012:社会復帰
入院中の病院で意識を取り戻し、再び意識を失った俺は夢を見ていたようだ。
エクソーダスのメンバーと、パーティを組んで出掛ける場面が見えている。
俺が次々と全員にブースト(身体能力値向上と速度上昇)を掛けている。
その後各自が物理攻撃防御と魔法攻撃防御を自身に掛けて、俺が出したワープポータルに次々と乗って出掛けて行く処を見ると、それはゲーム内に監禁されていた時期の夢のようだった。
「和也!」
「お兄ちゃん!」
「和也、目を覚まさんか!」
「かずや!」
俺も乗り込もうと魔方陣へと足を踏み出したところで後ろから自分を呼ぶ複数の声に引き止められ、訝し気に後ろを振り向く。
この声は親父と美緒と…イオ爺にレイ婆?、何故こんな場所(ゲームの中)に父親や妹の美緒に曾祖父のイオ爺や曾祖母のレイ婆が居るのだ、ここはゲームの中なのに何故??
そう思って目を開けると目の前には父親と妹の美緒が、そしてその後ろには白髪というよりは銀髪が印象的な曾祖父の偉緒那爺ちゃんと曾祖母の玲衣那婆ちゃんが心配そうに自分を呼んでいた。
曾祖父・曾祖母と言っても見た目は実年齢よりも遙かに若く見えて、まるで父親と同年代のようにも見えるのだが、懐かしい家族の姿を見て意識が現実へと戻って行く。
まだ目覚めたばかりで半分朦朧としたままだったが、徐々に意識が戻ってくるにつれて自分が左腕を誰かに捕まれている事に気付きそちらを見る。
そこには、自分が無意識に腕に固定されていた点滴のベースごと外してしまったのだろう、若い看護師さんが外れた点滴の針を腕に刺そうとしている処だった。
看護師さんは針が抜けたばかりにしては傷跡が無い腕を見回しながら、静脈を探して針を近づけてくる。
元々注射が苦手では無いのだが、どうしても刺さる瞬間には目が針を追ってしまうのは自分でも避けられない。
「え?」
針の鋭い先端が肘の内側にある静脈に触れた瞬間、針の先端を中心として小さな魔方陣が展開され針はまるで固い物に突き当たったかのように止まり、針が皮膚に刺さらなかったのを俺は確かに目撃した。
「あれ?」
看護師のお姉さんは点滴の注射針を顔の前に持ってきて戸惑っている。
何が起きているのか判らないが、お姉さんには今の魔方陣が見えていないようだった。
視線を上げて家族の反応を伺うと、最初に曾祖父と曾祖母の視線を感じたが二人とも表情に変化は無く、父親と妹も看護師さんの様子を不思議そうに見ている。
どうやら、あの魔方陣が見えていたのは俺だけのようだ。
俺はまだ夢を見ているのだろうか?と思いながらも、ある考えが頭を過ぎる。
(ま、まさか……ゲームの中じゃあるまいし)
そう思いながらも念のため頭の中で念じて物理攻撃防御を解除してみると、点滴の注射針は何事も無かったかのように俺の腕に刺さってゆく。
(マジか…偶然だろ、俺は戻ってきたんだろ?、まさかまだゲームの中なのか、いや病院とかゲームの中に無いし……)
混乱する俺を現実に引き戻すのは、急に抱きついてきた妹の美緒の重みと体温だった。
「お兄ちゃん、みんな心配したんだよー」
そう言うと美緒は泣き出した。
「和也、心配したぞ」
元々無口な父親の賢蔵はそれだけ言うと、泣いている妹の美緒の肩に手を置いて優しそうに微笑んでいる。
曾祖父の偉緒那と曾祖母の玲衣那も同様に、目覚めて良かった事を嬉しそうに告げていた。
妹の重さと温かさ、それに父親や曾祖父達の言葉を聞いて、俺はここがリアル(現実世界)である事を確信した。
あの魔方陣の事は心の奥に無理矢理押し込んで、自分の目の錯覚だったのだろうと決めつけた俺は、妹の頭に掌を乗せて優しく撫でてやった。
余談だが、曾祖父と曾祖母の年齢に似合わぬ名前は逆算すると第二次大戦前に名付けた事になるが、非常に勇気のあるご先祖様だと思う。
なにしろ、偉緒那はもう91歳、玲衣那は87歳になるのである。
共に90歳前後と言う割には非常に元気で、とても年齢相応には見えない。
二人とも190cm近い和也よりは低いとは言え、偉緒那が182cm、玲衣那が165cmもあって戦前生まれの人間とは思えない程だ。
