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――雨。
あの雨の日の温かな手のひらを、わたしはまだ覚えてる。
優しく降り注ぐ雨の下で優しく触れてくれた手のひら。わたしの心を融かしてくれた、あの温もり。
水玉模様の空の下で、わたしはいつもあなたのことを想っている。
あなたがくれたこの胸の温かさを、わたしは……。
*
――夕菜。
――七実、ちゃん……?
――あたしは、夕菜が好きだ。世界で一番、誰よりも、夕菜の全部が、大好きだ。
――……うん。わたしも大好きだよ、七実ちゃん。
……数週間前のあの光景が、未だに頭のなかで廻っている。
「はぁ……」
いつもの教室、いつもの机。いつもと違うのは自分の頭の中だけ。
瑞希は頭の中でぐるぐるとよくわからないことを考えながら、頬杖をついてぼーっとしていた。
「……ずき。おい、瑞希?」
「……ふぇ~?」
「夕菜みたいな声出してんなよ。授業終わってるぞ」
「ん~……」
机の正面に回りこんできた七実の顔を見上げる。当然、あの光景がより鮮明に思い返されてしまう。
夕菜に頼まれて七実を探し、広場にやってきた時にはすでに二人が何か言い争いのようなものを始めていた。手を出すことなど出来るはずもなく、周りの雑踏に紛れて事の行き先を見守っていたら……というわけである。
「おーい、大丈夫か瑞希ー? 目が虚ろだぞー?」
「……七実、あんたさ」
「ん? なんだよ?」
「榎本さんのこと、好きなのね」
「な……!」
「あ、ライクじゃなくて、ラブ的な意味でね」
「な、なぁ……!」
沸騰するヤカンのようにぼんっと赤くなり、そのままシューシューと湯気を上げ始めた。わかりやすい反応だ。
「な、なななななな、なん、なだ、なななんだ、よ、いきなり!」
「百点満点の乙女リアクションありがとう、七実」
「う、うるせー、悪いか!」
「いや、あんたってがさつな癖に中身は乙女よね~って。ごちそうさま」
「お、お前、わざわざからかうためにこんな話始めたんじゃないだろうな!」
「や、そんなことないけど」
「なんなんだよぼーっとしてたかと思えばいきなり!」
「そのぼーっとしてた原因があんたなの」
「はぁ……?」
目をジトッと細めて意味がわからないと睨んでくる七実。瑞希は引き続き頬杖をついたまま、一つため息をついた。
「……からかうんじゃなくて、真剣に聞くわ。七実、榎本さんのことが好きなのよね」
「だ、だからなんでそんなこと……。はっ! ゆ、夕菜は渡さないからな!」
「いや、そういう話じゃないわよ……。まあ確認するまでもないわよね。私あの時見てたし」
「あの時って……、み、見てたのかよ!」
「そうよ。で、それがまさに悩みの種」
「ど、どうしてだよ」
「いや、ちょっとね……」
ぼんやりとする瑞希は七実と目を合わせたまま、思考は別の方へ向かっていた。
ぐるぐると廻っていた七夕の光景はいつしか消えて、次に脳裏に浮かぶのは数カ月前のあの雨の日のこと。
間近にある柚穂の顔を、手のひらで触れた冷たい頬の感触を思い出す。
……自然と、ぽーっと顔が赤くなってきた。
「……おい、瑞希お前、まさか……」
「は?」
七実の声に思考が引き戻される。彼女はいつの間にか自分を抱きしめるようにして、やや引き気味に冷たい目でこちらを睨んでいた。
「いや、お前のこと友達だとは思ってたけど、そういうのは無いから。あ、あたしはその、ゆ、夕菜一筋だし!」
「あんたじゃないわよ! ていうかあんた自分がそっちのくせに否定するわけ!?」
「そっちとか言うな! ゆ、夕菜はその……と、特別なんだよ! あたしだって誰彼かまわず取って食うわけじゃないわ!」
「私だってそうよ! 誰があんたとなんか!」
「じゃあなんなんだよいきなり顔赤くして!」
「……別に。ただあんたと榎本さんのことを見てて、やっぱりそういうのも現実にあるんだなって実感して、それだけ」
「結局よくわかんないな……」
「いいわよ、わかんなくても。私だってよくわかんないし」
七夕の一件を目の当たりにして、「そういう感情」が女の子同士で生じるということを現実として直視した。別にいままで否定していたわけでなければ、知らなかったわけでもない。ただ実感がなく、どこか遠い世界のことのようにしか思えなかっただけ。
それが、目の前で、それも自分のよく知る人が……。
「……じゃあ、私のこれも、ひょっとして……」
自分に問おうとした時、教室のチャイムが鳴る。休み時間が終わってしまったらしい。
「まあいいけど、授業中ぐらいしっかりしてろよ? 先生に怒られたって知らないからな」
「……んー」
結局答えが出ず、変な所で思考が途切れてかえってモヤモヤしている。……どうやら、七実の忠告は無駄にしてしまいそうだ。