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アヴェンジャー:世界が俺を拒絶するなら:現世編  作者: 藤谷和美
サイドストーリー第六話:ハイド 幻想夜話
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幻想夜話: 山の老人

「なんだオッサン。 あんた何処から湧いて出たんだ?」


 柊也がそう言ったのも無理は無い。

 いつから此処に居たのか、何故自分がそれを感知できなかったのか、それが理解不能だったのだ。


 彼がそう思ったのには、理由がある。

 柊也のゲームで得たスキルの1つに、デスゲームと化したVR世界の中で全員が生き延びる為に、運営会社から特別措置として与えられたスキルの中に『危険感知』と『気配探知』があった。


 デスゲームとは、ゲームの中の死がゲーム外に置かれた肉体の死に直結しているという事を意味する用語である。

 実際にゲーム中に死んだプレイヤーが脳死をしたと言う事実が、何例かあったと柊也も聞いていた。


 『危険感知』と『気配探知』以外にも幾つか手に入れたスキルがあるのだが、今回はその『気配探知』が寸前まで反応しなかったのだ。

 そして『危険感知』も、まだ反応していなかった。


 スキルが正常に動作しているのなら、相手に悪意は無いと言う事になるが、柊也はその黙って与えられたスキルの作動原理を知らない。

 しかし、仮に危険が無いと言っても、柊也に気配を感知されずに近付くことは不可能なはずだった。


 まさしく柊也が口にしたように、突然空間から湧いて出ない限り、気配を感知されずに彼に近付く事は有り得ない。

 ゲームのスキル名で言うならば、間近にテレポートされたようなものだった。


 もっとも気配感知がどのような事象を『気配』と定義して設定されているのかは、ゲーム運営会社から公開されてはいない。

 だからこそ抜け穴が無いとは限らないのだが、それはゲームを引退した柊也のあずかり知らぬ事でもあった。


 正直、手に入れても使わない、いや使う事が出来ないスキルであれば、それは所持する事にストレスを伴う無用の長物でしかない。

 唯一手に入れたスキルでメリットを感じるのは、『アイテムBOX』とゲーム内で呼んでいた、亜空間収納スキルが使える事だった


 ゲームで収拾していたアイテム類は、考えて見れば当然なのだが、現実世界に持ってくる事は出来なかった。


 ゲームのスキルが現実でも使えると言う理解不能な事象を目にすれば、アイテムだって同じように現実世界へと持ち越せれば良かったのにと、そう思わない訳では無い。

 しかしそれはスキルと同じように、現実世界では使い処の無い無用の長物であるのも事実だ。


 手に入れたアイテムBOXのお陰で、山歩きの度に重いザックを背負わなくても済むようになった事だけは、あの事件に感謝しても良いと思っていた。

 本来は、もっと贅沢な食材を持ってくる事だって出来るのだけれど、山で食べる食事はシンプルなのが良いのだ。


 そんな1人の時間の楽しみを奪われた気がして、柊也は少し腹を立てていた。

 こんな時間に、こんな山の中で薄汚い身なりの老人と出会うと言う、不気味なシチュエーションが気にならない訳ではない。

 しかし柊也の口から出たのは、不機嫌さを隠せない、そんな問いかけだった。


「ほぉ…… 人の若者よ、ワシが怖くないのか!」

「あ”!? オッサンは、まるで自分が人じゃ無いみたいな言い方だな」


 からかうような老人の態度に、柊也の態度は更に険悪になる。

 相手が人で無いのなら、この場でスキルを使って排除しても良いのかと、そんな誘惑にも駆られてしまう。


