016:魔力再確認
それにしても、せっかくの退院当日だというのに後味の悪い出来事だったなぁと一人心の中で呟くと、俺はバルを連れて二階にある自分の部屋へと向かった。
そう、まずは電池切れのスマートフォンに充電をしなければ紫織に電話もできないじゃないか!
もう心は先ほどのトラブルからも家族会議の内容からも切り替わっていた。
まずは紫織に退院の連絡をして、リハビリでしばらく逢えない事も伝えなければと、充電もそこそこにメールを打つ事にした。
いつもなら…と言っても、正確には約7ヶ月弱前ならと言い直すべきだが、すぐに帰ってくるはずのメールが返ってこない。
まだ日中だし紫織も授業中だと言う事に思い至って、少しばかり安心して返信を待つことにした。
返信が来るまでの持て余す時間をどうしようと考えていたのだが、一つ気になっていた事を思い出して俺はそれを試してみる事にした。
机の引き出しからカッターを取り出しカチカチと刃を繰り出すと、それを掌に近づけて行く。
刃が掌に触れる直前に大事なことに気付き、慌てて目を閉じてある事を念じて再びカッターの刃を掌に近づけて行く。
それを金色(金目)と水色(銀目)のオッドアイで見ているのはバルだけである。
これから、あの点滴針を防いだ小さな防御魔方陣が俺の見た夢だったのか、それとも見間違いでは無い事実だったのかを確認しようと言うのだ。
目をつぶって念じていたのはゲーム内で言うところの物理防御魔法の発動である。
カッターの刃が掌に触れるが、何も起こらない。
「なんだ、やっぱり見間違いか…」
刃を離そうとするが、思い返して更に掌に少しずつ押しつけて見る。
誰だって痛いのは嫌なのだから、本当に恐る恐るである。
刃先が柔らかい皮膚を押し込んで触れている皮膚が窪んで行く、これ以上押すと切れるという瞬間に刃先が当たっている場所を中心に小さな魔方陣が発動してカッターの刃先がそれ以上皮膚にめり込む事は無かった。
「やっぱりマジだったんだ…」
目の前で展開される魔方陣の発動には驚いてしまったが、何度やっても同じ事が起きるので更に行動は大胆になる。
40cmの長いプラスチック製の定規を手にすると二の腕に押しつけて見るが、何も起きないし、押しつけられているという感触はある。
思い切り息を吸い込むと定規を振り上げ、一拍おいて思い切り振り下ろす。
思わず反射的に目を閉じてしまうがバチッ!という派手な音がする割に何かが軽く当たった程度の感触しかせずに、まったく痛くない。
みみず腫れや内出血くらいは覚悟していたのだが、何も傷一つ付いていない二の腕をみて再び定規を振り下ろす。
今度は目を瞑らないで当たる瞬間を見逃さないように集中したために、定規が二の腕に当たる瞬間にカッターの時より少し大きめの魔方陣が発動したのが見えた。
「マジかよ…」
それを見て俺は思わず息を飲んだ。
リアル(現実世界)に戻って来たと思っていたけど、まさかまだ夢の中に居るんじゃないだろうかと、一気に不安になる。
しかし、どう見ても此処にはバルも居るし自分の部屋に間違いは無いしリアル(現実世界)である事は間違いようのない事実の筈だ。
何が何だか判らなくなって混乱してしまい、俺はカッターを握ると思い切り二の腕に突き刺した、いや突き刺そうとしたが発動した魔方陣に阻まれて傷一つ無い二の腕には何かが当たった軽い感触があるだけだった。
「嘘だろ…なんでリアル(現実世界)で防御結界が使えてるんだ」
ゲームの魔法だとすれば防御結界を1回張る度に一定量の魔力を消費する事になっているので、あの僅かな魔力消費感も納得できる。
ゲームと同様であれば、元々スキルとして存在していた魔力や物理のダメージ軽減結界が必要とする魔力消費量は、決して小さいものでは無かった。
紙装甲と揶揄される程に基本防御力の低い魔法使いにとって、一番メリットを感じられるのがダメージ軽減スキルなのであったが、それなりに大量のMPを消費させる事を忘れるエリクサー社では無かった。
それは事件が起きる前までは大魔法1回分に相当する大きな魔力消費量という設定だったのだ。
しかし、ゲーム内拉致事件中の安全対策として「軽減効果」が「防御効果」へと大きく変わり、そのMP消費量は大幅に調整されて僅かなものになっている筈である。
その防御効果に俺はしばらく呆然としていたのだが、右の掌を上にして開くと火炎魔法のLv.1を念じてみる。
すると、掌にバスケットボール大の炎が発生した。
「うおぉっ!」
こっそりやっている筈なのに、思わず声が出た。
自分でやった事なのに、何故か俺は一瞬狼狽えてしまう。
「やっぱり出る、しかも無詠唱で」
ゲームの中でもログアウト不能期間中の特例措置として無詠唱で使えていた魔法だっただけに、もしかすると出来るかも、という予想はしていた。
しかし、現実に目の前に俺の意思で現れた炎の玉を目にすると、とても冷静では居られないのだが、この気持ちは判って貰えるだろうか?
