020:猫のバル
胸苦しさに目を覚ますと、胸の上でバルが寝ていた。
俺が気付くと、バルも閉じていた目を開けて俺を見つめている。
こいつは、今何を考えているんだろう…。
猫というものは気まぐれで、本当に何を考えているのか解らない処がある。
冬場はいつの間にか布団の中に潜り込んで俺の腕を枕に寝ているくせに、夏場は枕の横で丸くなったり胸の上で香箱を作って寝ていたりする。
さすがに胸の上は寝苦しいので、そっと体をズラして布団の中に入れて腕枕をさせるのだが、それだと体温で暑いらしくベロリと俺の頬をざらついた舌で舐めて、もそもそと布団から出ると枕の横へ移動して其処で丸くなった。
身勝手で自由気ままだが、そこが猫の良いところでもあると考えている。
気が向かなければ呼んでも来ないし、気が向けばこちらの都合なんてお構いなしで膝に乗ってくる。
バルは美緒が産まれて間もない頃、ちょうど俺が3歳の頃に父親と出掛けた近所にある伊勢海神社の境内から拾ってきた猫で、もう今年で飼い始めてから15年になる。
当時怪我をして草むらに倒れていた大人の掌に乗るような子猫を見つけ、父親に「助けて欲しい」と泣いてお願いして動物病院に連れて行き、それ以来飼うようになったのが出会いである。
運が良い事に父親も猫好きで、当時は家に白い大きな雄猫もいて1匹が2匹になっても大差ないと父親に判断された事がバルにとっては運が良かったのだろう。
「バル」と名付けられた子猫は雌猫のせいかあまり体が大きくならず、既に家で飼っていた体重が7kgを超えて立ち上がると体長が80cm程になる雄猫の「ジャッキー」と比べると、いつまで経ってもスマートで生後1年程度の子猫のようだった。
何故バルと言う名前なのかは、拾ってきた時に俺がそう言い張ったと父親は言うのだがまったく覚えていない。
まあ、名前なんてものは言い慣れてしまえばそれだけのものだと思う。
俺が産まれる前から飼っていた銀目の白猫ジャッキーは体が大きいのにバルに頭が上がらないようで、バルと仲良くなりたいのか、いつもちょっかいを出しては威嚇されて凹んでいた。
そんなジャッキーが老衰で死んだのは俺が8歳の頃で、既に母親は家を出て居なくなっており俺と美緒の遊び友達としてバルの役割は大きかったようだ。
猫が大好きな反面、では犬は「嫌い」なのかと言えばそうでは無い。
どちらかと言うと「苦手」という表現が正解に近いかもしれない。
犬の何処が苦手かというと、その人なつっこさが苦手なのである。
一心に真っ直ぐに愛情を示してくる犬が、実は苦手なのである。
これは犬好きな人には加点になるポイントだけに、理解は出来ないと思う……
複雑な家庭環境のせいで、愛情をストレートにぶつけられるという事に慣れていないからなのか、どう反応してよいのか判らないという事もあるし、何だか判らないが「愛して愛して私を愛して、好き好き大好き」と示される愛情からは居心地が悪くて逃げたくなるという不可解な心理も働くようだった。
その点、猫に対しては子供の頃からずっと一緒だっただけに、来る者は拒まず去る者は追わず、そんなスタンスの付き合いは俺にとって気が楽なのであった。
もっとも、癒やされたいときはバルの気持ちも構わずお腹に顔を擦り寄せてふるふるしてしまう我儘が、何故か自分中では矛盾していないのも不思議な事だ。
小学校の時に転校先で馴染めず仲間にも入れず落ち込んで居た俺を、孤独というものから救ってくれたのはバルの存在が大きい。
もう猫で15年と言えば人間の老人の年齢で、そろそろ体も痛くなり触られることを嫌がる猫も居るのだが、幸いな事にバルは至って元気に遊び回っているのが俺や俺の家族にとっても嬉しい事なのである。