 なにしろ朝からずっと歩きづめで、途中軽い昼食を摂っただけの柊也は、猛烈に腹が減っているのだ。

 さあ食べようという処で邪魔をされて、機嫌の良い人間で居られるほど、まだ人間修行は出来てない。


 なにしろ185cmで87kgの筋肉質な肉体を維持するのには、それ相応なカロリーが必要なのだ。

 食い意地が張っていると言われようと何だろうと、これだけは誰にも譲れない大事な守るべき物だった。


 エクソーダスの仲間内からは、大人びた口調からオッサンと呼ばれて親しまれている柊也だが、腹が減っているときだけは、唯一口数が減って機嫌も悪くなる。

 それ以外の時は好んで争うことを好まない平和主義者である事が、仲間に見せている表の顔なのだが、この爺さんは本当にタイミングが悪かったとしか言えない。


「普通は取るものも取りあえず一目散に逃げ去る奴らばかりなんだが、お前は馬鹿に度胸があるな」

「悪いけど、腹が減ってるんだ。 俺の食事の邪魔をするなら、さっさと帰ってくれ」


 柊也は、おもむろにクッカーの取っ手を掴むと、自分の側に引き寄せる。

 そして、突っ込んであったスプーン山盛り一杯の、味噌チーズ雑炊を口に入れた。


「待て待て待て、ちょっと待ってくれ! どうだ、おぬしは良い体格をしているが、ひとつオレと、その飯を掛けて相撲を取らないか」


「オッサン、全然賭けになって無い事を良く考えて見ろよ。 百歩譲ってだな、俺が負けたら俺の飯を取られるのは理屈としては判る。 だけどオッサンが負けたら俺は何を得られるんだい?」


 柊也の問いかけに、しばし悩んでいた老人だったが、ハタと何かを思いついたような素振りを見せる。

 続いて自分の腰の後ろに手を回すと、ゴソゴソと何かを探り始めた。


「ほれ! どうだ、見事なヤマメだろう。 ワシが負けたら、これをお前にやろう」


 老人が腰の後ろから取りだしたのは、つい今しがた水から引き上げたのかと思う程に生きの良い、大ぶりなヤマメだった。

 それが全部で5尾、葛の蔓らしき物をエラから口に通されて、ビチビチと暴れていた。


「つか、どっから出したんだよ。 さっきまで何にも持ってなかっただろ。 気が付いたら狸のウンコを食べてましたってオチは嫌だぜ俺は」


 そう言って老人の言葉を否定すると、2口目を口に入れた。

 たちまち慌ててそれを止めにかかる老人は、相当に味噌チーズリゾットが食べたいらしい。


「なんじゃ、これだけでは不満か? おぬしも欲張りだなあ。 どうじゃ、これなら満足じゃろ」


 次に老人が自分の後ろから取りだしたのは、50cmはあろうかと言う大きな鱒だった。

 これもまた、ビチビチと暴れている程に、生きが良い。


「いや、それ確実に変だから! この辺りに鱒とかいないし、そもそもどっから持って来たんだよ。 つーか、腹が減ってるなら、自分でそれを喰えば良いだろ。 がっつかないで少し待ってろよ」


 火ぐらいは起こしてやると言って、焚き火用に集めてあった雑木の山に着火剤を絞り出して、腰に吊したウィンドライターで火を付ける。

 柊也がタバコを吸う訳では無いが、風が強い時でも確実に火を起こせるので、ウィンドライターは腰に吊して常備していた。


 パチバチと雑木が弾ける音を立てて燃え上がると、その炎を見て老人は僅かに後ずさった。

 柊也は、老人に向かって手を差し出す。


「ほれ、食えるように調理してやるから寄越せよ」


 しかし、老人はイヤイヤをするように、小さく首を振った。

 そして、柊也が脇に置いたクッカーを指差す。


「こんな物は、いつも食べていて飽き飽きしているのだ。 わしはその変わった匂いの食べ物が喰いたいと言っているのだ。 だから、それを俺に喰わせろ! その代わりに、これをおぬしにやると言っているではないか」


