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032:厄災の蕾

「和也くん」


 懐かしい言葉の響き、懐かしい俺を呼ぶ涼やかな声、無視して教室から出ようとした俺の意思に反して体は立ち止まり、紫織の方を見てしまう。


 今更俺に何を言おうとしているのか、まさか思い直したんじゃ無いか、と言う俺の甘い自分勝手な期待を打ち砕く紫織の言葉は… 、一言「ごめんなさい… 」だった。


 何故ここで、どうしてこんな俺を晒し者にするような場所で、その言葉を俺に投げかけるのか。

 そんなに俺が憎いのか、そんなに俺を打ちのめしたいのか?

 俺が紫織に何をしたって言うんだ…… 


 そんな想いが心を駆け巡るが、悪男たちから聞こえてくる嘲笑と嘲りの声を無視して俺の口から出て来たのは冷静で皮肉な紫織への問いかけだった。


「紫織は、いや葛西さんは俺に謝るような事をしたのか?」

 葛西さんと敢えて呼び直す俺の言葉に、紫織は蒼白な表情を更に硬くして俺を見つめる。


「少なくとも、こんな場所で話すような事じゃ無いよな」

「どうして、どうして葛西さんなんて呼ぶの… 」

 俺の言葉には応えず、紫織が訴えるように小さな声でそう言った。


 この状況で、どうして紫織と付き合っていた時のように相手に向かって呼べると言うのか、 そもそも俺に名前で呼ばれて嬉しいのか、まったく理解が出来なかった。


 俺を振ったのは、俺に名前で呼ぶ事を躊躇させる事をした当事者は紫織だって自覚が無いのか?、俺は女というものが理解できなかった…… 。

 名前の呼び方を変えるのは俺の意地でもあり、そして縁が切れた二人にとっては必要なケジメではないのか?


 紫織は大きな目から涙を溢れさせると涙声で俺に言った。

「何で私たちの話をちゃんと聞いてくれないの」


 聞いたらどうにかなったのかと言いたいのを我慢する俺だったが、聞き捨てられない言葉が俺の心を抉った。

「私たち、か…… 」


 その言葉の意味を理解して紫織は小さく息を飲んだ。


「それって結構残酷な言葉だなんだよね、葛西さんの口からそれを聞く俺にとってはね」

 そう言えば紫織と義則の事を、あの日から着信拒否にしてたっけなと思い返す。


 飽きもせずに罵声を浴びせる悪男たちと、好奇の目で俺を見る教室中の生徒達、ここにも俺の居場所は無さそうだ。


「何か俺に言って楽になりたいなら好きなだけ言えば良いさ、でも俺がそれを聞きたいかどうかは考えてくれないんだね」

「ごめんなさい、それは…… .」


 何か言いたそうな紫織を残して、足早に教室を出る。

 早いところ職員室で用事を済ませて帰りたかった、少なくともこの世で唯一俺を受け入れてくれる家族とバルの居る家に。


 職員室での話は、今更な留年の事情説明と新しいクラスで騒ぎを起こさないようにという注意だけだった。

 騒ぎを起こさないように、という注意は今朝の悪男たちとの騒動を指しているようだった。


 俺は、いきなり要注意人物扱いになっているらしい。


 まあ高校生で留年なんて余程の事が無い限り有り得ない事だろうから、平和に過ごしてきた教師達にも対応経験が乏しいのだろうと思う。


 まあ、誰が悪い訳じゃ無いのも判っている。

 あのゲームに巻き込まれたのが唯一の原因であり、俺の不幸の始まりなのだから。


 職員室から出て玄関へと向かって廊下の角を曲がると、妙蓮寺を始めとする悪男たちがニヤニヤと笑いながら待っていた。


「よぉ、待ってたぜデスゲーム君!」

 俺の後ろにさり気なく廻って退路を塞いだ二人は知らない顔だが、恐らく別のクラスに居る悪男たちの仲間なのだろう。


 角を曲がる前から待ち伏せはスキルで検知していたとは言え、見え見えの展開に少々呆れてしまう。

 こいつらの知能程度がお寒い状況なのは間違い無いだろう。


 自分たちを畏怖しない俺のような存在が居ると、クラスの中で自分の立ち位置が優位にあると認識できなくなる程度には、自分の中身が無い事は内心では判っているのかもしれない。


