ。
屋根の上から周囲の様子を伺ってみれば、その倉庫の中を含めて広範囲に人が示すと思われる様々な反応が感じ取れた。
それは、自分一人が目的だとするには、少しばかり大げさすぎる人の数のように思える。
目的の倉庫の屋根にある明かり取りの天窓から中を覗いてみると、薄汚れたアクリル窓から覗ける倉庫の内部に紫織が縛られて椅子に座らされているのが確認できた。
「あの見覚えのあるシルエットは紫織に間違いが無い!」
紫織の横には義則だろうか、男が一人縛られたまま椅子から転げ落ちたように床に倒れていて、気絶でもしているのか動く様子が無い。
紫織の近くには癖毛で茶髪の中年男が居る。
周囲に居る大柄な男達と違って一人だけラフな紺のパンツに白いシャツを着たそいつは、倉庫のだだっ広いコンクリートの床に置かれた運搬用のパレットに積み上げられた麻袋の上に腰を預けて立っている。
そして、その男を囲むように夏だと言うのに真っ黒なフードの付いた暑苦しいロングコートを被った、プロレスラーのように2m近い上背とアメフトのプロテクターでも下に付けているかのような圧倒的な肉体の圧力を感じさせる大柄な男達が5人、常に周りを警戒しているかのように周囲に気を配りながら茶髪男を囲んでいた。
おそらくは茶髪男のボディガードなのだろうけれど、この暑苦しい夜に着用しているロングコートのフードがその顔も覆っているのでどんな表情をしているのかすら遠目には判らなかった。
俺は意識を集中して室内の一点へと目を向ける。
その視線の先にあるコンクリート製の床を移動先の目標と定めると熱光学迷彩を纏ったまま空間転移した。
祭りの会場からずっとスキルを使い続けて動き回っていて、しかも連続して空間転移を使ったせいか明らかMPが減っているような小さな目眩を感じたが、MP回復力増強スキルを使うと倉庫の中に転移したポイントで黙ったまま動かずじっとして男達の会話を盗み聞きする事にした。
しかし残念ながら、それは日本語では無い言語で為されている会話で俺には何を話しているのかまったく判らなかった。
『中々来ませんね』
『いくら魔法が使えると言ってもそう簡単には来られないだろうさ。』
『ここまでは、それなりに距離がありますからね』
『魔法とか、そんなファンタジーじゃあるまいし、本当なんですか』
『ターゲットは掌から火を出したという信憑性の高い情報があって我々が動くことになった。 これは本国が本腰を入れて動くべき案件かどうかの調査も兼ねている、他に何があるか判らないが各自で耐火装備の確認をしておけ!』
意味は判らないが、なにやら上司らしき茶髪の外人さんが強い口調で部下に指示らしき事を言っているように見える。
俺は、姿を隠したまま壁沿いにゆっくりと、音を立てないように慎重に紫織が座らされている場所へと近付いてゆく事にした。
離れた場所に居る彼女がどうしているのかと様子を窺うが、俯いているので髪の毛に隠れてその表情を確認する事は出来なかった。
茶髪の男は、俺がもう近くに来ている事を知らずにまだ何か話しているが、その方が紫織の居る場所へと近付くのには好都合だ。
『今回の主目的はターゲットの能力を知ることにある、その上で我が国に有用と認められれば捕獲へと目的を切り替えるが、生かして協力してもらう為にも今回は火気の使用を厳禁する!』
『厳禁するも何も、命令で持ってきてないでしょ』
『俺たちが5人も居れば、相手が火器を持っていても対処は容易だろ』
『違いない、ははははは』
『魔術だかサイキックだか知らないが、俺たちには通用しないって』
『あー、ちなみに魔術と魔法は違うものだぞ、サイキックもそれとは別の概念だな』
『うるさいわ、ファンタジーオタクのお前には今日の任務は打って付けだよ』
『お前のようなリアリストは何を楽しみに生きてるんだ、ファンタジーには漢のロマンが詰まってるぞ』
『楽しみ?、金と女以外に何があるのか逆に聞きたいね、あ?』
緊張している俺と違って、男達は一人が口火を切った会話に反応して賑やかに談笑し始めた。
意味が解らないので、彼我の温度差の違いと紫織が置かれている状況に少しイラッとするが、隙が大きくなったのは間違いが無いだろう。
そして、一人床に倒れている義則も様子が気にはなるが、正直このまま義則だけを捨て置いて帰っても良いくらいには思っている冷ややかな俺が自分の中に居た。
どうみても日本人ではないその姿と言葉を見聞きすれば、今まで俺に接触しようとしていた鮫島のような日本人とは異なる人種の人達が何故無関係な紫織を使ってまで俺を呼び出すのか解らなかった。
話が通じないというのは困った物で、俺もどうやって彼らに今の苛立ちをぶつけて良いのかが思いつかない。
だって、俺はつい数週間前にリアル(現実世界)に戻ってきたばかりの普通の高校生なのに、こんな無茶な展開は荷が重過ぎる。
俺はスーパーマンでも無いし、悪と戦う物語のヒーローじゃ無いんだ!
