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「ただいまー」
家に帰ってくると、瑞希はまず柚穂の靴をチェックする。
「……今日も帰り、遅いんだ」
そこに柚穂の靴が無いことを確認して、瑞希はそうつぶやいた。
柚穂は最近帰りが遅い。今までは放課の早い柚穂のほうが先に帰っているのが普通だったというのに、この二週間くらい自分より帰りが遅いのだ。
両親は事情を知っているらしく特に心配していないようだが、自分には何も話してくれない。これもまた、悩みの原因だ。
「はぁ……。最近仲良くなってきたと思ってたのに……。やっぱり、いきなりすぎて鬱陶しかったのかしら……でも嫌がってる様子も……いや、あの子ちょっとなに考えてるのかわかんないとこあるし、いやいや、でもでも、あー、うー……」
うんうんと唸りながら、とりあえず二階の自分の部屋へ上がる。
「部活でも始めたのかしら……。でもそれくらいだったらわざわざ隠すようなことでもないし、そもそもお母さんたちに言えて私にだけ言えないことって何よ……」
両親に言えて自分には言えないこと。何だろうか、考えても思いつかない。
「……はっ! もしかして彼女!? あるいは彼氏!? ……いやいや、無いわ。あの子に限ってそんなの……そんなの……」
いや、大いにある。だって可愛い。ものすごく可愛い。柚穂の魅力の前には男も女もなく魅了されてしまうだろう。メロメロだろう。ソースは自分。
「そんな、まさか私を差し置いて……で、でも、それなら……いや、もっとよく考えるのよ瑞希。まだ他の可能性があるはず。えっと、例えば……」
勉強机の椅子にドッカと座り、安楽椅子の探偵のようにギシギシと音を立てながら顎に指を当ててじっと推理する。
……そのまま五分が経過する。
「……わっかんないわよ! 親に言えてお姉ちゃんに言えないことって何!? 普通逆じゃないの!?」
頭を抱えてベッドに転がる。考え続けるも答えは出ず……。
「うう……じゃあやっぱり浮気……いや、浮気って何よ……でもそんなこと考えるってことはやっぱり私って……ていうかひょっとして意識してるってことは柚穂も? いや、でも結局浮気だし……うわああああ、もうどう転んでもわけわかんないじゃない!」
叫びながらベッドの上をゴロゴロと転がりまわっていると、不意に階下で玄関のドアが開く音がした。
「! 柚穂っ! 柚穂ー!」
声も聞こえなかったのにドアの開閉音一つで判断し、一瞬前までの悩みもどこへやら、瑞希は部屋を飛び出して柚穂を迎えに行った。
「お帰り、柚穂ー!」
「ただい……むぐ」
靴を脱いで上がってきたばかりの柚穂に押し倒さんばかりの勢いで抱きつき、頭を撫で回す。やはりこの子の可愛さの前にはどんな悩みだって瑣末な……。
「……はっ!」
そこで瑞希ははたと気づく。……もしや、このスキンシップのせいで嫌われているのでは? もしかして少しばかりウザかっただろうか?
「……瑞希、くるし……」
「ご、ごめん!」
解放すると、苦しかったのだろう顔を赤くした柚穂が肩で息をしていた。
「え、えっと、柚穂。今日も帰り遅かったみたいだけど、どうしたの?」
「……ひみつ」
「あう……お、お母さんたちには教えたんでしょ? お姉ちゃんにも教えてくれたって……」
「……ないしょ」
「はうっ……!」
無表情のまま人差し指を口に当て、少しだけ首を傾げて「ないしょ」の仕草をする柚穂。悔しいがべらぼうに可愛い。そんなこと言われたらこれ以上何も言えなくなってしまうではないか。
またひとつ新しく脳内柚穂アルバムに今のポーズを永久保存しつつ身悶えしていると、その隙に柚穂は瑞希の隣をすり抜け、すたすたと部屋に上がっていってしまった。
「……って!」
その数十秒後に我に返った瑞希は慌てて柚穂の後を追うが、彼女はもう部屋にこもってしまっていた。
「うう、今日も聞き出せなかった……。さすが柚穂、策士ね」
実際のところ八割方はただの自滅だったが、とにかく聞けなかったものは聞けなかった。最近の柚穂は帰ってきてからもよく部屋にこもっていて、なかなか外に出てこないのだ。呼べば出てきてくれるからそこまで避けられているというわけでもないのだろうが……。
