ミッシェルの憂鬱: 撲殺神官
土曜日の授業が終わって、駅の改札前にミリアムを待つ栞奈が居た。
>>ミリアム・エリストス: ミッシェル姉さん、南改札と北改札があるけど、どっちにいるの?
<<ミッシェル・クロフォード: 南改札よ、その前で待ってるよ。
改札を出てきたミリアムは、中学校の制服に薄い鞄と紺色の袋に包まれた長い物を持っていた。
「なにそれ、もしかして竹刀を持ってきたの?」
「うん、だってまだ犯人が捕まっていないんでしょ」
栞奈が訊ねると、ミリアムは片手で竹刀が入った袋を構えて見せた。
「犯人がミリアムに手を出したら、私は犯人の身に降りかかる不幸を想像して神様にお祈りしちゃうわね」
「それはミッシェル姉さんに手を出して、全身を矢で打ち抜かれるのと、どっちが幸せなのかしらね」
そんな冗談を挨拶代わりに交わして、二人は学校へと向かう。
学校への道すがら、最近起きた事件の事や、この町で行われたオフ会の事、廃人くんの事などを話していたら、いつの間にか栞奈の通う学校へ着いていた。
「じゃあ、先に教務の江藤先生に挨拶してからね」
栞奈は来客用の下駄箱にミリアムを案内して、スリッパを渡そうとするけれど、ミリアムはそれを断った。
彼女は中学校で使っている、自前の白い室内履きを持って来ていたのだった。
「履き慣れた物が一番よ」
ミリアムの履いている室内履きには、秋吉杏奈と本名がマジックで書いてあった。
「そう言えば、そうよね」
栞奈も自分の室内履きに履き替える。
こちらには、2-A後藤とだけ書いてある。
教務の先生が待っている1階の受付事務室へ行くと、江藤という教務の担当が二人を待っていた。
痩せた長身の男だった。
良く言えば太っていない、悪く言えば痩せて貧相な男である。
「よろしくお願いします」
ミリアムが、びしっと背筋を伸ばした綺麗な深い礼をしてみせた。
その所作の美しさに感心する栞奈。
普段はおちゃらけていても基本には一本芯が通っている事が、こういう処で良く判る。
栞奈も負けじとミリアムの隣で背筋を伸ばして深くお辞儀をした。
「勝手なお願いを聞いて頂いて、ありがとうございます」
「ああ、そんなに畏まらなくても構わないよ。 はい!これを腕に付けなさい」
江藤という男は、入場許可01と白字で書かれた緑色の腕章をミリアムに渡した。
江藤の案内で教室から音楽室、図書室、視聴覚室などを順々に回った。
ミリアムは、自分が来年から通うかもしれない高校の設備を色々と見学して目を輝かせていた。
なんとしても、受かって欲しいものだと栞奈も願っている。
ミリアムさえ良ければ勉強を見てやろうかなと思っているうちに、三人は最後の見学場所である体育館へと向かっていた。
>>ミリアム・エリストス: ミッシェル姉さん、かなり来てない?
<<ミッシェル・クロフォード: うん来てるね、ビンビン来てるよ。
体育館に近付くと、ダン!ダン!と言う床をボールが叩くような重い音が響いてくる。
「まだ、誰か居るみたいですね」
栞奈が、教務の江藤に尋ねるが、江藤も人が居るとは思っていないような返事だった。
「他の生徒は、みんな帰ったはずなんだけどなぁ…… 」
そう言いながらも教務の江藤は、体育館へと近付く足を緩める気配は無いようだった。
ミリアムと栞奈も顔を見合わせて、仕方なく後を追って行く。
体育館の一つだけ空いていた入り口から中を覗くと、20数名の男子生徒がバスケットボールに興じていただけだった。
ピリピリと痛い程に感じる危険関知スキルの示す物が、体育館の中だと思っていた二人は拍子抜けした表情を見せる。
「ここが体育館だよ、中に入りなさい」
江藤という男に言われて、中に入る二人。
相変わらず、危険感知の警報は鳴り響いている。
(いったい何が…… )
周囲を見回す二人の背後で、ガラガラと音を立てて入り口の扉が閉まった。
同時に、開け放った入り口から差し込む日差しが遮られて暗順応が遅れた二人の目には、広い体育館の中が暗い闇に閉ざされたように見える。
「江藤先生!」
後ろを振り返り、教務の担当者の名前を叫ぶ栞奈。
徐々に暗闇になれてきた栞奈の目に映ったのは、薄暗い体育館の中に光る二つの赤い目だった。
>>ミリアム・エリストス: なんか嵌められちゃったかも……
ミリアムの方を振り返ると、バスケットボールをしていた筈の男子生徒がいた場所に、いくつもの赤い目が爛々と光りながら二人を取り囲むように動いているのが見えた。
<<ミッシェル・クロフォード: ごめんね、私が甘かったわ。
<<ミッシェル・クロフォード: なんていうか、スキルの持ち腐れだよね、こんな無駄な使い方してちゃ。
