10:決別
その後も何度か攻撃を加えるが、化け物の体はブヨブヨと不定形に変形して、その衝撃を吸収しているのか、ダメージを与えている気がしなかった。
すでに上半身は人の形を維持しておらず、ゼリーのような半透明な体に何本もの触手が蠢く、おぞましい化け物がそこに居た。
下半身も、すでに道着が脱ぎ捨てられていた。
そこに居るのは、文字通り不定形の半透明な化け物そのままだ。
その化け物が口を開いた。
その話しぶりは、姿が変わってしまった事で言語器官が人と異なるのだろうか、拙いしゃべり方になっている。
「お前、魔力 感じる。 俺、お前を喰う。 力、戻る…… 封印解いた奴、東に居た。 そいつ、魔力強かった。 俺、魔力喰らう、でもそいつ消えた。 だけど東に魔力、まだあった。 お前、そのひとり」
化け物の言う事を整理してみると、剛を襲ったのは魔力を感じるからだという事になる。
そして、化け物の封印を破った者も魔力が強かったらしい。
その人物は東に住んでいて、化け物はそれを追ってきたという事になるのだろう。
その人物は消えてしまい今は居ないらしいが、東には別の魔力を感じてここまで来たという風に解釈が出来る。
剛たちから、『廃人くん』と呼ばれていた高校生が、魔力のテスト中に化け物を封印していた古い祠を壊してしまった。
つまり、この一連の事件は全てそこから始まったという事になる。
いや、言い換えれば、老神主が剛たちと同じゲームに取り込まれて、還らぬ人となった事が、被害を大きくしたとも言えた。
「知能は高そうに見えないが、姿はまるでボススライムだな」
剛は、ゲームの中で似たようなフィールドの中ボスが居た事を思い出す。
唯一ゲームの中ボスと違うのは、今のところ魔法を撃ってこない事だ。
そのボススライムは獲物を取り込むと体内で溶かし、その獲物の姿に化けるだけでなく、その獲物の持つスキルも使いこなす厄介なモンスターだった。
そう思いついてみれば、この人外の化け物も同じように人を喰らって、その人に化けているところは同じだと言えるだろう。
ヒュンと風切り音を立てて、触手が三本バラバラの方向から剛に迫る。
そして僅かに時間差を作って、更に三本が別の方向から高速で伸びてきた。
最初は左右と上、次が右上と左上に正面だ。
その動きは『見切り』の発動によって、しっかりと捉えている。
スローモーションのように見える第一波を潜り抜けて、左後方へと回り込んだ。
防御力強化スキルである『金剛』の効果時間内であるために、体が通常よりも重く感じる。
身体能力増強の『ブレス』や、身体加速スキルである『アクセル』をMAXで発動させていても、泥沼の中を動いているような動作の不自由さを感じてしまう。
それでも、相手の動きを見極めた瞬間に動作を開始すれば、一発も当たらずに避ける事は不可能ではない。
外から見れば、目にもとまらぬ触手の動きを同じように目にもとまらぬ素早い動作で避けているように見えるだろう。
いや、それすらも目にとまらない速度であるはずだから、何が起きているのかすら判らないかもしれなかった。
相手の触手を避けつつ、接近して浸透拳を何度かぶち込む。
しかし、打撃面の反対側にある体表が大きく弾けるだけで、すぐに元通りに戻ってしまっていた。
こいつに打撃攻撃は効かないのかと、剛の焦りが増してゆく。
こうしている間にも、ミッシェルたちは別の何者かと戦っているのだ。
早く駆けつけたいという思いが、剛の攻撃を雑にさせていた。
更に一歩踏み込んで、深く突きを放つ。
それは、深く踏み込んだ分だけ、引くのが遅れるという事を意味していた。
瞬時に離れようとする剛の左足首に、触手の先端が巻き付いた。
ジュッっという嫌な音と共に、足首に激痛が走る。
すぐに気弾を練って、触手に向けて放つ。
触手は弾け飛び、自由になった剛はゴロゴロと道場の床を転がって次の攻撃を避けた。
剛を狙った触手の当たった床板に、穴が空いていた。
フラリと、突然の目眩が剛を襲う。
すかさず『キュア』を自分に掛けて解毒を行い、更に床を転がって触手の攻撃を避けた。
>>アモン・ナッツミー: あたしの方は、校了が先に延びたからジュディスを連れて行くけど、そっちはどうなの?
