ミッシェルの憂鬱: 赤い目
<<ミッシェル・クロフォード: こん~!土曜日の事なんだけど、いま良いかな?
>>ミリアム・エリストス: こん~!大丈夫だよ。 もしかして学校見学の事かな?
<<ミッシェル・クロフォード: そそ、都合が悪くなってたら遠慮無く言ってね。
>>ミリアム・エリストス: ううん、全然問題無いよ。 待ち遠しいくらいだもん。
<<ミッシェル・クロフォード: 今週の土曜日がダメだと、その後は来月になっちゃうっていうからね。
>>ミリアム・エリストス: あれま! ずいぶんと忙しい先生なんだね。 ミッシェル姉さんの町まで電車で30分くらいだから、学校が終わってからすぐ行くね。
>>ミッシェル・クロフォード: 最近物騒な事件があって、4時前には帰らないといけないから、来るなら早く来てね。
>>ミリアム・エリストス: うん、テレビで見たよ。 大変な時にありがとね、ミッシェル姉さん。
>>ミッシェル・クロフォード: 撲殺神官のミリアムが居れば、誰が襲ってきても返り討ちでしょw 早めに終わらしてお茶でもしようよ。
<<ミリアム・エリストス: そだね、またね!
栞奈が家のドアを開けると、貴史の靴があった。
一瞬警戒するが、この町全域の学校で同じ措置が執られるという教師の言葉が頭に浮かび、それを受け入れた。
「貴史くんの学校もクラブ中止なの?」
居間のソファーに腰掛けて、栞奈が帰ってきても無言でテレビのリモコンを操作している貴史に尋ねる。
とにかく何か話かけていないと、二人だけの家はどこか気不味い。
「ああ、ニュースが凄い事になってるな」
貴史がぶっきらぼうに答えるが、顔を栞奈の方に向けることは無い。
思い余って、貴史の母親に下着の事を言いつけてから、非常に気不味い関係になっていると栞奈は感じている。
「ちょっと荷物を置いてくるね」
そう言って居間を出ると、階段を上がって自室へ駆け込み内鍵を掛け、ドアに背を預けてホッと息を漏らす。
突然気配感知スキルが発動して、クビの後ろを嫌な感覚が襲う。
少し遅れて、ガチャガチャと突然ドアノブが回される音がした。
「えっ!」
鍵が掛かっているから当然ドアは開かないが、ホラー映画の1シーンに居合わせたような驚きと、若干の恐怖が栞奈を襲う。
「誰?……」
反射的にドアから離れて、動くドアノブを見つめてしまう。
ドン!とドアを蹴るような大きな音がしてドアが、激しく揺れる。
ドアノブは動かなくなった。
「お前、警戒し過ぎなんだよ!」
それは紛れも無く貴史の声だった。
その声の主は、そう言い放つとドスドスと荒い音を立てて階段を降りていったようだった。
(それを言うなら、警戒して正解でしょ)
「困ったな、掃除と洗濯もしなくちゃいけないのに…… 」
栞奈はしばらく考えた末に、自分の『見切り』スキルを信じる事にして、手早く着替えてドアを開けた。
ドアの外には、林檎が1つ置いてあった。
「えっ?、これって…… 」
思わず、林檎を手に取って階下の方を見る。
不器用に皮を剥いて皿に切り分けてある訳でも無く、丸ごと一個の紅い林檎。
自分が何か思い違いをしていたように思えて、恥ずかしくなる。
階下に降りると、貴史は相変わらずソファーに浅く座ってテレビのニュース番組を見ていた。
「貴史君、さっきはゴメンね。 急にノブが動いたからビックリしちゃって…… 」
貴史は栞奈の方を見ると、プイと顔を背ける。
「林檎ありがとう、切ってくるね」
栞奈はキッチンで林檎の皮を剥いて、8等分に切り分けた。
軽く塩水にくぐらせてから皿に盛りつける。