「面倒くさいオッサンだなあ…… 俺に負けたら、あんた何にも食べられないんだぞ。 元も子もなくなるって、判って言ってるのかい?」


「ほほぉ、おぬしの方こそワシに勝てるなどと、本気で思っておるのか?」


 自分が投げた挑発に柊也が乗ってきたと判断したのか、老人は傍目でも判るようにゆっくりと舌舐めずりをして、ニタリと笑う。

 本来なら一目散に逃げ出しているはずの人間が、ここまで山で出会った得体の知れない老人を前にして堂々としている事に、次第に興味を抱き始めていたのだった。


「いや、ちょっと待てよ! その言い方は、自分が100%勝てると確信した上で俺に勝負を仕掛けてるって事になるぞ。 そういうのは、イカサマって言うんだよ」

「いいや、待たぬ。 もう腹が減って我慢ができぬわい。 勝負だ小僧!」


 疑問を呈した柊也を無視して、倒木から地面にひょいと飛び移る老人。

 ツカツカと、しかし炎を避けるように遠回りしながら近付いてくる。


 それを見て、面倒くさそうに立ち上がる柊也。

 クッカーに蓋をする事は、こんな場面であっても忘れない。


 何も無いはずの背後から、獲れたてとしか思えない山女魚や、この周辺には存在しないはずの生きの良い鱒を捕りだした老人を見て、柊也は確信していた。

 どう考えても、この老人は只の人間では無いと。


 現実世界に『化け物』や『物の怪』の類いが存在しているとは、柊也は今まで思っても居なかった。

 しかし、こんな山深い場所に軽装で現れ、何も無いはずの背後から獲れたての魚を捕りだしてみせた怪しい老人相手なら、自分が封印しているスキルを使っても良いのでは無いかと思った。