突然、アモンからの個別メッセージが飛び込んで来た。
正直、いまは悠長に答えている余裕など無い。
<<パンギャ・パンチョス: 取り込み中だ、すぐに追い付くから、先に!
>>アモン・ナッツミー: 判った! あたしらだけで、片付けちゃったら、ゴメンネ
>>パンギャ・パンチョス: www
時折ミッシェルから入っていた実況も、このところ途切れがちになっていた。
そろそろマジで駆けつけないと、不味い事になっていそうだ。
既に、道場に入ってから小一時間が経過していた。
打撃が聞かなければ、監視の目を無視して派手なエフェクトのあるスキルを使うしかない。
こいつがスライムだとすれば、弱点は体内に隠されたコアのはず。
ゲームの設定と同じだとは限らないが、何もしないよりはマシだろう。
しかし、そのコアは何処にあるのだ?
そんな事を、剛は考えていた。
一旦離れて、化け物の攻撃をいなしながら気弾を一つずつ身に纏う。
合計五つの気弾を身に纏った処で、何度目かの『ブレス』と『アクセル』を自分に掛けた。
『戦闘装備召喚!』
黄色い僧衣と手足と胸のプロテクターに頭のヘッドギアが召喚され、瞬時に剛の体に装着された。
何が起きたのかと確認するつもりなのか、化け物の動きが一瞬止まる。
『瞬歩!』
剛は時流派の『縮地』と呼ばれる技を使うと同時に、同じ意味を持つゲームの『瞬歩』と言うスキルを併用した。
まるでテレポートでもしたかのように、剛の体が残像を残して消える。
次の瞬間、剛の体は化け物の真正面に出現した。
僅かな時間のブレも無く、ほぼ同時に右手を化け物の体内に突っ込む。
『ホーリーライト!』
プリーストであるミリアムの使うホーリーフラッシュ程の威力は無いが、モンククラスである剛にも対魔族用スキルがある。
それが単発のホーリーライトであった。
化け物の体内に突っ込んだ右手の先から、明るい光が化け物の体を通して漏れ出た。
しかし、化け物には何のダメージも見受けられない。
それは当たり前である。
対魔族と対闇属性に対する効果は絶大だが、それ以外の種族や属性に対しては軽いダメージしか与えられないスキルなのだから。
しかし、何かを確信したような表情を見せた剛は、『テレポート』でその場を離れる。
先程『テレポート』を使わなかったのは、MPの使用量が『瞬歩』に対して『テレポート』の方が遙かに多いからという理由だった。
いま、ここで敢えてテレポートを使ったのは、勝ちを確信したからに他ならない。
大きく離れた剛は、ゆっくりと右手を動かして拳を構える。
その右手の大きな円を描くような動きに連動して、周囲に浮遊している気弾がゆっくりと追従してゆく。
ようやく剛の位置を確認した化け物が、足も無いのに素早い動きで迫る。
触手が剛に届くかと思われた瞬間、剛の体が残像を残して消えた。
次の瞬間、剛は化け物の背後に立っていた。
トン、と化け物の背中に置いた右手の平が、そのゼリー状の体表を軽く押したように見えた。
それと同時に、右手の動きに連動して動いていた五つの気弾がすべて化け物の体内へと吸い込まれる。
僅かに遅れて、化け物の腹側で大爆発が発生した。
飛び散る化け物の破片と共に、ゴトリと音を立ててひび割れた丸く赤い玉が床に落ちて、そしてグシャリと砕け散った。
先程の『ホーリーライト』は攻撃手段として使ったのでは無く、体内にあるかもしれないコアの位置を浮き出させるための光源として使用した物だったのだ。
半分以上は賭けではあったが、ゲームの化け物と同じようにスライムモドキの化け物にもコアがあったという事だ。
それを流派の『爆裂浸透波』とゲームスキルの『五連気弾撃』を同時に放った結果が、今目の前にある化け物の破壊に繋がったという事になる。
深く息を吐いた剛は、今まで気が付かなかった気配に気付いて道場の入り口を振り返った。
「君は…… それに、その格好は…… あの化け物の残骸は…… 」
そこには、松岡の姿があった。
松岡が、右手に拳銃を握っているのが見える。