ひとつ摘まんで口に入れると、シャリシャリという歯ごたえと甘酸っぱい林檎の味が口に広がった。
「うん、美味しい…… 」
それを居間のテーブルの上に乗せて、貴史に声を掛けた。
「美味しい林檎だね。 私だけじゃ食べきれないから一緒に食べて」
そう言って、もう一つだけ口に入れる。
貴史は、無言で答えない。
自分の衣類を洗濯している時に、夕食の買い物を忘れていた事に気付いた。
いつもより早く帰る事になって、日常の習慣を忘れてしまったようだ。
「貴史君、買い物を忘れちゃったからお留守番頼むね」
貴史の返事は無い。
洗濯物を持って自室へ上がり、手早く室内に干して階下へ降りる。
大きめなエコバッグを折り畳んで、買い物用の手提げバッグに入れた。
玄関に行くと、そこには貴史が立っていた。
中学生と言っても運動部の二年生、身長はいつの間にか栞奈より高くなっている。
「あぶねーから、一緒に行くよ」
ぶっきらぼうに話す貴史だが、どうやらボディガードをしようという事らしい。
普段なら一緒に居ることを極力避けるのだが、先程の林檎の件が栞奈に負い目を感じさせていた。
「うん、それじゃお願いしようかな」
今までのことは、もしかしたら自分の考え過ぎだったのでは無いかという想いが栞奈の頭を過ぎる。
もしそうだとすれば、自分の自意識過剰ぶりが恥ずかしくなってしまうが、今まで感じていた不安が完全に払拭出来た訳ではない。
誰も居ない家の中で二人きりになるよりは、人目のある屋外で二人の方がましだと思っただけの事である。
もちろん、林檎の事が心に負い目となっているから断り切れなかったのも、同行を許した理由としては大きかった。
二人で連れだって歩く商店街への道。
栞奈が少し前を歩き、貴史がその後ろを歩く。
何故か、貴史は並んで歩こうとはしない。
夕暮れまでまだ時間があると言うのに、商店街は閑散としていた。
「栞奈ちゃん、今日は早いね」
栞奈を見つけた八百屋のオジサンが声を掛けてくる。
「こんにちは! 今日は人通りが少ないですね」
栞奈は、辺りを見回してそう答える。
「例の事件のせいだよ、きっと。 みんな早々と買い物を済ませて家から出ないんじゃないかなぁ…… 」
「そうそう!明日からもずっとこれじゃ、干上がっちまうよ」
八百屋のオジサンの言葉に釣られて、隣の魚屋のオバサンも客足の少なさを嘆いていた。
買い物を済ませて帰る頃には、更に人通りは少なくなっている事に気付く栞奈。
貴史に重い野菜類を持って貰い、自分は肉と総菜を持って歩く。
突然、後ろから貴史に呼び掛けられた。
「お前、俺の事を警戒しているだろう」
突然、そんな事をストレートに聞かれても「そうだ」とは言えないし、言える訳が無い。
返事をしない事を肯定と取ったのか、貴史は話し続ける。
「お前、うちに来てもう何年だよ。 そんなに自分から俺たち家族に距離を取ってたら、この先もずっと仲良くなんかなれねーぞ」
貴史の言っている事は正論だった。
引き取られてからもう4年目、頑なに叔父家族と距離を取って離れているのは、間違い無く自分だという意識はある。
でも、あの時の自分を押しつけ合う親族の醜さと、寄る辺ない自分の心細さを思い出すと、簡単には素直に接する事はできそうにない。
そんな事を考えて下を向いて歩いていたら、急に首筋にピリピリとした嫌な感じが走った。
丁度、日陰になって薄暗い路地に差し掛かったところで、足下を風に吹かれて舞っていた落ち葉の動きが急にゆっくりと変わり、周囲の音も低く聞き取れない程に速度が落ちた。
(これは『見切り』!)