 もっとも、俺がこんなに暴力的な威圧に動じないでいられる一つの要因は、ひとえに俺が得た大きすぎる力への自信から来ている事と、もう一つは自分が心の底でどうなっても良いと幾分いくぶん自棄やけになっている事から来ているのは否めない。


 こいつらのコンプレックスを満たすために殴られるのは癪に障るが、我を通していさかいが長引く事は俺の本意では無い。

 スキルのおかげで痛くも痒くも無いのだから、ここは思う存分気が済むまで此奴こいつらに殴らせて、さっさと帰る事に決めた。


 俺が喋らなければ火に油を注ぐ事も無いだろうから何を言われても黙って遣り過ごす事に決めて、5名に増えた悪男グループに大人しく着いて行く事にした。


 俺の周囲を5名で取り囲むようにして俺の両腕を掴んで何処かへ連れて行く悪男グループと、抵抗もせず黙って着いて行く俺。


「なんだよ、ビビってんのか?、ずいぶん大人しくなっちゃったなぁ」

 耳元で囁くように悪男1が嬉しそうに言う。


 こいつの舌舐めずりが聞こえてくるようだ。

 他の奴らも、これから起こる暴力の臭いに興奮しているのが判る。


 目的地らしい体育用具室の前まで来たところで、既に発動時間が切れている「物理防御結界」スキルを掛け直す。


 魔法職の固有ルスキルであるエナジーコーティングの方が発動効果時間は長いが、ダメージを受ける回数に比例してMPを消費してしまうので、初めから短時間に多数の打撃を受ける事が判っている場合は一定量のMP消費で済む「物理防御結界」スキルの方が有用なのだ。


 用具室に入ったとたんに俺は背中から突き飛ばされて、積み上げられたマットの山に背中を向けて悪意に満ちた目をしている5人と向かい合うが、スキルのお陰でダメージは一切無い。


 悪男1(妙蓮寺)がポケットからバタフライナイフを取り出して見せつけるようにナイフの形にして見せる。

 家で何度となく練習したんだろうなと、その見えない努力に感心する俺。


 だけど、その努力は他の事に向けるべきだろうなんて、言ったら逆上する事が判っているので、何も言わずにナイフから視線を外さずに黙っている事にした。


「抵抗するなよ、抵抗したらブスッと行っちゃうからよ」

 相変わらず喋っているのは悪男1(妙蓮寺)だけで、他の奴らはニヤニヤと笑っているだけだ。


 このグループの主導権は悪男1(妙蓮寺)が持っているようだが、他の奴らも大差なく暴力への期待で興奮しているのが判る。


「怖くて声も出ないってか」

「ビビリちゃん、可愛がってあげますよー」


 悪男1(妙蓮寺)が俺が何も反応しないのを見てナイフを仕舞うと、俺の腹にいきなり膝蹴りを入れて来た。

 利き腕のパンチじゃ無いのは俺のせいで親指を脱臼しているからだろう。


 腰の入った良い膝蹴りだったが、生憎とダメージは無い(スキルが防御しているから当たり前なのだが)。


「すかしてんじゃねーぞ、ゴルァ」

「悲鳴を上げて助けを呼んでみろやっ」


 悪男1の膝蹴りを切っ掛けに5人がそれぞれ交代で殴ったり蹴ったりしてくるので、一応形だけでもガードしている振りだけして攻撃をすべて体で受けてやる。


 横から殴られてバランスを崩したところに蹴りの嵐が襲ってくる。

 形だけ頭を両腕でガードして膝を丸めて腹をガードし、無抵抗でやられている風を装うが相変わらず容赦ない打撃は続く。


 はぁはぁはぁはぁ…… 

 悪男たちの荒い息づかいだけが体育用具室内に充満している。


 俺が殴られ始めてから2分も経過しただろうか、全力で人を殴り続けるのは真面目に心肺機能を鍛えていない素人には容易な事では無いのだろう。

 全員が激しく息を荒げている。


 倒れている俺を悪男1(妙蓮寺)が痛んでいない左手で引きずり上げて、腹をサッカーボールのように蹴り上げてくる。


 ここは吹っ飛んだ方が早く終わるかなと思って、派手にバスケットボールを入れてある鉄籠に突っ込んでみたが、鉄籠に捉まって立っているのがやっとのような演技をしている俺に、再び男達の蹴りとパンチが浴びせられる。