おまけに二人とも日本人離れをした彫りの深い顔をしているから、俺の彫りの深い顔は家系なのだと本人も思っているが、どうせ遺伝するなら曾祖父のように美形になりたかったというのが本音だったりする。
この日本人離れした少しばかりゴリラ寄りの彫りの深い目元のせいで、小学校の時は虐められた事もあるのだから…
なにしろ二人ともその銀髪に近い白髪を除けば、父親の賢蔵の兄姉だと言ってもあながち嘘とも言えないくらいにに若くて元気なのだ。
何故二人がここに居るのかと言えば、イオ爺とレイ婆は仕事で家にいる時間が長い親父の代わりに面倒を見てくれていた、俺と妹の美緒の親代わりだからだ。
特にレイ婆は、母親であった美智瑠と言う女が父親の賢蔵と離婚して家を出て行ってからはずっと、幼い俺たち兄妹の面倒を見るために和歌山の山奥にある父親の実家から頻繁に出て来て面倒を見てくれていたのだ。
だから曾祖母のレイ婆は、俺にとっても美緒にとっても母親代わりのようなものだったと言える。
そして曾祖父の偉緒那はこの歳になっても玲衣那ラブで頻繁に玲衣那に会いに出て来ていたから、仕事で帰りの遅い父親よりも、ある意味俺たち兄妹にとって身近な存在なのであった。
母親が親父と離婚したのは美緒がまだ小学校に上がる前の事で、俺もまだ小学校に入学したばかりの頃だった。
正直、あまり記憶に無いのだが自分の家庭は賑やかな会話のある家族では無かったようだとは思っていた。
俺が中学生になって出来た友人の家に遊びに行った時に、遅くなったから夕食を一緒に食べてゆけと家人に言われたのだが、そこの家族の会話の多さと言うか賑やかな食卓に驚いた記憶がある。
レイ婆が父親の実家から面倒を見に来てくれてからは寡黙な食卓は少なくなっただけに、美緒は屈託の無い明るい女の子に育っている。
しかし、自分の幼い頃から身についてしまった寡黙な食卓というのは、そう簡単に払拭できるものでは無いのだ。
だからなのか、俺は人と深く接する事が苦手である。
だからなのか、俺にとってごく一部の親しい人間を除けば多くの他人はいつか離れて行く人としてしか見ることが出来ない。
言葉を投げかけて拒否された時にどう対処すべきなのか、記憶のデータベースから引き出して使える多彩なコミュニケーションの記憶が俺には無いのだ。
頑張って言葉のキャッチボールをしようとしても、次に何を言ったら良いのか考えすぎて逆に話が途切れてしまう事も多い。
頭の中では、凄く色々考えているのに口から会話を繋げる言葉が出てこないのだ。
何時の間にか、俺は極端に仲の良い少数の友人としか心を開いて話をする事が出来なくなっていた。
だからなのか、俺の評価は人によって極端に異なる。
少数の友人以外は俺の事を、口数が少ない、大人しい、落ち着いている、と評するが、仲の良い友人の評価は皆「お喋りで口数が多い、話し出すと止まらなくなる」とか真逆なのである。
妹の美緒は母親の記憶があまり無いようで、末っ子の甘えん坊で明るく元気に育ったようなのが救いだと、俺は密かに思っている。
意識が戻ってから2週間後、様々な検査を経て漸く退院出来ることになった。
とにかく脳に関しては色々な機械で精密検査が行われたが、特に異常らしきものは見つからず無事に退院許可が出たのだった。
どんな後遺症があるか未知の事象であるだけに、病院側も慎重にならざるを得ないのだろう。
定期的に検査通院する事が条件になったが、家に帰れるのは正直嬉しい。
何より嬉しいのは紫織に会える事だ、と言うのが実は俺の一番の本音なのかもしれないが、流石に家族に対してそれを口にはできない。
退院当日に戻ってきた所持品の中にスマートフォン見つけて早速紫織に連絡をしようとしたが、電池切れで使えなかった。
一刻も早く家に帰って充電をしなければ……。
とは言え長期の入院生活で体はすっかり筋肉が落ちてしまっているので、しばらくは一人で歩く事も中々ままならないのが現実だった。
俺は紫織には無様な姿はなるべく見せたくないと思いつつも、それより何より彼女の声が聞きたかったのだ。