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アヴェンジャー:世界が俺を拒絶するなら:現世編  作者: 藤谷和美
サイドストーリー第七話:パンギャ 噛ませ犬
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09:人外の魔物

「何だって? 無くなったっててどう言う事なんだ! あれは預かり物で、俺の所有物じゃ無いんだぞ」


 松岡が受話器に向かって大きな声を上げていた。

 電話の相手は、彼が曲玉モドキの調査を依頼した京都の研究所に勤める学生時代からの友人だ。


「厳重に保管してあった筈なんだが、無いんだよ。 理由は俺にだって判らん。 それよりアレは何なんだ? この世の技術では、あの精度の電子回路を結晶構造の中にプリントする事は不可能だ」


「つまり、あれが電子回路だってのは間違いが無いのか?」


「ああ、恐らくだがな…… 回路が原子1個分の線幅で構築されているなんて、理論上は可能だし実験で単純な物は作成実績もあるが、あれだけ複雑な物が何層にも渡って構築されているなんて事は、まだ有り得ないんだよ。 そもそも、この世界にはそれだけの緻密な製造技術がまだ無いんだ」


「お前、まさかアレが惜しくなって…… 」


「違う! いや、確かにその誘惑に駆られなかった訳じゃ無いが、俺は盗人じゃ無い。 ましてや友人が他人から預かった物を、自分の物にする訳がないぞ」


「だが、現実に無くなってるんだろ。 他に、アレの事を知ってる人は居るのか? そいつらの誰かが盗んだんじゃ無いのか?」


「お前だから言うが、ここは国から予算をもらって運営している研究機関だ。 当然、所内の高額な機材を使用するには申請書が必要で、今回も正規の手続きは踏んでいる。 だから、俺が機材を使用するのは、限られた人間なら知っているはずだ。 ただ、アレの調査結果を知り得るのは、直接機材を操作した俺だけの筈なんだ。 だが、もしかすると…… 」


「なんだ、思い当たる節があるのか?」


「結果を直接見る事が出来たのは検査の当時者である俺だけだが、機材の出力データは一旦サーバーに一定期間だけ一時保管されるから、上層部の人間なら監査という名目で閲覧する事は可能なんだ。 アレを知識があって判る人間が見たら、国が動いても不思議じゃない代物なのは間違いがないぞ」


「って、お前! 国が他人の所有物を断りも無く盗むとか、真面目に言ってるのか?」


「俺が言っているのは、可能性の問題だ。 それに、お前は知らないだろうが、国には表の顔だけじゃ無い理不尽な面もあるって話は、あちこちで聞かない訳じゃ無い」


「おい、冗談じゃ無いぞ。 あれは預かり物なんだ!」


「すまん! 無駄だとは思うが、探してはみる。 だが、アレの出所を問われたら俺はお前の名前を出さざるを得ない事だけは、覚えておいてくれ。 アレは、それだけの代物なんだ。 すまんが、俺にも家族が居るんだ…… 」