>>ミリアム・エリストス: 気にしない気にしない、現実世界でスキルとか使った経験が浅いんだから、しかたないよ。
そう念話で栞奈に言いながらミリアムは鞄を投げ捨てて、持っていた袋から竹刀を取りだしていた。
<<ミッシェル・クロフォード: どうしても現実世界だと常識に縛られて、「まさか自分に危険が?」って思うから、初動が遅れちゃうんだよね。
>>ミリアム・エリストス: うんうん、判る気がする。
「ミリアム、殺しちゃダメよ。 たぶん気絶するくらいの打撃を叩き込めば目が覚めるはず」
「ミッシェル姉さん、こいつら初めてじゃないの?」
対処法を伝える栞奈の方を向いて、ミリアムが驚いたような顔をした。
「詳しい話は後で! ミリアム、鞄を借りるわよ」
栞奈は、ミリアムに小さく頷くとミリアムが放り投げた薄い通学鞄を拾い上げた。
既に、周囲は赤い目に取り囲まれていた。
「オッケー、じゃあ行くわよ!」
ミリアムが小さく掛け声を掛ける。
「まって!ブーストをお願い。レベル10だと撲殺しかねないからレベル3で良いわ」
ミリアムの決して多くない魔力量を考えて、最低限度の支援を要請する栞奈
「身体能力増強!」
「身体加速!」
「MP回復速度向上!」
ミリアムがスキルを発動させると、異様に体が軽くなる。
頼んでいない加速まで掛けてもらった。
MP回復速度向上は、MP量の多くないミリアム自身のためなのだろう。
「和兄ぃからもらった魔石があるから、心配しないで」
「判った、身バレが怖いから戦闘装備召喚はギリギリヤバくなるまで使わないでね」
何処で誰が見ているか判らないから、できる限り目に見える装備類やスキルは見せたく無い。
廃人くんが異世界へ行くことになった経緯を考えると、うかつに装備やスキルを人目に晒すべきでは無いと栞奈は考えていた。
その点、ブレスやスピードアップなら、その行動速度の異常性に気付くことはあるかもしれないが、スキルそのものは目に見えない。
「来たわよ、ミッシェル姉…ぇ…さ……ん」
ミリアムの言葉が最後は低音のノイズに変わって、『見切り』が発動した事を栞奈は察した。
自分の体の動きも、やや重くなった気がする。
それだけで済んでいるのは、ミリアムが発動させたブーストスキルの恩恵なのだろう。
本来なら粘度の高い油の中を動いているように、自分の体が重いはずなのだから。
真っ先に突っ込んできた男子生徒に、ミリアムが綺麗に面を決める。
たちまち崩れ落ちた男子生徒の口から、黒い闇が吐き出されて消えた。
「うわぁ何これ、キモイ!」
栞奈は横から掴みかかってきた男子生徒の脇を擦り抜けて、横殴りに鞄の角を腹部に叩きつける。
その男子生徒は壁際まで吹っ飛んで口から黒い闇を吐き出して気絶した。
「やばい!人間相手だと、これでもやり過ぎかも」
栞奈の心に冷や汗が流れ落ちる。
絶え間なく聞こえる竹刀の音らしき低音の響きに振り返ると、既にミリアムは10数人を倒しているのに、息一つ乱していなかった。
<<ミッシェル・クロフォード: さすが撲殺神官の名は伊達じゃないわね。
こんな状況なのにゲームの時を思い出して、思わず口元が緩んでしまう。
栞奈も男子生徒の攻撃をかいくぐって鞄の角を思い切り腹部にぶち当てた。
もうすでに、栞奈も5人程を吹っ飛ばしていた。
ミリアムも、7人ほどを追加で地に這わせている。
残るのは、教務の江藤だけだった。
「何なんだ!お前らはあぁぁぁ」
ミリアムに追い詰められた江藤が赤い目を光らせて叫んだ。
栞奈は、万一のサポートの為にミリアムの後方に位置して、油断無く周囲を伺う。
きゅん!と甲高い靴鳴りの音をさせて、ミリアムが江藤に突っ込んで腹に竹刀を叩き込んだ。
げぼぉ!と、黄色い胃液と共に一際大きな黒い闇が江藤の口から飛び出してくる。
その黒い闇は、他の闇のように消えずに一カ所に集まってゆくと、長い角の生えた黒い魔物の姿に変化した後、それが嘘だったかのように消えてしまった。
「ミッシェル姉さん、あれって…… 」
「ミリアム、あなた聖水変換スキルを取ってたわよね」
有り得ない物を見て混乱しているミリアムに、栞奈は冷静に確認の意味で言葉を投げた。
それを聞いて、ミリアムも落ち着きを取り戻す。
「やっぱり、あれって……」
「確証は無いけど、もしかするとそうかもね」
「むふふ、聖水変換だけじゃなくて、不死悪魔耐性向上も、不死悪魔攻撃力増強も、殴りプリの嗜みですもの」
さも当然のように、答えるミリアムが何故か嬉しそうだった。
「ちょっと、ゲームじゃ無いんだから、死に戻りも復活も無いのよ」
ミリアムの鞄で、軽くミリアムの頭を叩く栞奈
「てへペロ」
小首を傾げて、上目遣いで閉じた唇の横から小さく舌を覗かせて見せるミリアム。
