-二人の心-
更新です。
今回もまた間を開けた更新となってしまいました。
剣と勇者の心に変化がある回です。
王城を出て18日目。
小さな町に辿り着いた私達は、歓迎を受けた。
今までにこの様な歓迎が有ったかと言えば、それは恐らくその時の勇者の知名度と需要により答えは否で、けれどこの町ではとても喜ばれた。
皆、隣国に家族がいたり、仲の良い友達がいたりする者ばかりらしい。
一様に期待と歓喜の表情で、まるで王城での皆の期待と、城下町の活気の良さを合わさった様な勢いだった。
「勇者様、どうぞ魔王を討伐して下さるよう!」
「おねーちゃんもまおう倒しにいくの?」
「あんたが勇者かい!? まぁ、まだ子供なのに大変ねえ」
皆好き勝手な感想を述べ、声援を送り、笑顔を向けてくる。
その顔のどれもが、魔王を討伐する勇者を喜んでいた。
アレスは困ったように曖昧な笑みを浮かべて、スタンは何だか複雑な顔で、そしてエマは愛想良く、町の人達に対応していた。
宿も無料で貸してくれると言う。
流石に3人は断ろうとしたけれど、
「魔王を倒して貰えるんだったら、この位は当たり前だ」
と押し切られ、結局宿賃を払わずに部屋を借りる事になった。
借りたのは、けれど流石に一部屋だけ。
体を休める場所である宿だけれど、入れ替わり立ち代わり勇者を一目見たいと人が集まる物だから、休まる様な時間は無かったのだろう。
日が暮れて人の足も途絶えると、途端に寝息が聞こえ始めた。
眠っているのは、アレス。
エマもスタンも、疲れた様に寝ているアレスを見つめて、何だか考え込んだ表情をしている。
そのまましばらく、静かで刀身に沁みる様な沈黙が続いた。
やがて寝息が風に薄れ始めた頃、スタンが私へと目を写し、それから、エマへと視線を移した。
「……………」
何か言いたげにスタンが口を開けかけたけど、エマの顔を少し窺って、それからまた口を閉じた。
そうして沈黙がしばらく過ぎたけど、やがてエマがため息をついてスタンを見る。
「言いたい事、有るなら言ってよ」
その言葉にスタンは迷う様にしたけれど、やがて口を開いた。
「……いやまぁ、何て言うか」
言葉を探す様に、首を傾げながら続ける。
「俺達、魔王を討伐? する訳じゃん」
「当たり前じゃない」
魔王を討伐する。
その為に勇者がいて、伝説の剣が有る。
けれど、アレスは勇者である前にアレスだからと、自分の好きなように私を振るうと言った。
私は、魔王が討伐されるのが当たり前だとは、思っていない。
「でもよ」
即答したエマに対して、スタンは顔を真っ直ぐに見返しながら、真剣に問い掛ける。
「魔王を倒して、モンスターの被害は減るのかな」
モンスターの被害、の言葉に、エマは少しだけ顔を強張らせる。
「どういう、意味」
「そのままの意味だよ」
スタンは答え、それから少しだけ言葉を詰まらせて、けれど続ける。
「……魔王の手下に、殺されたって言ってたよな」
誰が、とは言わなかった。
言わずとも、十分にエマの顔は強張り、唇はぎゅっと結ばれている。
それは直接的すぎる物言いに感じたけど、スタンは、エマの非難する様な、とても強い視線を真っ直ぐに受け止めた。
「それって、本当に魔王のやった事なのか?」
「決まってるじゃない!」
半ば悲鳴に近いような、けれどアレスを起こさぬ様押し殺した声で、エマは答える。
「両親は……私の目の前で殺されたの! 奴は…そいつはニタニタ笑ってた! 私が見た時、父さんを持ち上げてたの!」
掠れた声で、空気が震える。
スタンは驚いた様な顔をしていて、そしてエマはもう、スタンを見ていなかった。
暗い部屋の影を見つめ、そこにいない何者かに怯える様に、顔が引き攣りだした。
「母さんはもう死んでた! そいつは、熊みたいな手で父さんを、父さんを思いっ切り――」
「落ち着け!」
記憶に震えながら言葉を続けようとしたエマの口を、スタンが手で覆う。
「……ごめん」
エマに向けて、静かに、けれど絞り尽くす様に声が流れる。
スタンは、心の底から謝っていた。
口を覆ったスタンの手を、エマの涙が伝う。
「………ほんとに、ごめん」
それ以上何も言えず、スタンはゆっくりとエマから手を離す。
エマのこんな姿は、見た事が無かった。
私は私で、勝手に彼女を強いと思い込んでいたけれど。
強く見せないといけない、強く在らないといけないという事は、つまりそういう事なのだ。
宙を彷徨っていたエマの視線は、やがてゆっくりとスタンへ降りてきた。
しゃくり上げてはいるけれど、段々と収まってきている。
小さくなっていく嗚咽の音は、暗い部屋の空気を悲しく動かす。
段々と、段々と、刀身に響く様なその揺らめきは小さくなっていき。
そうやってしばらく時間が経って、エマはようやく涙を止めた。
目をごしごしと乱暴に擦って、それからどこを見るでもなくスタンから目を逸らす。
「ごめん」
もう一度、スタンは繰り返した。
「もう大丈夫だから。 ……アレスに、魔王を斬って欲しくないんでしょ」
エマの言葉に、スタンは少しだけ驚いた様な顔をして、それから小さく頷いた。
後悔の色を浮かべながら、けれど、エマの言葉をしっかりと肯定する。
微かに震えが残っているエマの声だけれど、彼女はそれでも力強く、こう続けた。
「私も、それは同じ」