瞬時に回避行動に移る栞奈。
碧に胸を鷲掴みにされた時のように、何が起きているのか状況分析をしていれば、みすみす回避できるチャンスを失ってしまう事になる。
そう判断しての回避行動だった。
何が起きているのかは、回避してから把握すれば良い。
そう考えて栞奈は、べっとりと空気が張り付いて重い体を動かす。
体を横に動かしながら、たった今まで自分の体があった場所に顔を向けて見ていると、自分の顔があった辺りを貴史の右腕が通り過ぎて行く処だった。
貴史の腕に続けて、栞奈の視界に貴史の顔が入ってくる。
その眼球と瞳は異様に赤く、明らかに人の目ではない。
ゆっくりと、真横に回避した栞奈の方を向く貴史の顔が、信じられないものを見たような驚愕の表情を作っていた。
人間離れした動きで、そのまま栞奈の方へ方向転換する貴史。
栞奈を捉えようと、鋭い爪の生えた皺だらけの黒い手を伸ばしてくる。
僅か数日しか習っていないぎこちない動きだが、摺り足の歩法を真似て上体の重心を崩さないように、体を回転させて回避する栞奈。
『見切り』スキルのおかげで、相手の動きを見てから動いても間に合うし、動いている途中での軌道修正もできる。
栞奈に攻撃を綺麗に躱されて、重心を崩したまま前に足を踏み出そうとしている赤い目をした貴史の右腕を外側から掴む。
そのまま貴史が進もうとしている方向に、自分の体を回転させながら合わせて身を捩り、貴史の移動速度を更に加速させた。
前のめりになる貴史の右腕を掴んだまま、鞭を振るうように引きながら軽く上に上げてから下へと振り下ろす。
貴史の体は面白いように綺麗に空中で一回転して、背中から固い地面に激突した。
「ぐはぁっ!」
貴史が咳き込むところを無視して、その腹を思い切り踏みつける。
「ぐあっ、ごふぅっ!」
貴史が腹の中の物を吐き出すかのように、激しく咳き込みだした。
ゴボッという濁った音と共に、貴史の口から黒い煙のようなものが大量に吐き出されて宙に舞い上がると、すぐに掻き消すように見えなくなった。
「ごほっ、いったい何が…… 」
貴史が周囲を見回して、不思議そうな顔をしている。
栞奈は、油断せずに貴史の様子を伺っている。
先程の様子と違い過ぎる今の様子を見比べれば、これが演技では無いとも言い切れないのだ。
「痛てて… なんで俺こんな処に? 」
「あなた覚えてないの?」
とぼけているのかと疑ってみたけれど、どうやら本気で言っている様子の貴史を見て、先程彼の口から飛び出していった黒い霧のような塊を思い出した。
「ていうか、ここ何処だよ? たしか帰り道にお前の友達だって女が待ち伏せしてて…… 」
「友達って、碧の事?」
誰かを探すように、辺りを見回している貴史。
友人と言える人間が数少ない栞奈にとって、友達と言えば碧の顔が真っ先に浮かぶ。
「名前は知らないけど、一回だけ家に連れて来た事があるだろ。 そいつだよ」
思い当たるのは碧しか無かった。
中学校の時に、友達になって家に連れて来た事を思い出した。
それ以外の友人を呼んだことは無いし、そもそも家に呼ぶような友人は居ない……
「そいつが急に話しかけてきて、お前の事で話したい事があるって言うから聞いてやったら、目の前が真っ暗になって…… 」
「ごめんね」
栞奈は、貴史に手を差し伸べた。
『見切り』はもう発動していないから、とりあえずの危険は無いと判断したのだった。
もし仮に今日言われた事が、貴史の中に居た別の何かが言わせた事だったとしても、それは栞奈の心に痛い指摘だった事に変わりは無かった。
警戒心を解かないまでも、少しは歩み寄る事も必要なのかなと、栞奈は少しだけ思い直す。
そうして栞奈は、差し出した手を掴んでくれた貴史を引き起こした。
翌日になり、碧との待ち合わせ場所へ向かう栞奈。
街角には、そこかしこに警察官や自警団と思われる人達の姿があり、パトカーを見かける事も多かった。
「おはよう栞奈、どうかしたの? 怖い顔してるわよ」
今日は珍しく、碧から声を掛けてきた。
疑いを持って見てしまうと、普段と変わらないはすの碧の笑顔にも、何か裏があるのでは無いかと思えてしまう。
怖い顔をしていると碧に言われて身構えていた自分に気付き、栞奈は笑顔を作って力を抜いてみた。
「うん、ごめんちょっと色々あったから…… 」
そう言って、チラリと碧の顔色を窺う。
しかし、そこには何の変化の色も見られないままだった。
「ねぇ栞奈、明日の午後は何か予定があるの?」
疑いの視線に気付いていないように、碧は栞奈に訊ねてきた。
明日は土曜日、授業が終わった後でミリアムを校内見学させる日だった。