 電話は、唐突に切られた。

 ツーツーと言う、受話器から聞こえる音を確認して、松岡は受話器を親機に戻す。


 松岡の脳裏に、剛の様子を監視していたと思われる人間たちの事が思い出された。

 やはり、この事件に深く首を突っ込むべきじゃあ無かったかという後悔が、胸の奥に湧き上がる。


 あれは昔、魔物を封印するのに使われたと聞いているだけに、これで魔物の話が事実だったときに対処法が無くなってしまったと、そう松岡は考えた。

 自分でも半信半疑でありながら、そのアイテムの使い方すら判らない癖に、いざとなれば封印のアイテムが役にたつかもしれないという妙な安心感があったのだ。


 それだけに、今後は連続失踪事件をどこまで追ってゆくのか、松岡はそこに迷いを生じさせていた。


 次の被害者になるかもしれない、大國 剛という青年に自分の知っている事実は告げた。

 だから、ここで連続失踪事件から降りても良心の呵責は少ないだろうとも思う。


 だからと言って、ここで事件の行く末を…… いや、化け物の正体を見ずに舞台を降りることに抵抗が無い訳ではない。

 しかし、自分に何が出来るのかと問えば、人を喰らうと言う人外の化け物を相手にして何も出来ないと言うのが、ありのままの事実だ。


 散々迷った末に、松岡は固定電話では無くポケットのスマートフォンを取りだした。





 剛は長い廊下をゆっくりと歩き、別棟にある道場へと向かっていた。

 夕方からの稽古には、まだ少し時間に余裕がある。


 季節は冬に向かい、秋の日照時間は短い。

 廊下から垣根越しに見える太陽は、かなり西に傾いていた。


 そんな時、突然パーティチャットが飛び込んで来た。

 剛は、思わず立ち止まる。


>>ミッシェル・クロフォード: これから私たちが頭の中で考える事は全部敵に筒抜けだから、このメッセージに答えちゃ駄目よ。 返事もしないで黙って聞いていてちょうだい。


 一瞬、彼女が何の事を言っているのか判らなかったが、どうやら前日の話から想像するに、ミリアムに向かって言っているのだと思った。

 それが一対一の個別チャットスキルではなく、グループ内チャットであるパーティチャットのスキルを使って語りかけてきているという事は、仲間たち全員に聞いて欲しい内容であると剛は判断する。


 そして、恐らくミッシェルが相対している相手は、個別チャットとパーティチャットの区別がつかないのだろうと想像ができた。

 だからこそ、ミッシェルはミリアムに語りかけている風を装って、仲間全員に状況を知らせようとしているのだろう。


 その上で、相手に筒抜けだからメッセージに答えるなというのは、相手にはあたかもミリアムと二人きりで会話をしているように見せかけて、実は仲間たち全員に送信している事が何者かにバレるから返事をするなと釘を刺しているのだろう。

 流石はミッシェルだと、剛は心の中で舌を巻いた。


 昨日の今日で、何がどうなっているのか、剛は心の中で聞き耳を立てる。

 恐らく、エクソーダスの全員が剛と同じように判断したのだろう。


 ミッシェルの呼び掛けに対して、誰からも一つとして返信が入らなかった。

 全員が心の中で聞き耳を立てている事は、容易に想像できる。


「剛兄ちゃん、お父さんと斎兄ちゃんが道場で待ってるよ」


 稽古着に着替えた詩乃が、廊下の突き当たりに居た。

 どうやら、中々来ない剛を呼びに来たらしい。


>>ミッシェル・クロフォード: 敵は恐らく悪魔族か、それに類する魔物よ。 魔王召喚の儀式が始まる前に終わらせたいから、さっくりと雑魚は片付けるわよ


「ああ、判った…… すまない詩乃。 いま、行くよ」


 悪魔族だとか魔物だとか、魔王召喚だとか、物騒なワードが飛び込んで来た。

 たぶん、二人して会話に見せかけながら仲間たちに情報提供をしているのだろう。


 それにしても、ゲームからは解放されて久しいと言うのに、なんでまた魔族だとか魔物だとかいうものが現実世界に出現しているのか、そんな疑問が剛の胸に浮かぶ。

 すぐに飛んでいってやりたいが、自分も身内に化け物絡みの問題を抱えていて、すぐには動けないのが事実だ。


 いま、自分がこの場から居なくなれば、もしかすると妹や両親が危ないかもしれないのだ。

 そんな苦しい選択を、剛は迫られていた。


>>ミッシェル・クロフォード: それに、まだ本気なんか出してないでしょ、私たち。


 その言葉を聞いて、剛は少しだけ心が軽くなった。

 現実世界でゲームのスキルが使えると言う事は、前衛と後衛というミリアムとミッシェルのペアならば、実力を発揮すれば現実世界で彼女達を脅かす者はそうそう居ないはずだ。


 苦渋の選択をして、剛は道場へと歩を進める。

 そして、ハイドへと個別チャットを飛ばした。


<<パンギャ・パンチョス: ハイド! 俺だ、パンギャだ。 いつでも出られる支度をしておいてくれ。 今は、どこに居る?