自分には、そんな大きな器なんて欠片も無いし、人類の為に戦うなんてあり得ないし、痛いのも苦しいのも嫌だ。
困難に立ち向かうとか、そういうのはナルシストなマゾヒストがやっていればいい事だと思う。
俺にちょっかいを出してくる奴らは、どうして普通に訪ねて来ないのだろう。
これこれこう言う訳で力を借りたいとか言われても嫌だけど、余りにも強引過ぎないだろうか?
俺の18年の人生の中で、こんな強引に話も聞いてくれずに相手の都合で振り回されるような事は初めてだ。
親父やお袋や、家族や友達や教師や大人達との生活の中で、ここまで俺の生活が脅かされる事も身の危険を感じた事も無かったと言うのに……
彼らは俺に何をさせたいと言うのだろう…
確かに魔法を使えるというのは凄い事、いやリアル(現実世界)では絶対にあり得ない話なのだが、どうしてこんな関係の無い紫織を巻き込むような卑怯な手段を最初から使って俺に接触してくるのだろう。
そうは考えて見ても、紫織が居なければ俺は間違い無く此処に来ることは無かった。
だからこの強引な手段は、彼らにとっては効率の良い唯一の手段なのだろう事は俺にも内心では判っていた、でも解りたくは無かった。
何処から漏れたのか判らないが、俺が魔法を使える事は鮫島達には概知の事実だったように、こいつらも恐らく何かを知っているのだろう。
『それにしても、日本人にしてはいい女ですね』
『ちょっと子供なのは残念だな』
『判ってないな、これくらいが丁度良いんだよ』
『相変わらずロリコン野郎だな』
『おいおい、本物のロリコンが聞いたら怒るぞ、あいつらからしたらこの女は既に対象外だぞ!』
『細かい蘊蓄は要らないんだよ!』
『くだらん事を言ってないで警戒を怠るな、監視班からの定時連絡はどうなっている?』
茶髪の男がそう良いながら紫織に目を遣るのが見えた。
ようやく近くに近付いた俺の目に、口にテープを貼られぐったりとしている紫織が確認出来た。
それを見て、少しばかり頭が熱くなるが、大きく息を吸って気を落ち着ける。
今、何かすると紫織に危害が加わってしまうかもしれないのだ、慎重に助けなければならない。
そして、絶対に俺のせいで怪我をさせたくは無い。
これから起きることを想定して、慎重に魔力消費型防御結界を体の表面に沿って発動させる。
その上に身体能力上昇を中レベルで掛け直し、加速・物理攻撃防御スキルを上から重ね掛けして、熱光学迷彩を纏ったまま縛られている紫織に触れられる程に近づいた。
俺に関わった事が原因ならば、なんとしても無関係な紫織は助けなければ…… 。
自分が紫織を助ける理由を、無理矢理自分に対して言い聞かせていた。
祭りの会場とは少し離れた場所にある工事現場の作業小屋
昼間、和也と美緒が通った公園の外周路に沿って建てられていた簡易な造りの、工事が中止となったままの荷物置き場兼作業小屋である。
知らない若い男に手を引かれて兄が居るという作業小屋に走り込む美緒、だがそこに居たのは兄では無く顔と右腕に包帯を巻いた男を中心とする5人の卑劣な男達だった。
後ろで小屋の戸が閉まる音がして、その音を聞いて何が起きたのか理解した美緒は恐怖から体が硬直して動けなかった。
一瞬遅れて逃げようと振り返るが、男の一人に上着を捕まれて小屋の隅に放り投げられた。
余りの恐怖に声も出せない美緒に、男達が下衆な嗤いを浮かべながら取り囲むように近づいてくる。
「お兄ちゃん、助けて…… 」
絞り出すような美緒の声を聞いて、男達は更に何かを期待するかのような下卑た嗤いを浮かべるのだった。