015:家族会議
母親が入信しているのは「ダイクーア教団」と言う、戦後の混乱期に立ち上がったカルト系宗教で、現在は多くの信者を集めて大きな神殿を富士山の麓に建てる程の勢力を誇っているらしく、今では社会全般に信徒が多く存在しているらしい。
それら信者からの多額の寄進による豊富な資金力と、高学歴や技術を持った信者の能力を生かしてIT企業や病院・学校などの経営にも手を伸ばしている、と言えば「ダイクーア教団」だけの話ではなく、宗教団体全般に良くある話なのかもしれない。
父賢蔵も母美智瑠の入信が判ってからは、苦労を掛けているのが判っていたので日常の生活に実害が無ければと積極的に口を出さなかったのだが、その後は母親の不在や経済的な問題で色々と生活に実害が出てしまったので辞めさせようとして、教団の実態を色々調べたのだと言う。
父親も母親も若いうちの結婚だったので、まだ働き始めたばかりで給料も安く経済的には苦労をしたらしい。
俺が産まれて母親も仕事を辞めなければならかった頃が一番大変な時期だったそうで、父親は毎晩残業で遅く帰ってくる、一人で子供の世話をしなければならない、経済的にも切り詰めなければやってゆけない時期に、母親は近所の人の誘いでその宗教にのめり込んでいったという。
それは世の中に有りがちな転落ストーリーだったと思う、それが身内の事でなければだが……
ただ一つの違いは、相手が「ダイクーア教団」だったと言うことなのだと思う。
これは父親側からの一方的な欠席裁判的な見解であるから、もしかすると母親側からの視点では違う部分もあるのかもしれない。
だが、恐らくは概ね事実関係に間違いは無いのだろうと思う。
事実がどうであれ、どちらか一方が悪いと言う事にしておけば物事は理解し易い事が判る程度には、俺ももう子供ではない。
理解し易いという言葉に語弊があるなら、判断に色々と悩み迷う必要が無い、と言い換えても良いだろう。
そう信じる事で心の落ち着き場所を求める行為自体は、信じて疑わない事で心の平穏を得ようとする、宗教にのめり込む人達と大きく変わらないんじゃないかとも、俺は思うんだけどね。
親父から告げられた嫌な話は、それだけでは無かった。
妹の美緒は当時小さかっただけに知らない話ばかりで相当心理打撃を受けていた。
しかし、俺が何よりも落ち込んだのは、ある程度察していた母の話ではない。
自分が留年したと言うどうしようも無い事実を親父に告げられた時は、やっぱりという諦めと同時に、これからどうしようという漠とした不安で俺の心は一杯になってしまったのだ。
そう、俺は留年していたのだ。
考えて見れば進級できよう筈もない、高二の2学期後半からゲームに閉じ込められて目覚めたのは翌年の6月末である。
高二の2学期の期末試験も受けていない上に既に三学期も終わり季節は夏を迎えているのだから、進級なんて出来るはずは無かったのだ。
俺の淡い希望は、ここで潰えた。
言葉や理屈では理解できていても、自分が留年するという事実を心が素直に納得出来る訳では無い。
毎年何人かは留年する者が居るような大学生であれば、まだ良い。
そもそも授業が選択制になる大学生は高校生と違って、一年間同じ席に座り全ての授業を一緒に受ける[ クラス ]という概念が無いのだから。
高校はそうでは無い。
今まで同じクラスだった連中は現在3年生、受験勉強の真っ最中であり俺の上級生でもある。
クラス替えのシャッフルは有るものの、全員が同じように進級する見知った仲間である。
然るに自分は今まで下級生であった生徒たちと2年生をやり直すのだから、もはや同級生だった仲間とは同じクラスの仲間という枠組みでは語れない。
そして俺がやり直す2年生のクラスでは、自分は他所からやってきた異邦人であるのだ。
「格好悪い」
それが真っ先に心に浮かぶ。
同じクラスの同級生に一人だけ「八坂先輩」とか「和也さん」と呼ばれるのも嫌だし、かといって「和也」とか「八坂」と呼び捨てにされるのも何か抵抗がある。
別に体育会系の部活動をやっていた訳では無いから、学年による強い上下関係で付き合いのある下級生は居ない。
しかし、今まで1年下だと思っていた者達と同じ学年でやり直すのは恥ずかしい、恥ずかし過ぎるのだ。
答えの出ない事実に打ち拉がれるのであった。
そして正式に学校へ通学するのは夏休み明けからと言う事で、学校とは話がついているらしかった。
まだ1学期の期末試験前であるが、リハビリと言う事で出席しなくても良いというのは学校側の配慮なのだと言う。
その後に出た話題は、俺のリハビリの話だった。
とにかく、落ちた筋力を元に戻さなければ近所のコンビニまで歩く事もままならないのが事実であるから、明日からから復学なんて言われてもタクシーで送り迎えして貰うのでなければ不可能に近い体力なのだ。
曾祖父の偉緒那から出た提案は、夏休みになる前に曾祖父の家に来て田舎の山村でリハビリをしてはどうか、という内容だった。
父親の実家でもある和歌山の山奥にある山村は、俺の住む街から新幹線と在来線とバスを乗り継いで行かねばならず、距離にしても500km程離れた遠い場所にある小さな村である。
小さな頃から夏休みと言えばそこで過ごしていたので夏休みを過ごす事に抵抗はない、行ってしまえば紫織と逢えない事を除けばだが……
(そして、俺自身にとってそれが最も重要な問題とも言える悩ましい問題でもあった)。
田舎には祖父母も曾祖父母も居るし、勝手知ったる第二の我が家でもあるのだが、紫織と離れたくは無い。
せっかくリアル(現実世界)に戻ってきたのだから、今まで逢えなかった時間を埋めるのが先決なのだが… それは家族に対して口に出して言える理由では無い事も理解している。
それに田舎にはネット環境が無いんじゃないだろうか、それは俺にとって大きな問題だ。
携帯電話だって繋がるかどうか怪しいのではと聞いてみると、意外な答えが返ってきた。
携帯電話は某会社以外であれば特に問題は無いらしい。
イオ爺ちゃんもレイ婆ちゃんもLTE(高速通信)対応大画面のスマートフォンを見せてくれた。
イオ爺ちゃんに至っては、7インチの最新型LTE対応タブレットまで持っていた。
「爺ちゃん、二回線持ちかよ!」
俺は思わず突っ込みを入れてしまうのであった。
確かに、満足にちょっとした距離を歩く事も苦労するような現状で紫織に逢っても心配をさせるだけだろう。
それに、そんな格好悪い姿を紫織には見られたくないという男のちっぽけな見栄もある。
早めにリハビリを済ませてデートが出来る程度に回復したら、夏休みが終わる前にこの街へ戻って来て紫織に逢おうと決めて、田舎へ行く事には同意した。
その間、妹の美緒と父親の面倒は、レイ婆と交代で祖母の千絵婆が来てくれるらしい。
今までも、こうやって交代で家事の面倒を見てくれていたのだ。
美緒は夏休み中も部活動があって田舎にはお盆の間くらいしか来られないので、一緒に行けないのを残念がっていたが、中学二年になって後輩も出来て部活動が面白くなっているのだろう、諦めも早かった。