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019:愛しさと切なさの間

 和也のいない7ヶ月弱という期間は、まだ16歳の少女である紫織にとってあまりに長過ぎる時間だった。

 愛と言うにはまだ早く、恋と呼ぶにはまだ真似事に過ぎない関係…

 しかし、それでも和也の存在は知らず知らずのうちに紫織にとって大きなものになっていた。


 ゲームの中で知り合い、徐々にプライベートな話を語り合って行く内に好意に似た感情が心の内に芽生えたのは間違いが無いだろう。

 

 それがこんなにも、和也に会いたいという強い想いに変わるとは思っても居なかった。

 そして、それは紫織の心に自分が自分で無いような、今まで経験した事の無い不安をもたらしていた。

 

 和也とこれ以上深く付き合ってしまえば、自分の想いが引き返せない処へ行ってしまうのでは無いか、それが何と呼ぶべき感情であるのかを未だ知らない紫織にとって、悪戯いたずらに心をざわつかせる大きな不安でもあった。

 

 紫織は和也から届いたメールに返事を返せずに居た。

 なんと返したら良いのかが判らないのだ。


 一つは、自分の感情にまだ折り合いが付けられていない事への不安である。

和也の退院は嬉しいが、この訳の判らない感情がより大きくなってしまう事が怖いのである。


 もう一つは最近出来た母親の恋人から言われた、自分が和也と別れるしか母親を幸せにする道が無いという辛い言葉だった。


 母親の付き合っている相手は、ある宗教を熱心に信仰していた。

 母親も迷った末に入信をすることになったのだが、その相手が母親が居ないときに紫織に密かに告げた辛い条件があった。

 

 それは娘になるであろう紫織も、紫織が付き合う相手も、母親の相手と同じ宗教を信じる者でなければならないという条件。


 それを紫織が飲めなければ、母親とはもう付き合えないし別れるしか無いと相手の男に懇願されたのだ。

 

 相手の男は紫織の母親を愛しているし幸せにしたいが、同じものを信じる仲間でなければ付き合いを続けることも結婚することも出来ないと、苦しそうに紫織に告げた。

 紫織に向かって相手の男は床に擦りつけるように頭を下げて、娘ほども年齢の離れた紫織に縋り付くように懇願をしてきたのだった。


 ここ半年余りの母親の幸せそうな笑顔を思い出すと、それを無下に断ることは紫織にとって困難な事であったとしても無理は無い。

 紫織は、小さい頃から母親が自分の為に苦労をしてきたのを知っていたから……



 紫織が3歳の時に両親が離婚して父親は出て行った。

 母からは、父が他所に好きな人が出来て紫織と母を捨てて出て行ったと聞いた。


 母方の祖父母も、父親を酷い人だと紫織に言って聞かせるのだが、紫織は優しかった父親が好きだった。

 どうして父親が自分を捨てて出て行くのか、それが理解できなかった。


 3歳だった紫織に当時の細かい出来事は思い出せない。

 しかし、突然の別離は紫織の心に固い防壁を張らせる事になる。


 どんなに紫織が側に居て欲しくても大事な人は、ある日突然、紫織の都合などお構いなしに居なくなってしまうのだと…

 大人の事情が判らない紫織は、父親が自分を捨てていったのは自分を嫌いになったからだと思い込んだ。


 嫌われると捨てられる、どんなに好きでも人はある日突然離れて行く、だから嫌われないようにしよう、幼い紫織の心にトラウマはそうやって刻み込まれた。


 紫織が親しい人を含めて喜怒哀楽の「怒」と「哀」の表情をあまり見せなくなったのは、その頃からである。

 いつもニコニコしている愛らしい紫織ちゃん、と言うのが当時からの紫織の評価だった。


 紫織は大事な人が自分から離れて行くのを異様に怖がる女の子になっていった。


 母子家庭の生活も経済的に楽では無かったと思う。

 他人に対して(表面的に)甘え上手になっていったのも、この頃からである。


 自己主張の弱い愛想の良い、甘え上手な可愛い女の子、それが紫織である。

 誰も紫織の心の闇を知らないし、知らせようとも思わなかった。


 年齢と共に美人に育って行く紫織に声を掛ける男は大勢居たが、父母の離婚から男性不信のトラウマを植え付けられたからか、男性とは距離を置くようになっていた。


 勿論女性とも紫織の立場から見て、相手が紫織を親友だと思って居るかもしれないのは判っているが、紫織からすれば紫織の第一防衛ラインを超えた友人は誰も居ない。


16歳ともなれば人並みに恋愛への憧れもあるが、同時に理不尽な別れへの恐怖もあっていつまで経っても先へ進めないのだ。


 そんな紫織にとって、オンラインゲームという『他人に自分を知られずに防具キャラクターを付けた匿名希望の状態で』、自分の都合に合わせた時間だけ触れあえる環境は、彼女の心に空いた大きな穴を少しばかり埋めてくれる遊びであった。