 こいつらは何時になったら飽きるんだろう。


「てめぇ、なんで黙ってるんだよ、助けて下さいって泣いて詫びて見せろつぅ~んだよ!」


 苛立ったように悪男1(妙蓮寺)が叫ぶが、そんな事は知った事じゃない。

 と言うか、今喋ったら間違い無く余計な事を言う自信がある。

 とにかく早く終わらせたいので、余計な事を言わずに黙るしかない。


 殴り疲れたのか、他の奴らは壁に寄り掛かって息を整えているようだった。

 激高しているのは、この場で悪男1(妙蓮寺)だけだった。


 そのタフさに敬意を表して今後は妙蓮寺と呼んでやろうかと思った矢先に、悪男1(妙蓮寺)が余計な一言を漏らした。


「何でてめーみたいなフニャチン野郎が葛西なんかと付き合ってたんだよぉ!、ボケがぁ!巫山戯んじゃねーよ」

 突然、紫織の名前が出たのに驚いて妙蓮寺の方を向いて彼の目を見てしまう。


 まさかこいつが俺に絡んできたのは嫉妬が原因だったのか、驚きと共に浮かんだ侮蔑の表情に妙蓮寺は敏感に反応して右手で俺を殴りつけてくる。


 右手は親指が脱臼しているはず、そう思ってパンチを受けてやると妙蓮寺は激痛に呻いて右手を抱え込んだ。


 紫織の話題が続かないようにと、俺はここで初めて口を開いた。


「残念だったな、俺はもう別れたから紫織は関係無いはずだろ」

 自嘲気味に呟いた俺の一言は逆効果だったようだ。


「あの女、もう別の男と付き合ってやがる!!、まるでビッチだな」

 嫉妬と憎悪が剥き出しになった醜い顔で妙蓮寺は紫織を侮辱したが、それに釣られてしまっては話が長引いてしまうし、そんな話題は何より俺自身が避けたかった。


「俺にはもう関係無い話だ」

 そう吐き捨てるように言うが、妙蓮寺は勝ち誇ったように言ってはいけない言葉を俺に投げかけた。


「犯ってやるぜ、あの女は美味そうだからなぁ」

「なっ!… 」

 俺の反応に調子に乗ったのか妙蓮寺は更に言葉を続けた、言ってはいけない台詞を。


「みんなで輪してビデオに撮って俺たちの肉便器にしてやるよ、どうだ羨ましいだろうが」

「散々使い回した中古で良かったら、お前にも回してやんよ」

「うひょ~、楽しみだなぁ」

 下卑た笑い声が用具室に響き渡る。


 俺の中で何かが切れそうに膨れ上がったその時、見張りをしていた男が警告の声を発した。

「おい、誰かこっちに来るぞ」

「やばい、体育の野島だ」

 その途端に慌てて用具室から我先に逃げ出す妙蓮寺の仲間達。


「デスゲームちゃん、また今度遊んでやるよ」

 俺にそう言って踵を返そうとする妙蓮寺の襟首を掴んで手元に引き寄せると、後ろから耳元で囁いた。


「紫織に手を出したら全員殺すぞ」


 殺すぞ、というのは脅しでは無く文字通りの意味で使ったつもりだ。

 今の俺には、実行可能な力(魔力)がある。


 例え紫織から振られたとは言え、それでも紫織に何かする奴が居たら力を押さえておく自信は無い。


 酷い目に遭って後悔して欲しいという醜い欲望がチラチラと心の底から垣間見える反面、それ以上に俺はまだ紫織を害する奴を許しておけない程彼女の事が大好きだった。


 そんな俺の言葉に一瞬ビクッっとした妙蓮寺だったが、そんな反応をしてしまった自分に腹が立ったのか、見る見るうちに顔を真っ赤にして俺の腕を振り解くと、入り口のドアまで駆けて行き、俺の方を振り返った。

 

