011:人質解放の日
事件発生からゲーム内時間で2年余りが経過して、リアル世界では半年余りの月日が経過していた。
リアル世界の暦で事件発生当時は17歳だった俺も、既に18歳の誕生日が過ぎている事になる。
ゲームプレイヤーのレベルは、救済措置の一環として取得経験値の大幅増で上がりやすくなっている事から、その数字は制限一杯のレベル300到達者が多数発生すると言う非常識な事態にまで達していた。
俺たちは取るべき新たなスキルも無くなり、そして新たに追加したい職業も無く、もはやゲーム内での目標を失っていたのだ。
残されたプレイヤーのレベル上昇に合わせて、狩り場に存在していたモンスター達も手こずる程度に強くはなっていたのだが、それも毎日となれば攻略法も定着してやがて飽きてしまうものだと思う。
俺は海に面したフィールドに存在する岬の先端に座って、高い位置から沈む夕日と紅く染まる空と海を毎日眺めていた。
何時になれば戻れるのか、紫織はどうしているのだろうとか、高校はきっと留年だろうなぁなどと、取り留めも無い事を考えて見るのだが、この世界から出られない限り結論は出ない事ばかりだった。
しかし、その数日後に突然人質となっていた俺たちは全員が開放された。
事件の犯人が逮捕され、ハッキングされていたゲームサーバーの最高権限が運営会社に戻ったのだ。
俺たちたち被害者には事件の解決と開放される旨が告知され、その事件の概要も大まかに告げられる事となった。
事件の犯人グループはダイクーア教という一神教を信じる大手カルト教団から分かれて派生した、極カルトのマサラ教団に所属する過激な原理主義を唱える幹部グループだったらしい。
マサラ教団とはダイクーア教団が信仰する神の教義を更に厳密にした、マサラと名乗る人物が起こした教団らしいが詳しいことは良く判っていない。
俺がログアウト不能になった当日の朝起きた地下鉄の毒ガステロも、その教団の起こした事件だったそうだ。
教団の排他的でカルトな活動により入信して帰ってこない身内を取り戻そうとする一般市民に被害が出て、指示をしていた幹部が逮捕され捜査の手が教団内部に伸びて行く中で、彼らが本気で日本政府の転覆を狙っていた事が後日判明したのには、多くの人が驚いたはずだ。
社会的にも大々的に糾弾されたマサラ教団は、日本各地の支部も本部も壊滅的な状況となっていた。
その状況を打開する為に彼らが目を付けたのがサイバーテロであったらしい。
目的は逮捕された幹部を含む刑法犯の全員釈放という無理筋な要求であった為に、当然の如くそのような要求が受け入れられる訳が無かった。
犯行声明はあったものの、記載された犯行グループは架空のもので実在せず、難航していた捜査を解決に導いたのは事件発生から半年後に警察へ告げられたダイクーア教団からのリークであったと言う話だ。
ゲームサーバーの最高管理権限を押さえてログアウト出来ないようにしつつも、運営会社にはログアウト以外の救済措置を許すなど犯行グループの動きには不審な点が多々あった。
それでも警察はこの話に飛びつき、結果として一気に解決を見た形になる。
事件の解明は今後の捜査の行方を見ることになるが、漸く俺たちは長かったゲーム世界から開放され現実世界に戻れる事になったのだ。
ゲームシステムに不審な改変が残っていないかと言う調査も終わり、全員が開放される事が運営サイドより告知された当日、俺たち拉致被害者はゲーム内の大規模都市の一つであり、全てのゲームプレイヤーがスタートした場所でもある首都プロメテリアにある中央広場の噴水の前に集まって喜びを分かち合っていた。
中には、事件とは言えこれだけ長期欠勤して会社に戻れるのか不安に思っていた者も居たが、戻れる事が喜ばしい事であるのには間違いが無く、心配しながらも笑顔が隠せない様子だった。
そんな中の一人であるチベット仏教風の黄色い僧侶服姿をしたパンギャさんが俺に話しかけてきた。
パンギャさんとは、この半年余りの期間多くのゲーム時間を共にした固定パーティ「エクソーダス」のリーダーである。
彼は大学生で、年齢も20歳と俺と近く話しやすい存在であり、よく俺の愚痴を聞いてくれる良き兄貴的な存在でもあった。
「結局このゲーム内での2年間と言うか、リアルの歳月に換算して約半年間の経験値も覚えたスキルもリセットされるって言うけど、メイン君はこの後もゲームを続けるの?」
唐突にそんな事を聞かれて戸惑うが、俺はしばらく考えてから自分に言い聞かせるように答えた。
