幻想夜話: ガス欠と覚醒
思わず、そんな脳天気な言葉が口を突いて出た。
どんな場面でも、人前でシリアスになるのは柊也の好みでは無い。
言い換えれば、人前で弱みを見せるなんて事は、柊也のプライドが許さないと言う事だ。
馬鹿と言われても、お気楽で脳筋と蔑まれても、弱みを他人に見せるよりは遙かに良いと思っているから、こんな場面でも口を突いて出てくるのは、そんな言葉である。
壁が突破されて崩れる音で振り向いた結衣姫たち3人は、壁の向こう側に柊也の姿を認めて破顔した。
3人に相対していた敵も突然の侵入者に驚いて動きが一瞬止まり、僅かなタイムラグの後にようやく反応を返した。
「何かと思えば増援は1人だけか! ずいぶんと我らゾルバ様親衛隊も舐められたものだ」
「ふん、1人しか生き残れなかったとも考えられるぞ、バルゾー」
「だが、我には奴が怪我も無くピンピンしているようにも見えるがな、ゾフルよ」
先ほどまで柊也が相手をしていた化け物とは、体躯の質量が圧倒的に違う黒い大きな化け物が3体、柊也を評して言った。
体高で約2倍、体積で3倍はありそうな巨躯の化け物が、その3体以外にも後ろに控えていた。
その後ろに見えるのは、玉座だろうか?
更に巨大な、黒い人影が垣間見えた。
「で、宝玉は?」
広い室内に踏み込んで、周囲全てが敵だと言うのに、お構いなしにそれを訊ねる柊也。
油断無く辺りを牽制しながら、結衣姫が答えた。
「奥の玉座に座っている、あれが…… 」
「ほお、ずいぶんと大きいな」
さすがラスボスと言いたい処だが、ここはゲームの世界では無い。
ゲームの世界では無いが、中々にラストステージと呼ぶのに相応しい敵の顔ぶれだった。
体の大きさもそうだが、まず角の数が違う。
どいつもこいつも、3本から4本の長く拗くれた角が頭部にある。
そして、全身が硬そうな鱗で覆われ、肩や肘などにも鋭い突起が生えていた。
「なるほど、こいつらが中ボスと言う事か。 庭の雑魚どもよりは手間がかかりそうだな」
「柊也さん、庭の手下共は?」
のん気に敵の印象を語っている柊也に、結衣姫が訊ねる。
庭から敵の増援が来る事を、おそらく懸念しているのだろう。
「奴等は一匹残らず、俺がぶっ潰した。 アサジたちを襲っていた空襲部隊も俺が半分以下にしてやったから、流石に勝てるだろう」
それを聞いたキサラギとナガツキのチビ助コンビ2人は、驚いたように顔を見合わせる。
そして、柊也に向けて長刀を握ったままの右手の親指を立てて見せた。
「さすがは柊也さん、伊達にアサジが連れてきた訳ではありませんね」
結衣姫も安心したのか、やや先ほどよりも口調が穏やかになった。
柊也は、結衣姫に向けて懸念していた事を訊ねた。
「こいつらに手間取っているという事は、お前もまだ本調子じゃないって事だな。 それとも…… 」
その後の言葉を飲み込む柊也。
もしそうであれば、敵に手の内を見せる必要は無い。
「行くぞ! キサラギにナガツキ、お前らは結衣姫を守ってろ」
一瞬柊也の姿がぶれて見え、次の瞬間に残像を残して消えていた。
すでに、敵のキルゾーンに居る柊也は、部屋に入ったときから『見切り』スキルが発動していたのだった。
先ほどまで柊也が立っていた場所に、雷撃が落ちて石造りの床を破壊する。
続けて空間が歪み、僅かに遅れて衝撃波がその場を駆け抜けた。
柊也が居たはずの空間の、その背後にある大穴が衝撃派を受けて更に崩れ落ちる。
ビリビリと辺りの空気が、大きく震えた。
ダン!と鈍い音がして、中ボスの1体が吹き飛ばされたように宙を飛んだ。
太い柱に直撃して、ズン!と重苦しい振動が部屋中を揺るがす。
中ボスのバルゾーが激突した太い柱は構造体の石が欠け、亀裂が入って半ば崩壊寸前だ。
それまでバルゾーの居た位置に、柊也は立っていた。
大剣の柄を大きく前に突き出した姿勢のまま、柊也の間近に棒立ちになっているゾフルを睨みつける。
慌ててゾフルが後ろに下がるが、柊也が前に出る方が早かった。
ゾフルが慌てて腕を顔の前でクロスして、防御姿勢を取る。
「遅い!」
ゾフルのクロスした太い腕に、柊也の大剣が叩き込まれた。
ガキリと言う固い者同士がぶつかり合う鈍い音がして、床にカラカラと乾いた音を立てて、ハマグリの殻ほどもある固い鱗が数枚欠けて落ちる。
「さすがは中ボス、雑魚とは歯ごたえが違うな」