 オンラインゲームでは自分のキャラクターの職業として戦士を選んだ。

 積極的に前に出て戦うキャラクターは、消極的な紫織の憧れる姿でもあったのだ。


 普段の自分とは違う、ゲームキャラクターのセクシーな防具も積極的に身につけてみた。

 他人に対して安全な位置から、自分の都合で触れ合えるオンラインゲームは楽しかった。


 女性キャラクターはゲーム内でも色々と親切にしてもらえたのだが、必要以上に男性キャラクターと親しくなるのはゲームの中であっても苦手で、自分の装備やお金だけは誰にも頼らず自分の力で手に入れるようにしていたため、中々レベルも上がらなかったのも事実である。


 和也とゲームの中で出会ったのは紫織がまだ低レベルで苦戦している時だった。

 たまたま、そのエリアを通過しようとしていたと言う和也は、苦戦してた紫織のキャラクターに声を掛けてきたのだ。

 

「迷惑で無ければ、少し支援しましょうか?」


「すみません、お願いします…」

 ちょうど回復ポーションも底を尽きかけていたタイミングだったので、紫織は素直にお願いした。


 メイン・マンドレークという名前のキャラクターを名乗っていた和也は、ベテランゲーマーらしかった。


 回復魔法ヒールを最初に掛けると、身体能力増強ブレス加速スピードアップ、ダメージ減少などの支援魔法を次々と掛けてくれただけでなく、戦闘中のモンスターの弱点や動きの癖なども教えてくれ、無事に勝つことができたのだった。


 戦闘が終わると和也は「じゃあ頑張ってね~」と去り際に支援魔法のフルコースを紫織に掛け立ち去った。


 またいつものように、色々と話しかけられたり誘われたりするのかなと警戒していただけに、その去り際はあっけなくていささか物足りないと思うくらいだった。


 その人と同じ名前のキャラクターを見かけたのは別のエリアだった。

 彼は他の低レベルキャラクターに支援魔法を掛けて、その戦闘を助けていたようだった。


「こんにちは、この間はありがとうございました」


 紫織が和也に声を掛けると「いえいえ~、気にしないでね」と返事が返ってきたが、それだけ言うとまた戦闘中のキャラクターに支援を続けていた。


 何故か、会話が続かない事に不満を抱いたのは紫織の方だった。

 (なんか、女の子がお礼を言っているんだから、もう少し会話とかあるべきなんじゃないの~)


 自分からは必要以上の接触を避けておきながらも、素っ気なく扱われるのには不満を抱くという身勝手な感情ではあるのだが、それもまた人間らしいと言えばその通りなのだろう。