「もう、しばらくはやらなくても良いかなって思うんですよね…」
その答えに同意するかのようにバンギャさんも言う。
「俺も、もうこれで引退しようかと思ってるんだ。」
閉じ込められた半年間、ずっとゲームをするしか無かった日々を振り返って見ると、余りにゲームで失った時間が長すぎたことに気付いたのだとパンギャさんは言葉を続ける。
確かに、毎日数時間ずつのゲームでは実感出来ない程の大きな時間のロスが、半年という重い月日として俺たちに突きつけられていた。
「結局さ、友達と遊ぶ時間も仲間と付き合う時間もバイトで稼いだお金も全部ゲームに注ぎ込んで、気が付いたらゲームの中に監禁されて何が残ったのかなぁって考えて見たんだ」
真面目な顔で、パンギャさんは俺に何かを事を伝えようとしている。
「このリアルの約7ヶ月弱で稼いだアイテムもスキルも経験値も簡単にリセットされちゃうって言うし、なんかそんな簡単に消えちゃう物の為に僕たちって何を必死になってやってたんだろうって……」
パンギャさんの言いたいことは、今の俺には凄く良く判る気がする。
「ですよね~、俺たちは何のために必死で戦っていたのかなぁ…」
俺にはパンギャさんの重い問いかけの意味が解りすぎて、逆に返す言葉が見つからない。
「とにかくゲームに時間を少しでも多く使いたくて、リアルの友達の誘いに居留守を使っちゃったり、土日は何処にも出掛けずにゲーム三昧して昼夜逆転しちゃったりして、気が付いたらリアルの友達とも疎遠になっちゃってたよね」
「そんな運営の都合ひとつで簡単にいつもより早く貯まったり、逆にリセットされてゼロになっちゃうゲームの経験値って何なんだろうね」
パンギャさんの言いたいことは、俺も最近考えていた事だった。
「この約半年間でリアルでの実年齢だけは確実に増えていても、実社会の経験値は何も増えてないんですよね、俺たち」
そう、毎日少しずつの積み重ねだと気付かないけれど、俺たちはとても大切な何かを少しずつ失っていたんじゃないかと俺は最近気付いていた。
ため息交じりに告げるパンギャさんの言葉は、まだ18歳になったばかりの俺にとって理解出来ずに誤解している事もあるかもしれないが、自然と習い覚えるべきリアル(現実世界)での経験値が不足していることは自分でも自覚している。
仕事や学校のストレスや現実のあれこれからゲームの中に逃げて、本来であれば若い内に経験すべき友人達との付き合いや遊び、そして恋愛などを経験せずいるうちに、いつの間にか後戻りできない年齢だけが上がってしまっていると言いたいのだろうと、俺はそう思った。
そうして得た経験値やレベルと言うものが、運営側の都合で儚く消えてしまうサーバー上のデータでしか無いという事実は、言葉では知っていたが実感として理解してしまうと、自分が掛けた時間に対して余りにリアル(現実世界)で得た物の少なさに愕然とするのだろう。
「一度リアルでも会おうよ」そうパンギャさんが言う。
「そうですね、パンギャさんには僕も会いたいですよ」
「ミリアムさんもメイン君には逢いたがってたよw」
「えぇ~!、あのツンデレ姫がですか?、想像できないな」
俺がそう応えると後ろから猛烈な殺気を感じて咄嗟に防御スキルを発動して振り返る
「ちょっと、想像できないってどういう事よ!、あたしがそういう事を言っちゃ可笑しいとでも言うの?」
後ろで憤怒の表情を見せてソードメイスを振りかぶっているのはバラ色の僧衣を着たハイプリーストのミリアムだった。
勿論都市フィールド内での対人攻撃は出来ないので、形だけではあるが殺気は本物だったと思う。
ミリアムさんは職業こそハイプリーストでありながら、打撃を専門とする攻撃職であり別に魔法剣士も兼任している。
高い前衛職並みのステータスを持ちながらスキルはハイプリースト(上位聖職者)と言う変態じみたロールプレイをしているが、彼女はまだ女子中学生らしい。
彼女は義務教育だけに俺と違って留年は無いだろうが、社会復帰が大変なのは変わらない。
その後ろで笑っているのは重騎士兼大剣士のハイドさん、アサシン兼ソードマスターのジュディスさん、スナイパー兼召喚術士のミシェルさん、ハイウィザード兼ハイビショップのアモンさん達5名の良く見知ったエクソーダスメンバー達だった。
「ちょっと、みんなも笑ってないでミリアムを止めて下さいよ」
俺は必死になって頭をカバーしながら皆に助けを求めるが、攻撃されないことも判った上でのお約束である。