>>ハイド・イシュタル: 今、部屋に向かってるところだ。 あと10分もあれば戻れる。


<<パンギャ・パンチョス: 判った、俺もすぐには動けないが、こっちの用件が片付き次第、そっちへ飛ぶぞ。

>>ハイド・イシュタル: オッケー判った! 待ってるよ。


 その次は、アモンだ。

 彼女も編集の大詰めで動けないのは判っているが、少しでも動けるようなら動いて欲しかった。


<<パンギャ・パンチョス: アモンさん! 俺はすぐに動けないから、先に動けるようならジュディスを頼む。

>>アモン・ナッツミー: わかったわ! あたしも、すぐには動けそうに無いけど、出来るだけ急ぐよ。 ジュディスはあたしが拾ってくわ。

<<パンギャ・パンチョス: すまない。 こっちも、ゴタゴタが片付き次第あっちに飛ぶよ。


 剛が道場へ着くまでの間に、状況はミリアムとミッシェルから逐一入ってきていた。

 二人がピンチであるようには感じられないが、それでも仲間が戦っていると言うのに気にならない訳が無い。


 逐次伝わってくる状況からして、どうやら間違い無くミッシェルたちの相手は人間では無いようだった。

 そうなれば、自分の兄である斎が人外の化け物であるという松岡の仮説も、あながち荒唐無稽とは言い切れない事になる。


 いつもより数段慎重に剛は道場に対して一礼をして、中へと足を踏み入れた。

 斎はすでに道場の中央で、剛を待ち構えていた。


 剛が到着したことに気付くと、ヒクヒクと鼻を動かして匂いを胸一杯に嗅ぐような仕草を見せた。

 そして、次にペロリと舌舐めずりをするように、異様に長い舌で自分の唇をなめ回す。


 それを見ただけで、剛の背中に訳も無く怖気が走る。

 やはりこいつは兄では無いと、剛の中で不確かな予測が確信に変わった。


 兄と道場の中央で相対して、互いに礼をした。

 剛は顔面への打撃を警戒して、ムエタイのような構えを取る。


 あくまで剛は受け側であるから、体重は後ろ足に六割を預けて兄の攻撃を待った。

 そう、死んだ大悟の噛ませ犬という役割が、斎の噛ませ犬に変わっただけで、本質的に剛が勝ってはいけない事に、変わりは無い。


「剛! お前の役割を忘れるなよ」


 神棚の前に座る父親から剛に向けて、そんな声が飛んだ。

 兄が死んで、その死体が無くなったばかりだというのに、父親は相も変わらず道場での稽古を休むわけでも無く、表向き悲しんでいるようにも見えない。


 言う事はそれかと、非難を込めた視線をチラリと父親に向けた瞬間、チャットが飛び込んで来た。

 なにやら、二人はピンチのようだ。


>>ミッシェル・クロフォード: まずい、これ以上ここでやると天井が崩落するわ! ミリアム、ここから移動するわよ!