剛は黙って松岡を見つめる。
松岡は、震えていた。
「勝手に上がり込んで申し訳無い。 どうしても気になって駆けつけてみたら道場の方から大きな音がするからつい…… こ、これはその、知り合いから伝手を辿って手に入れてきたんだけど、どうやら必要なかったみたいだね」
松岡は、手にした拳銃をどう扱って良いのか迷った挙げ句に、力無くポケットに戻した。
不味いところを見られたなと、剛は考える。
いったい、どこから見られていたのだろう。
とりあえず、一刻も早くミッシェルたちの処へ駆けつけなければならないと言うのに、厄介な事が続くものだと。自分でもこの展開には呆れてしまう。
「俺が監視されているって事を、知ってますよね。 拳銃なんて物を一般人が持ち歩いていたら即逮捕ですよ。 すでに、ここに入るのを見られているのは間違いが無いはずです」
「実は曲玉モドキが盗まれて、まさか君が化け物を退治できるなんて思わなくて、どうにかして化け物を退治しなくちゃならないって思ったんだよ。 それで…… 」
「それで拳銃ですか? よく、そんな物騒な物を融通してくれる知り合いが居るもんですね」
どう考えても、拳銃の弾などは化け物の体を貫通するだけで、ダメージを与えるには至らないだろう。
下手をすれば、体内で弾の勢いが殺されて溶かされるかもしれないのだから。
それでも、剛たちの為に駆けつけてくれたというのは、本当なのだろう。
剛は『瞬歩』で松岡に近付くと、軽く当て身を入れた。
膝から崩れ落ちる松岡を抱き留めて、剛はテレポートした。
出現ポイントは、先日松岡を訪ねた時にメモしておいた、彼の事務所だ。
気絶している松岡をソファーに寝かせて、剛はハイドに個別メッセージを送った。
きっと、今頃は待ちくたびれているだろう。
<<パンギャ・パンチョス: ハイド! 待たせたね。 今からそっちへ行くよ。
>>ハイド・イシュタル: ちょーっ! 待ってたなんてもんじゃないよ。 早く来て来て来てー!
すでに、アモンたちが参戦している様子は、時折パーティチャットで飛び込んで来ていた。
どうやら、敵の数が多過ぎて苦戦をしている様子に思える。
パーティ名『エクソーダス』のパンギャ・パンチョスこと、大國 剛は、『テレポート』を唱えて、信州に住んでいるパーティメンバーであるハイドのアパートへ向けて転移した。
明かりの消えた事務所のソファーで、松岡は翌日の夕方まで目覚めることが無かった。
その翌日の新聞やニュースでは、ミッシェルの地元で発生した謎の事件が大きな話題となっていた。
ショッピングセンターで謎の地割れと火災跡発見!
窓ガラスを揺らす謎の衝撃波と、謎の商店街爆発事故
商店街で多数の被害者を発見!
全員が揃って記憶喪失の被害者と火災・爆発事故の関係は?
死者行方不明者無し、重軽傷者142名。
重軽傷者142名……
松岡が目覚めたのと同時刻。
高校から戻ったミッシェルが、無言でニュースサイトのWEBページを閉じたのは誰も知らない。
事件の翌日、そしてミッシェルがWEBページをそっと閉じたのと同時刻
父親の玄太郎は、剛の前に座していた。
次兄が化け物に変化した事は、父親も家族の誰もかれもが気絶していて気付いていなかった。
剛が道場に戻った時には、化け物の破片は溶けて消えていたのだ。
そうして、斎は行方不明として処理をされる事になるようだった。
警察は、兄を不慮の事故で殺してしまったことを悔やんでの失踪では無いかと、そのような見解のようだ。
「今日より、お前が歴史ある大國家の跡取りだ。 最も武の才があるお前が跡を継ぐことになって、わしは正直嬉しい。 これからも大國家を頼むぞ」
「断ります! 自分は、自分の生きる道を自分で探します。 そのように子供の頃から言われていますし、大國の家に縛られる生活はまっぴらゴメンです」
予想外の言葉が返ってきて、あまりの興奮に泡を吹いて失神してしまった父親を部屋に残して、剛は引っ越しの準備を再開するために自室へと向かっていた。