「もう和兄ぃはいつも私をそういう扱いなんだから、別に和兄ぃに逢いたい訳じゃなくってパーティの皆んなに会いたいだけなんだからねっ、リーダーも変なこと言わないでよね!」
頬を染めながら文句を言うミリアムに全員の視線は生温かい…
「ツンデレ姫の本領発揮ですね」と、それを見てハイドさんが微笑みながら呟く
「私もオフ会には賛成ですね、この後ゲームを続けるかも微妙だし一度は死線を共にした皆さんに会いたいなって思いますよ」
そう言ったのはクールビューティなミシェルさん。
ハイドさんも、アモンさんもジュディスさんもオフ会には賛成のようだ。
「それにメイン君ご自慢の彼女も連れてらっしゃいよ、一度会ってみたいわ~w」と煽るのはジュディスさんである。
「えー、反対!反対!、どうせ和兄ぃの事なんて忘れちゃって新しい彼氏とか作っちゃってるに決まってるよ」
ミリアムの言葉に、いつものように返せなくて一瞬黙ってしまう俺……
密かに不安に思っている事を指摘されて、いつもの冗談では返せなかったのだ。
コツン、と頭を叩く素振りをしてミリアムを叱るのはいつも通りミシェルさんの役目だった。
「ふん、そうなったら私が暇つぶしに、つ、付き合ってあげてもよくってよ」
「あらあら、ツンデレ姫とは住んでる場所が遠いでしょ、遠距離恋愛は辛いわよー」
「なによ、ジュディスさんこそ実感たっぷりでマジ遠距離恋愛してるみたい」
「そんな事もあったわねー…(遠い目)」
「子供に恋愛話は、まだまだ早い早い」
「ちょっとーミシェルさんまで子供扱いしないでよー!!!」
「ミリアムも、ツンデレに成りきれない処が可愛いねー」
「アモンさんまで子供扱いする~」
いつもと変わらぬパーティの風景を見て笑いながらパンギャさんが俺の肩を叩く。
「ま、いつも通りに終わるのも我々らしいよね」
「そうですね、しんみりと終わるのは勘弁して欲しいですからね」
「じゃリアルに戻ったら私にメール頂戴ね」そう言ったのはミシェルさん。
理由は一番メールアドレスが簡単だからという、単純だがメモも記録も残せないゲーム世界では意外と大事な理由からだった。
エクソーダスのメンバーは誰も知らないが、自然発生的に集まった彼らのシンクロ率は異常に高く、全員が95%を超えていた。
いや正確に言えば最終的には全員がほぼ100%に達していたパーティであり、運営側も偶然集まった彼らを注視していたのである。
最初からこのメンバーでパーティを組んでいた訳では無い。
色々な人達とパーティを組んで行く中で、妙に動き易いというかストレスが無い仲間を求めていたらエクソーダスの仲間に行き着いた人達ばかりである。
他のシンクロ率の高くないパーティでの戦闘には妙な連携での違和感というか物足りなさを感じていたからこそ、このエクソダスが心地よかったのだろう。
僅かなシンクロ率の違いがゲーム内の感性に与える影響は意外と大きいのかもしれない。
「あ~、現実に戻ったら大事なところに排泄器具を取り付けられた姿と最初に向き合う事になるのね、憂鬱だわ」
「いやぁぁぁぁ、それを言わないでぇぇぇぇ、還りたく無くなっちゃう」
ミシェルさんの言葉にミリアムが即時反応して泣き叫ぶ。
「たしかに乙女にとっては屈辱よねぇ」
大人なジュディスさんも同感している。
確かに、それを想像すると男の身でもキツいものがある、そう考えているうちにログアウトの時間が間近になったようで、運営からの神の声が始まった。
運営側から開放日時の告知がなされてから実際にログアウト解禁となる迄に、少しの時間が必要だった。
7ヶ月弱、約半年余りという長い時間ダイブ装置に寝たままとなっていただけに、床ずれ防止の措置は採られていたが全身の筋肉はゲッソリと落ちてしまい日常生活には支障が出るだろうという事で、ログアウトしてすぐに入院の措置が取られることになったのだ。
そのため、全国の被害者の入院体制が揃うまでの待ち時間なのであった。
やがてログアウト実施のカウントダウンが始まった。
広場に集まったみんなで、声を揃えて一緒にカウントダウンを行う。
カウントが0になった瞬間、脳内メニューにブラックアウトしていたログアウトの項目が白く表示された。
「みんな、お元気で~」「お疲れ様~」「連絡ちょうだいね」などと言う声と共にログアウトの効果音が次々と聞こえてくる。
俺も、現実世界へと落ちて行くエクソーダスの皆を見送ると最後にログアウトを選択した。