「それにしたっておかしいわよ。お姉ちゃんに内緒だなんて……ないしょ……はう……」
脳内保存したばかりの柚穂の姿を再生して身悶えする。端から見たらとても悩める少女には見えないが、本人なりに悩んではいるのである。
「……瑞希、なにしてるの?」
「うひゃあああああ!?」
突然背後で声がして、瑞希は飛び上がって悲鳴を上げた。
「ゆ、柚穂!? な、なんでもないのよ!」
「…………。……ん」
柚穂はしばらく首を傾げていたが、ひとまず納得することにしたのかコクリと頷き、そのままとことこと一階へ降りていった。
「びっくりした……。……あら?」
まさかすぐに出てくるとは……と驚きつつ彼女の部屋に目を向けると、ドアが少しだけ開いているのが見えた。
「…………」
中が少しだけ見える。そういえば最近柚穂は部屋に入れてすらくれない。
……これは、チャンスだろうか。
「いやいや、だめよそんな。……いや、でも私たちは姉妹なんだし、お互いの部屋にはいるくらい普通っていうか……」
口では迷っているものの、体は勝手にドアに手を伸ばし、そして隙間から中をうかがってしまう。
「……柚穂の部屋、いい匂い……って、変態か私は……」
しかしそうは言ってもやはり愛する妹の部屋。彼女の匂いが染み付いたその空気を胸いっぱいに……。
「……だからなんで妹に対してそういう妙な欲求抱いているのよ私は! ていうか仮に異性だとしても私変態じゃないのよただの!」
小声で叫ぶという器用な芸当をやってのけながら頭を壁に打ち付ける。そして思考を切り替えた。
「……そうよ、私はお姉ちゃんなんだから、ちょっと妹の部屋におじゃまするくらい……」
しかしそれでも少し後ろめたく、そろりそろりと足を忍ばせて柚穂の部屋に足を踏み入れる。
「……散らかってるわね。あの子ったら、ちょっとは片付けなさいよ」
まさかこれが見られたくなくて部屋に入るのを拒んでいた……というわけではないだろう、あの子の性格からして。
ひとまずそれは後回しにして、瑞希は柚穂の部屋中を見回す。
そして机の上に目を向け、そこが特に散らかっているのが目についた。
「……何かしらこれ。原稿用紙……?」
机いっぱいに原稿用紙が散らかっている。学校の宿題とは少し様子が違って見えた。
いつも部屋ではこれに集中しているのだろうか。そう思って、一番上にあった書きかけのものらしい原稿用紙を手にとってみる。
「……『Dear M.T.』? 手紙……? なになに……『あなたがくれたこの胸の温かさを、わたしはあなたに伝えたい』。……え? こ、これって……?」
イニシャルでの宛名書きで始まったその文章は、やはり手紙のように見える。それも……。
「いやいや、まさか、あの子に限ってそんな……」
嫌な予感に背筋が凍る。それでも目は止まらず、その続きを読み続ける。
『そして今度は、あなたの胸を温かくしてあげたい。伝えきれないこの想いのすべてをあなたに捧げて、いつまでも一緒にいたい。言葉よりも強い言の葉で、血よりも深いつながりを。わたしを救ってくれたあなたと、永久に共に。』
「…………」
読み終え、そして絶句。口をぽかんと開けて硬直していた。
「……え、と……」
この手紙を何らかの形式にカテゴライズするなら、そう。まごうことなき、ラブ……、
「はっ! 足音!?」
その時誰かが階段を上がってくる音が聞こえて、瑞希は音を立てずダッシュで部屋を飛び出すというこれまた器用な芸当をやってのけ、向かいにある自分の部屋に飛び込んだ。
しばらくして足音は二階に上がってきて、柚穂の部屋に入っていった。
「はぁ……危なかったわ……」
ほっと胸を撫で下ろす。見つかったら一巻の終わりだった。
「それにしても、あれは……」
あれは、やっぱり"あれ"だろう。
「……まさか、あの子がそんな……」
それにしても原稿用紙にラブレターとはこれいかに……いや、あの変わり者の柚穂ならそんなことは不思議ではないのだ。
問題は、あの柚穂がラブレターらしきものを書いていたことと、宛名にあったイニシャルが「M.T.」という聞き覚えのない名前であったこと。そして……。
「……なんでこんな、嫌な感じがするのかしら……」
妹が誰かにラブレターを書いていたというその事実に、確かに胸がモヤモヤしているということだった。