「ほらほら、そういうのはもう流行ってないわよ」
栞奈は、ミリアムの背中を押して体育館の入り口へと向かう。
恐らく、全員が今日の記憶を失っているだろうけれど、怪我人が出ている現場にいつまでも残る愚は犯したくなかった。
出来れば、ミリアムのワープで確実にアリバイの作れる場所に移動したいくらいだが、ミリアムにはそれが判っていないようだ。
実際にワープさせないのは、何処かで見ているかもしれない敵に手の内を見せたく無いからだった。
「えー、私の中では絶賛大流行中なんだけどなぁ、ぶつぶつ」
ミリアムは、自分の自慢のネタを否定されて不満そうだ。
「ぶつぶつ も、口に出して言わないの!」
一刻も早く、ここから離れようと焦る栞奈の気持ちも知らずに、気楽な軽口を叩くミリアムに、すこし苛つく栞奈。
「えー、だって可愛いじゃない」
「誰が?」
栞奈が、腰に左右の手を当てて真顔で質問する。
「え?あたしが……なんちゃって、てへへ」
栞奈の持つ鞄の角が、ミリアムの頭へ無慈悲に直撃した。
涙目のミリアムを連れて、足早に学校を出る栞奈。
「ミリアム、明日も来られるかな?」
「良いけど、みんなは呼ばないの?」
みんなとはエクソーダスのメンバーの事で、応援を呼ばないのかという意味だと、栞奈にもすぐに判った。
「今夜話はしておくけど、みんなを呼ぶのは決着をつける時だね。 みんな仕事とか学校に行ってるから簡単には来られないだろうし…… 」
「そうだ! これ聖水にしておいて」
栞奈は自動販売機で500mlのミネラルウォーターを買うと、それをミリアムに渡した。
「聖水変換!」
ミリアムは、それを受け取るとスキルを唱えて500mlのペットボトルを聖水に変えて見せた。
聖水変換スキルは、本来は清らかな乙女が清水に素足を浸して、そこからくみ上げた水に神への祈りを捧げて聖水に変換してアイテムBOXに保管しておくと言うものである。
しかし、応用として既に別の器に入っている水も同様に聖水に変換する事が出来る事がゲーム内で知られていた。
「ありがと、万一のために貰っておくね」
栞奈は自分のアイテムBOXを開いて、青いキャップのペットボトルをその中に放り込んだ。
ミリアムと明日の約束をしてから、家に帰る栞奈。
自分の部屋に入り、パーティのメンバーを呼び出す。
<<ミッシェル・クロフォード: みんな元気でやってますか?
>>ハイド・イシュタル: 暇暇暇、暇で死にそう
>>パンギャ・パンチョス: こっちは厄介事で取り込み中かな。
>>ジュディス・エスター: バイトが二人も辞めちゃって、シフトが滅茶苦茶で死ねるわ。 そもそもバイトに責任のある仕事させるとか超絶ブラックよねー!
>>アモン・ナッツミー: うわあぁぁぁぁん!校了前の赤入れ追い込みで寝不足よー、もう肌荒れが凄くて悲惨よ。
>>ミリアム・エリストス: こんー、早速全員招集だね。
>>ミッシェル・クロフォード:ちょっと事件が起きたので、みなさんに報告です。
エクソーダスのミッシェルこと栞奈は、今日までに起きたことを掻い摘まんで話した。
<<ミッシェル・クロフォード:そんな訳で、ちょっと確証が掴めるまで探って見るけど、万一手に負えそうも無かったら応援をお願いするかもしれません。
>>ハイド・イシュタル: 行きたいのは山々だけど、俺ワープ持ってないから決行の前日迄に声かけてね。
>>アモン・ナッツミー: 月曜に校了すれば代休が取れるから、ヤバいことは来週以降にしてねー! 今抜けるとまたクビになっちゃうよ。
>>パンギャ・パンチョス: こっちも相当厄介なトラブルに巻き込まれてて身動きが取れなさそうなんだけど、気にしないで声だけは掛けてね。
>>ジュディス・エスター: もうバイト放り投げて逃避したいけど、私だけじゃワープ持ってないからアモン姐さん次第かなー
>>アモン・ナッツミー: ワープったって事前に登録してなけりゃピンポイントで駆けつける事もできないよ。
>>ミリアム・エリストス: みんな心配しないで大丈夫だよ、ミッシェル姉さんには、あたしがついているからさ。
>>アモン・ナッツミー: だから心配なんだよ!!
>>パンギャ・パンチョス: くれぐれも暴走しないように自重してね。
>>ジュディス・エスター: ミッシェルの言う事を、ちゃんと聞くんだよ。 暴走しちゃダメだからね!
>>ハイド・イシュタル: 現実世界じゃ、復活しないんだから無茶はダメだよ。
>>ミリアム・エリストス: ちょっとおぉぉぉ、あたしってば信用なさ過ぎで凹むわ。
<<ミッシェル・クロフォード: 頼りにしてるわよ、撲殺神官さんw




