-砂の魔王-
不定期更新で有るとは言え、まさか一月も更新をさぼる事になるとは思いませんでした。
申し訳ありません、更新です。
朝日が柔らかく部屋を照らす。
窓から差し込む光は、泣いた様な顔のエマを撫ぜ、その目を覚まさせた。
私はアレスのすぐ傍で、壁に凭れている。
向かいの窓から差し込む陽光が私を照らすまで、まだしばらくは掛かるだろう。
既に陽光に照らされているアレスはけれど、少し難しそうな顔をしたまま、眠っている。
「……嫌な夢、見ちゃったな」
エマは呟くと、体をそっと起こした。
目は赤く腫れて、声も少し掠れている様だ。
その少し離れた隣で寝ているスタンを起こさない様に、エマはゆっくりと立ち上がる。
静かな寝息とエマの立てる小さな衣擦れしか聞こえない部屋では、悲しい程の弱い沈黙が私の刀身を圧す。
そんな沈黙をそっとどける様に、エマはアレスの元へ歩み寄った。
いや。
アレスの元ではなく、寝ている彼を過ごし、私の元へと。
「…伝説の剣、ね」
彼女の言葉に、少しだけ刀身を固くする。
今は、その言葉はあまり聞きたくない。
そんな私の心情など察する事無く、彼女はそっと私の隣へ寄り添ってきた。
「……魔王を討伐する為の、剣」
囁く様に言った彼女の瞳に、少しだけ沈んだ様な色が浮かぶ。
それから、私の柄へと、慎重に手を伸ばしてきた。
思わず身構える。
また来るかも知れない熱に耐えようと、私は更に固くなった。
けれど。
私の柄を、ゆっくりと撫でる彼女の手。
それはスタンの様に熱くなく、またアレスの様に心地の良い暖かさでもなく、酷く冷えた手だった。
まるで、昨夜のアレスの様。
「ちょっとね、夢を見たの」
私の柄を、冷たく冷たくなぞりながら。
私の柄を、優しく優しく撫ぜながら、彼女は言った。
「嫌な、夢だったけどね」
私はその時、彼女がまるで私に意志が有るかのように喋っている事に、漸く気付いた。
「貴方が、魔王を斬るその瞬間に、粉々に砕けてしまって」
粉々に。
その言葉は酷く刀身に響く。
罅を入れる様に、痛く、通る言葉だった。
「でも、魔王は倒れて、その後ろにアイツがいたの」
あいつとは。
それは、私の知らない、エマの両親を殺したそのモンスターの事だろうか。
朝日が差し込んでいる筈の部屋は、何故か嫌な肌寒さが有った。
「にやにや笑っているアイツの前で、倒れた魔王は砂みたいにサラサラってなって」
私を撫ぜるエマの手が、止まる。
しばらく呼吸音だけが聞こえる静寂が響いた。
そうして。
「初めからいなかったみたいに、魔王は消えちゃった」
魔王がいなかった。
否。
エマの夢ではきっと、魔王がいようといまいと、何にも変わらなかったのだ。
スタンが昨日、エマに言った様に。
私が、心の何処かで望んでいる様に、魔王を討伐する必要の無い、そんな夢だったのだろうか。
けれど彼女の夢は、私の願いよりも少々残酷だ。
彼女の夢では、斬るべき相手もモンスターの危険も残っている。
既に、憎んだ敵はいないのに。
私はそんな様子を想像して、昇る朝日が刀身を照らすと言うのに、小さく身震いした。
彼女は一つ瞬くと、それから震える声で、囁く。
「貴方、魔王を斬りたいの?」
その問いに。
その問いに、私は答える事が出来ない。
私の心は、斬りたくないと言っている。
アレスもきっと、斬りたくないと。
けれども、私は伝説の剣で。
アレスは、勇者なのだ。
私達がその責任を負わなければ、他の誰かが傷付くだけ。
他の誰かが、魔王を傷付けるだけ。
それは、きっとアレスの望まない事。
そして私も、望まない事。
だから。
私は、魔王を。
いや。
魔王だけでなく、誰かを傷付ける悪意を、絶ち切らなければいけない。
その為の、鋭く冷たい刀身なのだ。
エマは私に返答を求めていない様で、一つ悲しげに微笑むと、それから少しの間だけ目を閉じた。
「私は、それでも魔王を倒すから」
エマは、自分に言い聞かせる様に。
強く、強くそう言った。
その言葉は酷く刀身を打って、照らす暖かい陽光が酷く遠く感じられ。
何故だか悲しくなった私は、眠るアレスの顔へ小さな光を返した。
エマは、両親を化け物に殺された。
詳しい事は言わない。
思い出したくも無いし、わざわざ思い出さなくとも夢に出てくるのだ。
両親を殺した化け物は、しかしエマを手に掛ける前に、化け物の魔力を嗅ぎつけた魔術師により倒された。
目の前で両親を殺され、何一つ、呼吸すらままならなくなっていたエマの傍で、魔術師は独り言を小さく呟いていた。
「…魔王の手下か。 運が悪かったな」