 紫織が心の中でブツブツと愚痴を言っていると、和也が紫織に突然支援魔法を掛けてきた。


「一緒にやりませんか?、丁度彼らと同じくらいのレベルみたいだし」

 和也がそう言うと、紫織の目の前にパーティの加入要請ウィンドウが開いた。


 今日は暇つぶしに低レベルキャラクターを集めて、レベル上げ支援の臨時パーティを開催しているのだと言う。

 紫織にとってずっと避けてきたはずの、初めてのパーティ参加だった。


 戦闘が終わった後はアイテムを分配しながら雑談になったのだが、色々と冗談を交えて疑問に答えてくれる和也の話は楽しかった。

 漠然とではあるが「いい人なんだろうな」、そう思った。


 後日、和也のキャラクターへお礼のメッセージを飛ばしてみたのは紫織の方からだった。


 匿名の、いつでもログオフすれば逃げられるという環境が紫織を大胆にしていたのかもしれない。

 それが切っ掛けで、和也とのメッセージの遣り取りが始まったのだ。


 和也は何故か、紫織が近づくと逃げるタイプだった。

 そんな和也に業を煮やしたのか、いつも紫織が和也を誘い多少強引に一緒に遊ぶようになっていったのだが、それは紫織にも意外な自分の行動であったのだ。


 一緒に居る時間が増えるに連れて和也との会話は増えていった。

 いつの間にかプライベートな話もするようになっていった。


 それもこれも本来の自分ではない、キャラクターという匿名の仮面を付けていると言う安心感からだったのかもしれない。

 あるいは、女性の友人では埋める事の出来ない男性の友人を心の底では求めていたのかもしれないが、それは紫織自身にも判らない。


 和也の家庭も紫織の家庭と同様に、両親の離婚による片親の家庭であった事も、込み入ったプライベートな心情を話す気になった理由なのかもしれない。


 現実世界リアルでは出来ない、お互いの弱みをさらけだす事もオンラインゲームの中では自然と出来た事が二人の仲を接近させた一番の理由なのだろうか……。


 ゲームの限られた時間だけでは物足りなくなってしまった紫織は、和也にリアルでも会って話してみたいと思った。


 自分は人並みに可愛い容姿をしているという客観的で小さな自負も密かには有ったが、今まで自分から誘った事が無かっただけに、もしかしたら和也の消極的な態度は自分なんか好みじゃ無いかもと言う、そんな不安も大きかった。


 これは紫織だけでは無く、敢えて悪い方に考える事でダメージを受けた場合の予防策を採ろうとするのが人の常であるだけの事なのだが、そんな自分の心理を紫織は知る由も無い。


 勇気を振り絞って、冗談めかして「現実世界リアルでも逢ってみたいな」と言った紫織の胸の鼓動を知ってか知らずか、和也の返事は積極的なものでは無かった。


 現実世界リアルの和也は口べたなのだと言う。


「きっとガッカリしちゃうよ」

 そう言う和也は、リアルの自分に自信が無いらしかった。


 どうやらゲームの中で上手く話が出来ているのに、お互いに敢えて現実世界リアルで逢う必要は無いんじゃないか、と言うのが理由らしい。


 それを聞いて紫織は、和也が現実世界リアルでは冴えない男の子なんだろうなと想像してしまった。


 紫織は相手の容姿をあまり気にしては居ない。

 それは恐らく自分の容姿にコンプレックスをあまり持っていないからだろう。


 アクセサリーとして格好良い相手を求めるのは、恐らく自分自身へのコンプレックスの裏返しなのだろう。

 半ば意地のようなものもあって度々誘って来る紫織にようやく和也がOKを出したのは、それからしばらく経過してからの事だ。


 待ち合わせして逢ってみると予想外に和也は背が高く、そしてまたスマートなスタイルをしていた。

 肝心の容姿も多少顔はゴツゴツしていて、目元はゴリラっぽくて怖い感じもするが鼻筋や目の周りは彫りが深くて見方を変えれば外人のような顔つきだった。


 紫織を初めて見た和也も美しくスタイルの良い紫織を見て絶句していたので、紫織は内心でガッツポーズを作るのだった。


 紫織も和也に惹かれていったのだが、紫織に逢ってからの和也はどんどんと紫織に惹かれて行くようで、それが嬉しくもありそしてちょっと怖くもあった。


 和也がオンラインゲームに取り込まれた日、河原で和也が自分と手を繋ぎたがっているのは判っていた。


 自分も、和也ともっと近づきたいと思って居たので遠慮がちに触れてきた和也の手から逃げることは無かったのだが、その反面で和也との距離が近くなればなる程、もしも和也と離れる事になったら自分の心は耐えられなくなるのではないかと考えると、それが父親が突然居なくなったあの日の事を想起させ心のトラウマを強く刺激するのだった。


 和也と手を繋ぎながらの帰り道で紫織はそんな事を考え、和也への気持ちがこれ以上深くなる前に自分から離れるべきでは無いのか、そう自問自答していたのだ。

 そして、その日それは現実となり紫織の心に大きな陰を残した。


 和也くんも突然私の前から居なくなってしまった、私に何も告げずに……

 和也の事情を考えれば理不尽な感情ではあるのだが、大事な人が居なくなるという恐怖は彼女の幼い頃に心に刻まれた大きな心的外傷トラウマを呼び起こすには充分だった。



 和也へと、より傾いて行く自分の気持ちと、それが何なのか知識で知ってはいても認めることが出来ずに不安で怖いとさえ思っていた紫織。

 

 母親の付き合っている相手から「母親には内緒で、会って話がしたい」と言われたのは、和也がゲームに取り込まれて暫く経ってからの事だった……

 

 

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