013:退院の日
退院の日に、看護師さんたちから毎日可愛い彼女がお見舞いに来ていたわよと教えられたが、紫織が俺の様子を毎日見に来てくれていた事を知ったのは正直言って嬉しかった。
でも、それよりも気になるのは俺が目覚める数日前から紫織らしき女性が来ていないという事だ。
何かあったのだろうか……
そんな俺の心配は、病院を出る前から感じていた妙な違和感で打ち消されていた。
病院の玄関を出る前から、俺は首の後ろ側に妙な違和感を感じていたのだ。
その違和感は誰かにずっと見られているという何とも言えない違和感である。
そう、まるでゲーム中のように索敵スキルに感知されたモンスターが間近に居るかのような感覚の軽い物である。
反応の小ささから言えば恐るるに足りないのではあるが、ここは現実世界であるだけに有るはずの無い感覚が違和感として俺の心に不安の影を落とすのだった。
病院の玄関を出たところでイオ爺とレイ婆が自然に俺の右側に寄り添うのと同時に違和感の本体が自分の間近に近づいてくる事に気付き、そちらを振り向いた。
右側には俺を守るように立つイオ爺とレイ婆に遮られて良く見えないが、大きな肉厚の壁のような男が立っていた。
「失礼します、私はフリーのライターをしている鮫島と申します」
そんな声が聞こえてきた。
どうやら名刺を差し出しているようだ。
「この度は退院おめでとうございます、少しばかり今回の事件を調べておりましてインタビューの時間を取って頂けるとありがたいのですが、如何でしょうか?」
丁寧な言葉とは裏腹に威圧感のある人物だと、俺は感じた。
フリーのライターなどをやっていると色々と危ない橋も渡るのかもしれないな、などと考えているとイオ爺が名刺を見ながら断りの返事をしていた。
「鮫島 剛さんとお読みすれば良いのですか、生憎と和也は退院したばかりでしてなインタビューは遠慮してもらえませんでしょうかのぉ」
父親は美緒と一緒に和也の左側で、その対応を見守っている。
レイ婆は、さり気なく辺りを見回して和也の後ろに移動した。
まるでボディガードに守られている要人みたいだなぁと、お気楽に考えていると鮫島と名乗る人物は大人しく引き下がった。
「本日は顔見せという事で引き下がらせてもらいます、お騒がせしてすみませんね」
その時に男の顔が見えたのだが、愛想の良い笑顔と言葉の割に目は笑っていないように見受けられた。
一人きりの時に会ったら彼を拒絶できるだろうかと、少しばかり不安になる威圧感だ。
そんな事をしているうちに到着した、事前に依頼していたワンボックスカーのタクシーに乗り込み久しぶりの自宅へと向かう事に、俺はワクワクしていた。
「また後日話を聞かせて下さいね~」
声を掛けてきた巨体のフリーライターの男は笑いながら言っていたが、それを無視してイオ爺がタクシーのドアを閉めた。
マスコミの人というのはTVで見ている時は相手の都合も考えずに迷惑だよなぁと思ったものだが、実際に体験してみるとそれは非常に鬱陶しいとしか言いようのない迷惑な行為でしか無かった。
「フリーの記者ってのは、サラリーマンの記者と違って粗野な感じの人が多いのかなぁ」
父親が独り言のように呟く。
「なんか熊みたいな虎みたいな怖い人だね」
美緒の感じた印象に、俺も近いイメージを頭に描いていた。
その体躯の大きさからくる威圧感を美緒なりに述べるとそんな感想になるのかもしれない。
俺はその体の横幅の広さから蟹を連想していたのだが……。
「フリーの記者さんっていうのは、色々記事を書くために危険な事もあるんでしょうねぇ。 どこか修羅場を潜ってきたような雰囲気があるわね」
そう言うレイ婆にイオ爺が無言で頷く。
「相手にしない方が良いんだよ、あんなの」
吐き捨てるように言う俺だったが、正直なところフリーライターの鮫島と名乗る男の雰囲気に気圧されていた事を認めたくなくて、強気な言葉を吐いている自分にも内心で気が付いていた。
オンラインゲームでの拉致監禁事件も発生当時は大ニュースだったが、7ヶ月も経過すれば人の興味も薄れようと言うものである。
退院時の取材要請は他に無く、それは俺より数日先に退院した被害者達のインタビューが報道されてニュースとしても旬が終わっており、そのために時間を取られる事も無かったのは幸いであった。
「なあ美緒、バルは元気にしてるか?」
「元気だよ、和兄ぃが戻ったら喜んでおバル気に入りの肩の上に乗ってくると思うよ」
バルとは俺が小さい頃に怪我をしているのを見つけて拾ってきた雌猫で、薄い黄色に近い細くて綺麗な毛並みをしていて、日の光が当たると金色に見えるような猫の事だ。
雌猫は体が大きくならないのかバルが特別なのか、猫の寿命にも近い齢15年を超えると言うのに未だに子猫のような小柄な体型をしている。
八坂家では俺が産まれる前からジャッキーと言う白い雄猫も飼っていたのだが、そちらは体重が8kgにもなり二本足で立ち上がると体高が80cm近くなるまで育ったのと比べるとバルは小さかった。
しかし体の割にバルは気が強く、ジャッキーは頭が上がらない様子でちょっかいを出してはバルに怒られていた。
そんなバルも拾ってきた俺と美緒には特に心を許しており、特にバルのお腹に顔を埋めてふるふるする事が出来るのは俺だけと言うのは自慢でもあった。
猫好きな俺にとって、バルは紫織とは別の意味で最も会いたかった存在でもあるのだ。
7歳を超えてからは餌も老猫用に切り替えてみたが気に入らないようで、餌を食べる時だけは不満げに毎回こちらを見上げるのがたまらなく可愛いと和也は思っている。
家に帰ったら真っ先にバルのお腹に顔を埋めてふるふるする事を、俺は心に決めていた。