「うん、ちょっと知り合いの子が受験前に校内見学をしたいって言うから、教務の江藤先生にお願いして案内する事になってるの」
「そっか、栞奈の話をしたらお父さんが仕事で出国する前に会ってみたいて言うから、家に招待しようと思ってたんだけどな」
碧の父親が帰ってきてから彼女の様子が変になったと栞奈は感じていた。
そして、プレゼントにもらったという人形の事も気になる。
「うん、ごめんね。 それでいつ出国するの?」
「それが来週の月曜なんだって」
「そうなんだ、断言出来ないけど日曜日に行けたら行くよ。ゴメンね」
「ホント! 日曜ならギリギリ間に合うから絶対に来てね、絶対よ」
別に碧の父親に会ったからと言って、何という事も無いのが本音だ。
それよりも、プレゼントにもらった人形というものを見てみたいと栞奈は思った。
自分の思い過ごしで無ければ、碧はプレゼントを貰った日から変わっている。
それが父親の帰国で何かあったのか、父親は無関係でプレゼントに何かあったのか、まったく関係が無いのか、皆目見当がつかなかった。
とにかく碧の家に行って、自分の目で確かめてみようと思っていたのだった。
二人で歩き出せば、ここ数日と同じように男子生徒が碧に寄ってくる。
一緒に居る栞奈も男子生徒に話しかけられるけれど、どこか胡散臭いものを感じて離れてしまう。
これも、毎日変わらない事だと言えば、その通りだろう。
後ろから見ていると、さり気なく碧の体にタッチしてくる男子生徒もいる。
そして、それを拒否するでもなく受け入れるでもなく、何事も無いように歩く碧。
それは以前の碧とは、まったく別の人物にしか見えなかった。
次第に、意識せずとも碧たちとの距離が離れて行く。
チラリと振り返った碧の顔に、栞奈を侮蔑するような笑みが浮かぶが、下を向いて歩く栞奈はそれに気付くことは無い。
自分の教室に入ると、今日も空席が目立っていた。
席について鞄の中身を机の中に入れていると、廊下で騒いでいる声が聞こえた。
誰かが大声で言い争っているというか、一方的に詰め寄っているような声だった。
後ろの入り口から顔を出して廊下を覗いてみれば、二つ隣のクラスの前になる位置で、誰かが争っていた。
栞奈から見て後ろ姿しか見えない碧に向かって、一人の女子生徒が大声で何かを詰問しているように見える。
今にも掴みかかりそうな勢いに、碧を助けようと栞奈が教室を出ようとした時に、ゴトンと重い音がした。
碧に文句を言っていた女生徒が、突然廊下の床に頭から倒れ込んだのだった。
教師を呼んでくる騒ぎになったが、碧が何も手を出していないのは多くの生徒が目撃しているから、興奮しすぎた女生徒が気を失ったのだろうという事で落ち着いた。
その時、別角度から見ていた生徒が居れば、碧の目が赤く光ったと同時に女生徒が意識を失って倒れたと証言しただろう。
もっとも、それは誰も本気にはしないだろうけれど……
それを目撃できる場所に居た生徒が、全員碧の取り巻きだった事は、誰も知らない。
倒れた女生徒は、教師によって保健室に運ばれていった。
その夜、駅に続く道を歩いて来る人影があった。
週末の金曜日という事で飲み過ぎたのか、終電を逃してしまって寝る場所を探していた。
頼りのネットカフェは満室で入れず、今日に限ってビジネスホテルも満室だった。
季節はもう10月に入ったとは言っても、まだ夜の冷え込みはきつくない。
ふらふらと誘われるように、薄暗い路地へと入って行く。
その路地の闇の奥で、無数の赤い目が光った。
闇の中でピチャピチャ、グチャグチャと湿った音がするが、その路地の闇に入っていった男は戻って来なかった。
夜道を早足で歩くスーツ姿の女性がいた。
コツコツと固いヒールの音が、薄暗い夜道に響く。
カツカツと、そのヒールの音に合わせて響く靴音。
少し小走りになる女性、聞こえてくる靴音も小走りになった。
「ひっ!」
喉元から漏れそうになる悲鳴を押し殺して、走り出す女性。
追ってくる足音も走り出す。
必死で走る女性と、それを追う足音が二つ三つと次第に増えて行く。
半泣きで走る女性が急に立ち止まると、追ってくる足音も立ち止まった。
ようやく交番の前まで辿り着いたのだ。
頼もしく見える交番の灯り、荒い息を整えながらも後ろを振り返る女性。
「ひぃぃっ!」
追ってきた者らしき人影が10数名にもなると知って、再び悲鳴を漏らしそうになる。
慌てて交番へ駆け込み、中に声を掛ける。
昨今は、交番と言っても警官が居ない事が多いのだが、幸運なことに警官は居た。
「大丈夫ですか! すぐに楽になりますよ」
警察官の制服を見て安堵した女性に声を掛ける警官の目が、赤く光った。