 その言葉に気を取られた隙に、兄が『瞬歩』と呼ばれる奥義を使って、飛び込んで来た。

 瞬時に『見切り』スキルがパッシブで発動するが、チャットに気を取られた剛はそれを避ける機会を逃していた。


 既に左右には避けきれない位置に、その右拳はあった。

 少しでも衝撃を緩和すべく、悪手ではあるが剛は仕方なく胸の前で両腕をクロスさせて後ろへと飛んだ。


 素直に後ろへ飛んでも、そのまま押し込まれれば次の攻撃を受けざるを得なくなる。

 後ろに飛ぶのが悪手であるのは、そういう意味だ。


 しかし、この場合は強力な一撃の威力を緩和するのが第一目的であって、避けるチャンスは既に無かった。

 何とか、右拳がフルパワーになる打撃点の間合いを僅かに外したと剛がそう思った時、兄の右拳が人間の物とは思えない長さに一瞬だけ伸びた。


 ガードしている筈の両腕に、重い衝撃が伝わって来る。

 メキメキッっと鈍い音を立てて、ガードしていた両の腕が折れた。


 少し遅れて、目眩がしているのかと間違えそうな振動が体全体に伝わり、背中へと抜けていく。

 気が付けば、自分は宙を舞っていた。


「止めっ! そこまでだ!」


 どこかで父親の声が聞こえていたが、それは背中に伝わる激しい衝撃で掻き消されていた。

 ドン!と鈍い音がして、背中から腹へと衝撃が戻って来る。


「グフッ!」


 口の中一杯に、鉄の臭いがする生臭い液体が満ちた。

 それが自分の吐いた血だという事に気付く間もなく、兄の斎が狂喜の色を顔に浮かべながら自分に迫っていた。


 それは、とても人の力であるとは思えなかった。

 種族が人である以上、どれほど修行をしようとも超えられない人の壁というものが存在する。


 まさに剛が味わった衝撃は、トラックに衝突されたのにも似た運動エネルギーを内在していた。

 例えて言うならば、十トンの大型トラックが時速六十キロメートルで衝突する運動エネルギーには、どれ程の鍛えた肉体であろうとも、どのような奥義を使おうとも、体重七十キロメートルや程度の人間が出せる運動エネルギーでは勝つ事は出来ない。


 人という種である以上、そこには物理的な限界と言う物があるのだ。

 相手の肉体に浸透して内部から破壊する奥義を持ってしても、それは衝撃の与え方に変化を加えて水分含有量の多い内臓にダメージを与えるだけで、物理的な運動エネルギーの破壊力を超える事は出来ない。


 そう、魔法という物理を超えた現象以外では、現実においては人である以上トラックに勝つのは不可能な事なのだ。

 人には放出不可能なダメージを、斎は剛に加えていた事になる。


 だが、ゲームに閉じ込められた事によって得られたパッシブスキル『超回復』によって、瞬時に剛の肉体的損傷は元通りに復元された。

 剛自身に対する直接的危機が去らない限り、『見切り』も発動を続けている。


 自分に迫る兄の斎と、それを止めようと駆け出した父親の姿がスローモーションのように、ゆっくりと見えた。

 母親は床に顔を背けているし、妹は目を見開いて斎に何かを叫んでいるようだ。


 グニャリと兄の顔が変形して、大きな口がパックリと開いた。

 口腔の内側に向けて、何層もの鋭い牙がびっしりと生えている。


「まさに、人外の化け物!」


 松岡という男が言った言葉が事実である事は、今まさに事実だと認識された。

 すでに、剛の心に迷いは無い。


 妹の詩乃が、斎の足にしがみついていた。

 それを蹴るように振り解く斎。


 きれいに吹っ飛んで母親を薪沿いにしつつ道場の壁に激突する詩乃と母親は、ぐったりとしてその場から動かない。

 その隙に後ろから斎を羽交い締めにした父親の玄太郎も、アッサリと振り解かれて同じように壁へと激突して、その場に倒れた。


 剛は、咄嗟に『ヒール』を三人に飛ばす。

 そして、自らには『ブレス』と『アクセル』を無詠唱で掛けた。


 『テレポート!』

 剛の姿が、斎の目の前から消える。


 瞬時に斎の真後ろに出現した剛は、斎の両脇から腕を回して道着の帯を掴むと、ジャーマンスープレックスのように、高速で持ち上げた。

 その時、ぐにゃりと抵抗が無くなり、道着が帯ごとすっぽ抜ける。


 目の前には、上半身が裸の斎が立っていた。

 しかも、下半身は前を向いているというのに、上半身は後ろの剛に向いているのだ。


 鞭のように右腕がしなり、拳が迫る。

 逃げていては切りが無いと判断した剛は、衝撃に備えて『金剛』を発動させた。


 一定時間だけ、攻撃速度は落ちるが身体的な防御力は百倍に跳ね上がる。

 落ちる攻撃速度は『アクセル』で補えば、人並よりやや落ちる程度までは復活できる。


 その攻撃速度で相手に打撃攻撃を当てる事は、至難の業に近かった。

 唯一それを成功させられるのは、相手が避けられないカウンター狙いしか無い。


 先程自分を吹っ飛ばした大型トラックにも似た衝撃を『金剛』で耐え、クロスのカウンターを相手の顔面にぶち込んだ。

 だが、その拳に手応えは無く、グニャリとした粘度の高い液体を殴ったような、そんな手応えの無さが伝わってくる。


 見れば、剛のカウンターが当たった部位を中心にして同心円状に波紋が広がるように斎の顔が変形していた。

 まさしく言い伝えにある通り、目の前に居るのは人外の化け物そのものだ。


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