そう言うが早いか、柊也の剣が眩く輝き出した。
その煌めきに耐えられずに思わず目を細めるゾフルが、次の瞬間大きな悲鳴をあげた。
「ぐわあぁぁぁぁ!」
まるで熱したバターナイフで冷えたバターをそぎ落とすように、聖属性の光を放つ柊也の大剣がゾフルの太い腕を、頑丈なその鱗ごと切り落としていた。
ゴトリと石の床に落ちるゾフルの腕が2本、落ちた反動でゴロリと半回転ほど転がって止まった。
断ち切られた断面から真っ黒な血しぶきを噴きだして悶えるゾフル。
ギョッとしたような目で柊也を見る、他の中ボスたち。
彼らは思わず玉座を振り返り、ラスボスたるゾルバの指示を仰ぐかのように言葉を待った。
しかしゾルバは何も言わず玉座に座ったままで、続けろと言わんばかりに顎を僅かに動かしただけだ。
「やっぱラスボスは、お決まり通りに中ボスを全員倒してからの登場ってか?」
言うが早いか、柊也は次の標的に斬りかかる。
左の肩先から右の脇腹にかけて、固い金属質の鱗が弾け飛ぶが、体を断ちきる程のダメージは与えられなかった。
「ちいっ! やっぱここからはスキルを使わないと駄目ってか?」
再び柊也の大剣が眩い光を帯び始める。
それを見て、後ずさる中ボスクラスの化け物たち。
しかし、常時スキルを発動させておくのはゲームの世界とは違って、魔力量の少ない現実世界では効率が悪すぎる。
先ほど庭先で放った3発のホーリークロスを、柊也はチラリと後悔した。
懐にしまってある、廃人くんの魔石に意識を集中して、なんとかなるかと思い直す。
ゲームのスキルを現実世界で使えるようにはなったが、自身の魔力量はゲーム世界に比べて大幅に減っていたのが、こう言う場面では残念だ。
一撃で敵を仕留められるスキルで魔力を消費するのも、小刻みに大剣を軽々と振るうパッシブスキルに魔力を喰われていても、結果は同じガス欠である。
だから、ここは一気にスキルで勝負をつけるしか無いと柊也は判断した。
「きゃっ!」
「ナガツキ!」
「ナガちゃん!」
柊也が、後ろから聞こえた悲鳴に気を取られた瞬間、『見切り』スキルが発動しているにもかかわらず、回避行動に移るのが遅れた柊也を強烈な一撃が襲った。
その場から吹っ飛び、壁に激突する柊也。
石の壁に大きな窪みを作って激突した柊也に、続けて打撃攻撃が連続して襲ってきた。
ダメージからすぐに回復する『超回復』のパッシブスキルが発動しているが、衝撃で痺れた脳は回復までに僅かな時間を要するから、それを柊也はまともに喰らってしまう。
ガン!ガン!ガン!と直接打撃による三連打が柊也の防具に炸裂し、雷撃と火炎弾の魔法ダメージが続く。
廃人くん特製の鎧は変形もせずに、直接的なダメージと魔法ダメージを綺麗に軽減してくれるが、伝わる物理的な揺れだけは防げない。
頭を激しく揺すられて一瞬気持ち良くなり、僅かに気が遠くなる。
右前蹴りを突き出すように放って、目の前の敵を吹っ飛ばした。
パッシブに魔力を筋力に変換するスキルは、まだ有効だ。
すかさず体を捻って、その場から逃れる。
チラリと結衣姫たちの様子を伺えば、床に転がったナガツキを結衣姫が抱きかかえ、長刀を持ったキサラギが敵の1体と戦っていた。
柊也はその場から逃れる勢いを利用して、瞬歩スキルでキサラギを攻めている敵に肩から体当たりで激突する。
吹っ飛ぶ敵が、そのまま壁に突っ込んで止まる。
柊也は、それに構わずキサラギの前に立って大剣を構えた。
「ナガツキの怪我は?」
後ろを振り返らずに、それだけを訊ねる。
チラリとだが、見たところ大怪我をしている様子は見えなかった。
「大丈夫です。 ちょっと脳震盪を起こしているだけです」
落ち着いた結衣姫の声を聞いて、柊也も何故か心が落ち着くのを感じた。
姿は見えないが、キサラギもそれを聞いて安堵したのが、何故か雰囲気で判る。
「んじゃ、ちょっと行ってくる」
そう言いながら、懐から取りだした魔石の入った袋から魔石を1つ取りだして口に放り込む。
残りが入った袋を結衣姫に向かって放り投げると、無造作に大剣を床に引き摺りながら前にでる柊也。
ここはスキルを温存せずに、一気に勝負をつけると決めていた。
「はあぁぁぁぁぁ!」
自己流の息吹で、自分に活を入れる。
同時に、大剣が光を帯び始めた。
間近の敵を袈裟懸けに斬りつける。