「やってみろよ」

 妙蓮寺は、中指を上向きに突き出す仕草で捨て台詞を吐いてあっという間に逃げ出してしまった。


 ちなみに野島というのはマッチョな体育教師で柔道部の顧問もやっている、妙蓮寺達のようなDQNの天敵のような教師である。


 俺は何事も無かったように「クリーンナップ」の魔法を使い制服の汚れを払うと体育用具室を出て玄関に向かった。

 途中で野島先生とすれ違ったので、すれ違いざまに「ナイスタイミングでした、ありがとうございます」と意味が判らないだろう事は承知でお礼を言っておいた。


「どうした、何かあったのか?」

 当たり前だが、お礼の意味が判らないらしく聞き返してくるのを無視して、「いえ、お疲れ様です」と言って、先を急ぐように小走りに渡り廊下を走り旧校舎の廊下を抜けて新校舎と旧校舎の間にある正面玄関へと向かった。


 すると、玄関の大きなガラス扉の前で紫織が誰かを待つように立っていた。


 義則を待っているのかと一瞬で思い至り、上履きから靴に履き替えると彼女を見ないように足早に出て行こうとした俺が、なんと紫織から呼び止められた。


「和也くん、待って!」

 行き過ぎようとした俺は、思わず彼女の横を通り過ぎた処で立ち止まってしまう。


「お願い、少しで良いから話を聞いて」

 哀願にも似た口調で投げかけられた言葉に、俺は少しばかり動揺してしまったが、何も言葉を返せないで紫織に後ろ姿を見せたまま動けなかった。


「今日は、義則は一緒じゃ無いのか?」

 そうして僅かな沈黙にも耐えられず、意に反して俺の口から出たのはそんな言葉だった。


「今日は用事があるからって、先に帰ってもらったの」

 後ろから震えるような紫織の小さな声が聞こえた。


 もう時間的に校舎に残っている生徒は少ない、俺の脳裏に妙蓮寺の汚い言葉が駆け巡る。


「ずっと、ここに?」

「うん… 和也くんが中々出てこないから」

 そう応える紫織、俺が教室を出てからもう小一時間は経過しているはずだった。


「妙蓮寺達もさっき帰ったはずだけど、見たか?」

「ううん、見てないよ」

 俺の問いかけに、そう応える紫織。


 あいつらは、まだ校内に居るのか?それとも別の出入り口から帰ったのか判らないが、紫織を独りで帰らせるのは不味い気がした。


 こんな大事な時に一緒に居ないなんて、義則の奴は何をしているんだ。

 義則と二人で一緒に帰る姿を目にすれば自分が酷く傷つくと判っていても、いまここで紫織を独りにする義則が許せなかった。

 かと言って俺が何かをする理由も縁も、もう何も無い事も判っている。


「とりあえず駅まで送って行くから、これからはなるべく義則と一緒に帰れよ」

 その言葉は同時に俺の心を傷つけるものだったが、これは紫織を守るためだと自分に言い訳してそう切り出した。


「どうして、そんな事言うの… 」

 気のせいか、紫織の声は涙声になっているように聞こえるが、きっと気のせいだろうと考えて俺が歩き出すと後ろから紫織が着いてくる足音が聞こえた。


 駅に向かう道すがら後ろで紫織が啜り泣いているような気がしたが、俺は後ろを振り向く事が出来ず、只ゆっくりと歩く事しか出来なかった。


 結局駅に着くまで二人は無言だった。

 駅前で別れ際に紫織が寂しそうな笑顔で俺に言った。


「ありがとう、前みたいに私のペースに合わせてゆっくり歩いてくれたんだよね」

 それを聞いて俺は何と応えて良いのか判らなくなり、口ごもっていると紫織は手を振って駅の改札口へと去って行った。


「ごめんね、もう昔みたいには出来ないよね、ありがとう」

 それが寂しそうな顔をした彼女が俺に残した、去り際の言葉だった。


「これじゃどっちが振ったのか、訳わからなくね?」

 去って行く彼女を見つめていた俺が呟いたのは、そんな疑問の言葉だった。


 どう記憶を遡っても、振られたのは俺で振ったのは紫織のはずだけど、なんかモヤモヤする。

 何処かで何かのボタンを掛け違ったような、そんな納得のいかない消化不良な気持ちだけが残るのだった。


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