 しかしまだ、万が一にも人間だと言う可能性だって無い訳では無い。

 それは言葉を言い換えると、化け物や物の怪の類いだという確かな証拠掴めるまでは、迂闊なことは出来ないという事でもあった。


「さあ来い! 小僧。 わしが勝ったら、あの食いものは全部頂くぞ」


 怪しい山の老人はそう言って腰を少し落とすと、両手を広げて身構えた。

 柊也は、成り行きとは言え面倒な事になったなという表情で、右のこめかみ辺りをポリポリと痒くも無いのに掻いている。


「て言うか、オッサンの服が臭そうで触るの嫌だって。 何日洗濯してねーんだよ」

「なんだと小僧! ワシを馬鹿にするな。 毎朝毎晩ちゃんと繕っておるわ」


 憤懣やるからない表情で、山の老人が吼える。

 面倒くさそうに、柊也が立ち上がった。


「いや、俺が聞いてるのは洗ってるかって事で、繕ってるかって事じゃねーから。 オッサン、話をはぐらかすなよ」

「意味ぐらい判っておるわ、ワシの言っておる繕いとは汚れを取って綺麗にする事じゃ。 お前の言っておる洗濯も、そういう意味だろうが」


「あーうるさいなあ、判った、判ったよ! これが食べたければ食べて良いから、静かにしろよ。 せっかくの憩いの時間が台無しだよ、まったく」

「馬鹿者めが! ワシに構えまで取らせておいて逃げる気か、この臆病者めが! 逃げるならばその道具ごと、この場に置いて行け」


「あー面倒臭せぇーな、まったく。 怪我してもしらねーぞ」


 柊也は前に歩み出て、山の老人の前で立ち止まる。

 山の老人はそれを見て、してやったりとばかりに口角を引き上げた。


 互いに腰を落として向き合うが、老人の背丈は柊也の胸ほどまでしか無い。

 どちらから仕掛けるのかを探る僅かな間と、互いに黙って隙を探る沈黙の時が、2人の間を通り過ぎた。


 秋の夜風が木々の間を通り抜ける時の、ほんの僅かな葉擦れの音が聞こえた。

 その瞬間どちらからとも無く2人は前に踏み出して、互いに組み合う。


 少しそれより早く、相手の動きがスローモーションに変わった。

 柊也の意思とは関係無く、パッシブに発動する『見切り』スキルだ。


 組み合った刹那、柊也は『クレンリネス』のスキルを発動させた。

 何をしたのかと言えば、相手の汚れを浄化したのだ。


 『クレンリネス』は、職業に関係無くソード&マジックオンラインVRのプレイヤー全てが最初から身に付けている、初期スキルの1つである。


 よりゲームにリアルさを醸し出すため、汚れるというファクターが実装されていたから、当然のように汚れを取るという作業も発生する。

 βテストの時に、それはテストプレイヤーから指摘を受けた。


 テスト中に風呂関連の設備も実装されたが、ネカマプレイヤーがゲームの実況をしたせいで、テスト中に『クレンリネス』スキルと入れ替えられた裏事情がある。

 そんなスキルを、柊也は山の老人に向かって掛けたのだった。


 キラキラと僅かな時間だけ輝いて、直ぐ消える小さな光の点以外に、目立ったエフェクトも発生しない。

 ただ汚れが取れると言うだけの便利スキルだから、仮に相手が世捨て人の老人であっても、問題は発生しないとの判断だった。


 そしてそれは、どうしても薄汚い身なりの老人と組み合わなければならないのならと、柊也が真っ先に思いついて使ったスキルなのだ。


「小僧、おぬし何をした?」


 一瞬だけ現れて消えた、光の粉末のような物が目に入ったのか、それもとスキル発動の何かを感じ取ったのか、山の老人が問いかける。

 上半身を前に突き出して組み合う体勢では、エフェクトが見える筈も無かったから、恐らく後者なのだろう。


「何にもしてないよ。 それより油断していると、隙ができるぜ、ほら!」


 柊也が相手の腰にかけた手を引き上げて、小柄な山の老人を持ち上げようとするが、山の老人は地面に根が生えたかのように、ビクともしなかった。

 当然まだ、柊也の使えるキャラ固有スキルは使っていない。


「どうした、口ほどにも無いな、ほれワシの方から行くぞ」


 山の老人が力を入れているようには見えないのに、90kg近い柊也の体がまるで風船のように、フワリと浮き上がりそうになる。

 慌てて、防御スキルの『不動』と『金剛』を同時に発動させた。


 本来は盾スキルの『ダメージ軽減』と併用するスキルなのだが、ボスモンスターの一撃にも吹き飛ばされずに耐えられるそのスキルが発動して、柊也も地面に根が生えたようにビクともしない。

 山の老人が顔を真っ赤にして力を込めても、柊也は平然としたままだった。


 ゲームに捕らわれる前であれば、それぞれのスキルに固有の術後硬直時間が設定されていたから、どちらか一方のスキル後硬直時間が終わるまでは、次のスキルを発動させる事はできない。

 それは僅か5秒から長い物で10秒程のスキル使用不能時間だが、緊迫した戦闘中では使い処を先読みしないと逆に面倒な事になる、面倒なスキル仕様だった。


 それがゲーム内拉致だけで無く、図らずもゲーム内での死が脳死に繋がるデスゲームとなった事が重なり、プレイヤーを極力生かす方向でスキルの仕様が変更された。

 そして、その具体的方法の1つとして、スキルの無詠唱化と術後硬直時間の破棄が決まったのだった。


「どうしたオッサン、こっちから行くぞ」


 攻撃時の筋力を一時的に増大させる『膂力増大』を発動させて、目の前にいる山の老人を持ち上げにかかる。

 大きな剣や盾を振るう為のパッシブスキルとして『疾風迅雷』があるが、それは負荷を感じさせずに攻撃速度や移動速度を向上させる効果しか無い。


 それはどちらのスキルも、支援職の同種スキルに最大効果は遠く及ばない。

 しかし、もし支援を受けられるならば、柊也は鬼神にも匹敵する狂戦士となる事も可能だった。


 とは言え、ゲーム内のような強大な敵の居ない現実世界では、使い道の無いスキルでしか無い。

 フワリと浮き上がりそうになって慌てた表情を見せた山の老人は、鼻息も荒くそれにあらがった。


 柊也の胸元で聞こえる、フーフーという荒い息づかいが次第に大きくなる。

 鼻を突くような獣臭をかいだような気がして、胸の前に居る老人に視線を移した。


 心なしか、老人の小さな体が先ほどよりも大きく感じる。

 何だこれはと、自分の腰に回された老人の腕に目をやった。


「むふうぅぅぅ、グオォォォォ!」


 山の老人の放つ息が荒くなり、その発する音すらも野太く変化してゆく。

 皺だらけだった老人の腕が、みっしりと生えた黒い獣毛に覆われ、見る見るうちに膨れあがって行った。


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