実は無詠唱が出来なかったら、きっちりと詠唱をしてみようとも思っていた。
だが、そんな心配の必要も無かったようだ。
そんな俺を見て、バルは驚いているかのように俺をジッと見たまま長い尻尾をパタパタとベッドの布団に打ち付けていた。
「バルぅ~凄いだろう魔法が使えちゃってるんだぜー俺、どうなっちゃってるんだろうなー」
喜び半分不安半分でバルに話しかけるが、当然の如く「ニャー」という小さな返事しか帰ってこない。
「バル、二人だけの秘密だぞ~」
炎の魔法自体は、病室に居る時に一度試してみたことがある。
腕の防御結界を見て、他の魔法はどうなのかと炎の玉を出してみたのだが、いきなり天井の火災報知器が反応して大騒ぎになってしまい、懲りてそれ以来試してもいなかった。
何の痕跡も無く、元々火の気が無い病室である事から検知器の誤作動として処理されたのだが、その時は鳴り響く警報に滅茶苦茶ビビった記憶がある。
掌にあった炎の魔法を意識を切り替える事で解除して炎を消すと次は水の玉を出してみる。
俺の掌の上に突如大きな水の玉が、球の形状を保ったまま出現した。
「出来る!」
続けてそれを一瞬で凍らせて氷の塊を作り処分に困ってしまった。
それは、炎のようには消えてくれなかったのだ。
仕方なく、氷をゴミ袋に入れて溶けるまで放置してからトイレに流す事にして次の魔法を試してみた。
岩石、雷球、光球と出してみるがすべて思った通りに出てくる。
もっとも、大きさは自分が思っているサイズよりかなり大きめではあるが、魔法が使える事は間違いないようだ。
岩石は溶かしてトイレに捨てる訳にも行かず、風化の魔法で砂にしてから別のゴミ袋に入れた。
ゲーム内で使っていた魔法使いのスキルを、リアル世界に戻ったというのに自分が使える事に驚きながらも興奮は隠せなかった。
そうなると、自分が使えるのはウィザードのスキルだけでは無いのではないかと思い付き、机の上に放置されていた登山用のチタン製マグカップを両手を包み込むようにホールドして素材変換スキルをイメージしてみる。
手の中でマグカップが変形する感触を得て、両手を開いてみるとその中には灰白色の金属塊があった。
錬金術スキルも使える!
それを確認すると、今度はその塊の一部を分離させて掌の中で変形させてみるとイメージした通りにそれは指輪になった。
残りの塊を引き延ばすように両手で整形すると、それは想定通りに小さなチタン製の鋭いナイフの形状になってしまった。
恐らく、金床とハンマーがあれば自分は剣や防具も作れる事は間違い無い。
この様子では、自分がゲームで使っていた職業のスキルが恐らく全部使える可能性は高い。
それは怖いような面白いような不思議な感覚だったが、自然と笑みが零れてしまう。
これが病院で見ている夢で無いのなら、俺はとんでもない力を手に入れてしまったと言う事になる。
それは常識的に有り得ないという思いと共に、自分が手に入れた力をどう使っていこうなどと脳天気に空想を巡らしてしまう。
同時に俺は慣れない魔法スキルの連続使用で、いつの間にか後頭部が妙に疲れたような背中が少しばかり怠いような疲労感に包まれてしまった。
俺は椅子の上で思い切り両手を頭の上に伸ばして、一つ大きく息を吐き出した。
「和也、何をしておるのじゃ、夕食の準備が出来ておるぞ!」
最後に魔力を掌の上に集めて圧縮して魔力玉を生成してみようと再び集中した処で、ドアの外から突然イオ爺が自分を呼ぶ声が聞こえて我に返った。
集中が途切れたせいか掌にの上で乱回転していた魔力の小さな黒い塊が瞬時に掻き消えてしまう…
気が付けば、何時の間にか夕食の時間になっていた。
そして、その日はついに紫織からメールの返事が返ってこなかった。