左の前腕で剣撃を防がれるが、そのまま聖属性の力で押し切った。
床に転がった敵の腕に足を取られないように踏み込み、止めとして首をはねて倒す。
次に狙うのは左の敵、結衣姫たちに近い敵から柊也は攻撃を仕掛けていた。
「ぐわああぁぁぁ!」
大剣がズブリと敵の腹を貫き、黒い体液が噴き出す。
返す剣筋で後ろの敵を薙ぎ払い、身を翻して正面になった敵を真っ向唐竹割りに処した。
それからも、手当たり次第に斬って払って突き刺した。
延々と同じような動作を繰り返しているような錯覚に陥るが、気が付けば中ボスはすべて倒れて居た。
荒い息で、ラスボスたるゾルバの座る玉座に近付く柊也。
その場所まで、あと10数mのところまで来た時、ガクリと、手にした大剣が重みを増した。
「やべ、ここでガス欠かよ…… 」
大剣だけではなく、その鎧すらも重みを増して柊也の動きを妨げようとしている邪魔者に思えてくる。
その様子を見て取ったのか、まったく気にしていないのかは判らないが、玉座のゾルバが大きく両の手を宙空に持ち上げて呪文のようなものを唱え始めた。
見る見るうちに、床に広がって行く黒い染みのような物が目に入る。
やがて、そこから先ほどの中ボスたちとは比べようも無い程の大型の化け物が、次々と湧き出してきた。
頭が3つもある黒い猿のような化け物、牛ほどもある黒犬のような化け物、猛牛のような顔をした黒い巨人、人型だけでなく今度は様々な化け物の複合体であるキメラのような化け物が、玉座の前の床を埋め尽くす。
何だかゲームのエリアボスでおなじみの、バフォメットのような悪魔風の化け物までいた。
「なんだよ! バフォメットともあろう者が、ヌエ風情に安く使われてるんじゃねーよ」
そう憎まれ口を言ったかと思うと、何故か柊也は床に大剣を落としてしまう。
うっかり落としたのでは無く、自ら手放したという態度に見えた。
あまりの敵の数の多さに抗う事を諦めてしまったのかと、後ろで見ている結衣姫さえも思ってしまうような、そんな唐突さだった。
慌てて結衣姫は、柊也から受け取った魔石の袋を逆さにして、華奢な手の平の上にその中身を取りだす。
袋に入っていた6つの魔石を飲み込もうとしたその矢先、柊也の体が真横に吹っ飛んだ。
呆然とする結衣姫は手にした魔石を飲み込む事を忘れて、柊也が吹き飛んだ先に視線をやった。
ガラガラと崩れ落ちる石の壁の中に、柊也の白銀色に輝く鎧があった。
すでに聖属性の輝きは失せて、くすんだ薄い灰色にも見える。
ピクリとも動かない柊也に打ち込まれる、激しく燃えさかる火炎弾や、先端が尖った巨大な氷塊。
粉塵が収まった跡には、大きく崩れ落ちた壁と天井から崩落した大きな石に押し潰されて半身しか見えない柊也の鎧があった。
漏れ出す悲鳴を押さえようと、口に両手を持って行く結衣姫とキサラギ。
ナガツキは、まだ結衣姫の腕の中でぐったりと意識を失ったままだった。
バフォメットに似た化け物の1体が石に埋もれた柊也に近付き、乱暴に引きずり出す。
そして、その体を軽々と仲間の方へと放り投げた。
ドサリと力無く床に落ちた柊也は、糸の切れた操り人形のように力無く横たわっている。
そこへ一斉に化け物共が襲いかかった。
殴られ蹴られ魔法を落とされ、そして容赦無く踏みつけられる柊也の体。
廃人くんによって鎧に付与された魔法の防御力だけで、辛うじて柊也は原型を留めていた。
しかし、中の柊也の意識が無い事は明白に傍目からも判る。
このままでは、鎧の中に伝わる衝撃だけで柊也が死んでしまうのも時間の問題かと思われた。
いや、既に為されるがままで反応の無い様子を見れば、とっくに死んでいるのかも知れない。
容赦無く攻撃を加え続ける化け物たちの間から、辛うじて見える柊也の鎧は赤黒く変色していた。
もうどこにも、あの聖属性特有の高貴な白銀色の輝きは無かった。
一瞬、致命的な大量出血をしたのかと驚くが、それならもっと真っ赤なはずと結衣姫が思った時、柊也に襲いかかっていた化け物たちが激しい爆発に巻き込まれたかのように突如吹き飛んだ。
そして、何事も無かったかのようにムクリと立ち上がった柊也の鎧は、全身が激しい怒りを示す赤色と、虚無な心の闇を閉じ込めた暗黒色が混じり合った黒に近い暗赤色に変色していた。
突然大きく空気を振るわせて、その暗赤色の鎧が天井に向けて獣のように吼えた!