それは、エマに向けた言葉では無く、地面に倒れた両親へ向けられた言葉だった。
そんな状況で運が悪かったと言ってしまう魔術師が酷く滑稽で、思わず笑い出しそうになった。
けれど、代わりに出て来たのは涙だった。
泣きたいのか笑いたいのか分からずに、涙を流しながら咳のような笑い声を立てる。
そんなエマに初めて目を向けた魔術師は、少しだけ気まずそうな顔をしてから、何も言わずにエマの手を引き、そうして自らの家へと案内した。
魔術師の家に引き取られた後、エマに対して気を遣うように、腫れ物に触る様に接していた魔術師に向けて、魔術を教えてくれるように頼みこんだ。
魔術師は初め断ったけれど、やがて溜め息を吐いて嫌々頷いた。
そうして、エマは魔術師から沢山の魔法を習い、魔法の流れを習った。
やがてエマは、自分の師である彼が国一番の魔術師だと知る事になるが、それを知った頃には、既にエマの実力は自らの師に褒められるほどの物になっていた。
彼に引き取られてから、つまり両親が化け物に殺されてから5年が経った頃。
その頃には、既にエマは師に自らと対等だと言わせる程の魔術師になっていた。
そんな中、彼女はこんな噂を聞いたのだ。
「勇者が、現れたらしいぞ」
首都に位置する魔術師の家には、王城でお祭り騒ぎが起きたと言う話は直ぐに伝わってきた。
その噂を聞いて、一番最初に思った事は「妬ましい」と言う、何とも嫌な気持ちだった。
妬ましいだけでなく、悔しくもあった。
力の無かった幼い自分には、両親を救う事が出来なかった。
それなのに勇者とは、聞けば魔王から全ての人を救えるのだそうだ。
勿論、どうしようもない事は分かっていた。
例えエマが勇者であろうとなかろうと、あの幼い年齢では何一つ出来なかったろうと。
ただ、納得出来なかっただけ。
悔しかったのだ。
自分の両親の仇である、魔王を赤の他人に倒されてしまう事が。
妬ましかったのだ。
魔王を討伐する事の出来る、そんな力を持った勇者が。
けれどその次に、ふとこう思った。
私も、魔王を討伐する事なら出来るのではないか、と。
師は、国一番の魔術師であり。
私は、その師に認められるような魔術師である、と。
決して、自分の力を過信していた訳では無い。
けれど、魔王と勇者の事を考えて思い出す両親の最期を思うと、例え力不足だろうとこの身を削ってでも仇を打ちたくなり。
そうして、師の止める声も聞かずに、エマはアレスの元へ現れたのだった。
夢は、そこで終わるかに思われた。
けれどそうじゃなかった。
エマとアレスとスタンの三人は、隣国へと辿り着いた。
そこで見たものは、逃げ惑う人々とそれを襲う醜い化け物たち。
その中心に立つ一際恐ろしい化け物。
それは、確かにエマの両親を殺した奴だった。
その化け物の後ろに聳え立つように、ゆらゆらと何かが立っている。
朧にしか見えないそれが、何故か魔王だとエマには分かった。
アレスが剣を抜く。
スタンもまた、幼い頃から使っていると言う剣を引き抜いた。
エマの体は、動かない。
化け物たちは、突然現れた3人に牙を剥き、一気に襲い掛かってくる。
それらを押し退け、ゆらゆらとした魔王がアレスの目の前に現れる。
向かい合う勇者と魔王。
アレスは、剣を魔王に向かって振り下ろす。
けれど。
アレスの剣はじりじりと五月蝿く鳴り、魔王の体に叩きつけられた途端に、粉々に砕け散ってしまった。
スタンの元に、魔王を避ける様にして何体も化け物が群がる。
エマの体は、動かない。
アレスが折れた剣を空っぽな視線で見つめる。
魔王の手が、アレスに向けて振り下ろされた。
スタンの剣が化け物の隙間から飛んできて、エマの足元にカラカラと転がる。
エマの体は、動かない。
必死に体を動かそうとするエマの目の前に、両親を殺したあの化け物が立ち塞がった。
目を見開くエマの視界の隅では、魔王が倒れ伏す姿が映っていた。
化け物はにやりと笑って、口を開く。
酷くざらざらした音。
声ともつかない声は、エマに笑って囁いた。
『魔王なんていない』
さらさらと、朧な幻想は風に流されていく。
耳元で鳴り響くその声に、エマの視界は化け物の顔で一杯になった。
『仲間ももういない』
沢山の化け物。
その真ん中にいた、両親を殺した化け物。
魔王なんていない。
エマの体は、動かない。
『お前は、弱いままだ』
真赤な爬虫類の様な目が視界を染め、やがて。
柔らかい陽光に照らされて、エマは自分が泣いてるのを感じた。
次回の更新は一週間以上開けない様にします。
少し重い雰囲気になってきました。