エマはアレスを見て、それから私を見つめる。
思わず刃先を尖らせてしまう程、決意と憎悪、そして悲しさに満ちたその瞳。
「だから、もしアレスがあの剣を振れないようなら、私は自分が死んでも魔王を殺すから」
そう言っている彼女の傍に生まれる魔力の渦は、とても悲しげな色で回っていた。
そうして夜が更け、二人がアレスの傍で眠りについた頃。
アレスが、ゆっくりと身を起こす。
その頬には小さく涙の跡が見えて、アレスは何だか悲しそうな顔をしていた。
二人を起こさない様にしながら、ゆっくりと立ち上がり、壁に掛けてある私の元へ来る。
そうして私を手に取って、部屋の扉を開け、宿の廊下へ。
きぃぃ…、と微かに軋むドアだけれど、二人を起こすには至らなかった様で、アレスは私を持ったまま、そうして宿の玄関へと向かう。
玄関から外へ出ると、雨季を過ぎた夜は少しだけ生暖かくて、風は刀身をぬるりと撫でていく様だった。
「……ごめんね。 こんな夜中に」
アレスは私に向けて小さく呟くと、それから宿を離れ、町の出口へと向かう。
歩きながらも、私をしっかりと握り込む。
握り込まれたその手から伝わる温度が、いつもよりも少し冷たくて。
縋る様に小さく震える冷えた手に、私は何もしてあげる事が出来ない。
空には雲がかかり、この時期になると空を覆うように見える筈の星達も、その光を私達へと届けてはくれなかった。
しばらく彼の靴音が響き、歩き続けたアレスだけれど、彼はそのまま町を出てしまった。
王城から下ってきた道を辿る様に、アレスは歩く。
そうしてしばらく歩いて、辿り着いたのは小さな草原。
「……ここなら、誰にも気付かれないかな」
確認する様に呟くと、アレスは左手の私へと視線を落とした。
その表情がとても悲しげで、私も何だか悲しくて、刀身を静かに震わせる。
彼はゆっくりと鞘に手を掛け、そして私を右手に持つと、私を鞘から外した。
刀身の先に左手を添えて、私へ向けて俯く様に、両手で私を持つ。
暗い、星も見えない夜の草原で、彼は悲しそうに私を見つめるだけで。
やがて彼の手の冷たさに、私の刀身も少しだけ冷えかけた頃。
ぽたり、と。
滴が、刀身をうった。
暖かいその雫は、彼の手との対比で、とても熱く感じる。
「エマ、泣いてたね」
自身が涙を流しながら、アレスは言う。
そして、添えた左手を外す。
力無く下がる私の視界を覗き込む様に、彼が私を見つめている。
「僕は、誰かを斬らなくちゃいけないのかな」
右手を持ち上げて、私の刀身を悲しく見つめてくる。
「こんなに綺麗な刃なのに」
同じ高さになった私とアレスの視線は、少しだけ逸れ合っていた。
それでも私は、アレスの目を真っ直ぐに見つめる。
「綺麗な君を、誰かの血で汚してしまうなんて」
アレスは一度目を閉じた。
閉じると同時に、涙を止めて。
「ねぇ」
囁く様に、静かに。
アレスは私へ、確かに私へと話し掛けていた。
「僕と君が出会ったあの日、スタンが君に触った時、君は震えてたよね」
目を瞑ったまま、アレスは私へと真っ直ぐに話し掛けている。
あの日。
あの日、私はスタンの手がとても熱く感じて、それを拒絶してしまった。
「君には、意志が有るの?」
ゆっくりと、アレスは目を開けた。
私は。
刀身を震わせようとしたけれど、何故だか苦しく、動かせない。
息が止まりそうな沈黙の中、アレスはもう一度だけ目を閉じて、それから直ぐに目を開けた。
「君には……。 いや」
もう一度同じ言葉を紡ごうとして、けれど彼は首を振った。
「君は、僕を選んでくれたの?」
その時こそ。
りぃぃいん
私は、必死に刀身を震わせた。
それだけは確かだと。
あの時、私は。
私は、彼の手の温かさを、彼の手にある事を望んだのだと。
夜の草原に響くその高い音は、彼の耳にもしっかり届いた様だった。
「……気のせい、じゃないよね」
嬉しそうに、アレスは私を両手で抱き寄せる。
柄の後ろから、彼の心音が聞こえてきて。
とくん、とくんと、温かみのある音が響いて来ている。
「僕を選んでくれて、ありがとう」
それから、彼はゆっくりと私を体から離す。
その顔は、けれど悲しげな色に染まっていた。
「それから」
静かな声で、アレスは紡ぐ。
「もしも、もしも君が誰かを傷付ける事を望んでいないのなら」
悲しそうに苦しそうに、自分に言い聞かせる様に。
私を真っ直ぐに見つめる視線、私が彼を真っ直ぐに見つめる視線。
「……僕は、魔王を直接見た訳じゃない。 それでも」
その二つの視線は確かに交差していて、私は彼の目の中を覗き込めた。
「僕は、許す訳にはいかないから」
その瞳の奥には、とても悲しい決意と、とても悲しい諦めが見えた。
「エマに、魔王を殺させる事は、出来ないから」
私の刀身には、とても悲しい温度の彼の声と、彼の意志を受け止め、彼に力を貸そうとする思いが沁みていた。
彼の視線でも、私の中でも叫んでいる、私たちが見ない振りをしている一つの心が、とても辛く悲しげに。
また一つ風が流れて、私と彼を夜の闇に溶かしてしまった。
「ごめん」
謝る彼の声だけが、草原に静かに響いた。
次回の更新は、しばらく間が空いてからになると思います。
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