後編
この話で完結です。
ありがとうございました。
行くまいか、行くべきか。
散々悩んだフローラだったが、ダンスパーティーの二日前に、ウィリアムから真っ赤な深紅のドレスが贈られて来たことで、行くことは必然となってしまった。
宵の刻から始まるダンスパーティー。そのパートナーとの待ち合わせとなるのが、城の顔である正面玄関だ。日頃から恋人達の待ち合わせに使われるが、今日はダンスパーティーとあって、人にぶつからなければ進めないぐらい混んでいる。それでも周りの者達はさっさと相手を見つけ、会場に入って行く。
一際目立つ紅を纏うフローラは、先程からちらちらと周りの目線があるのを知っている。
やっぱり来なければ良かった…。
ウィリアムは見つからない事で、気弱になっているのもあって、フローラはじっと下を向いて彼を待った。
パーティーのパートナーとなる女性にドレス一式を贈るのは、結婚を間近に控えた者であるのが通例のため、ウィリアムからドレスが贈られて来るとは夢にも思わなかった。万が一行く事になった時のため、群青色のドレスを下町の知り合いから借りる予定だった。派手な色を好まない為、このドレスの色がどうも落ち着かない。
やっぱり帰ろうと顔を上げると、前方から灰色のタキシードに身を包んだウィリアムが現れた。
「ここにいたのか。」
息を切らして現れた彼は、フローラの姿をまじまじと見つめて固まった。
「あーっと、ド、ドレス。ありがとう。」
無言の間が気まずいので、とにかく喋らなければと口を動かした。
城で働く侍女の友人に、めったにしない化粧をしてムズムズするし、耳に掛かるか掛からないかの短い黒髪は、友人が丹念に塗り込んだ香が効き、左側に付けられた髪飾りが鬱陶しい。
そんな自分でも可笑しいのだ、ウィリアムはさそがし困っているのだろう。
「似合わないか。やっぱり違うドレスに…。」
「あっれー?ウィリアムじゃねぇか。」
踵を返そうとした所へ聞こえてきた声の主は、この元凶、ハリーである。そんな彼もフローラを見つけて固まった。
「ハリー、私を紹介して下さらないの?」
そんな気まずい状況に救いの手を差し伸べてくれたのは、ハリーの隣に立つ美しい女性。艶やかな栗色の髪を靡かせて、ハリーに問い掛けた。
「あ、そうだな。えっとこちら、有名なウィリアム・ジョゼットと彼のダンスパートナーのフローラ・ハング。」
「で、こちらが俺の今宵のパートナー。シェリル・ジョゼット嬢。」
その言葉に、まじまじと女性を見つめてしまった。栗色の髪に翠色の瞳。
「可愛らしいお嬢さんだこと。はじめまして、ウィリアムの姉のシェリルです。こんな弟だけれど、よろしくお願い致しますわね、フローラさん?」
「あっ、はい。」
美しいその微笑みにうっとり見つめていたため、不意に声をかけられて慌てた。
「ウィリアム、その気があるのならば、誉め言葉や愛のひとつやふたつ、愛する女性に贈らなくてどうするの?しっかりなさい。」
彼女は、直立不動で佇むウィリアムにぴしゃりと言い放つと、優雅に会釈をしてハリーと共な会場へと消えた。
「フローラ、その…。」
幾分それから時が経って、ウィリアムは歯切れ悪そうに口を開いた。
「…ハリーの相手って、ウィリアムのお姉さんだったのか?」
が、そんな事は気にせずフローラは驚きの余り、ウィリアムを凝視した。さっきの気まずい雰囲気はどこへやら。
「らしいな。」
「らしいなって、おい。」
「そんな事より、そろそろ行こう。パーティーが始まる。」
呆れて、ハリー達が去った方向へ顔を向けていたら、目の前に腕が差し伸べられた。
「今日はよろしく頼む。」
「あぁ、こちらこそ。」
その腕におずおずと手を乗せ、ウィリアムの誘導に従って、体を寄せる。
「それと、先程言い忘れたが…。」
「なんだ?」
入り口へと並んで歩きながら、ウィリアムが何か言いたそうに顔をフローラの耳元へと寄せる。
「ドレス、凄く似合ってる。綺麗だ。」
耳元で囁かれたその声に、体が熱くなった。囁かれた声が熱を帯びたように感じたのは、会場のせいか、はたまた彼自身だったのかはフローラにはわからなかった。
会場に入れば、色とりどりのドレスを着飾った女性が会場を彩り、眩しい程の輝きを放っている。
テーブルには様々な飲み物があり、遠くの方には美味しそうな食べ物がずらりと並ぶ。ダンスが始まる宵の刻まで、それぞれ国王夫婦に挨拶をしたり、軽食をしたり、雑談を楽しんだりと好きな時間を過ごすのだった。
「何か、飲み物を取って来よう。」
そう言って制するフローラの声を無視して、人混みに消えた。一人取り残されてしまったフローラは、仕方なしに近くの壁にもたれて彼が戻るのを待った。
「フローラ!」
そこへ人混みを掻き分けやってきたのは、異母兄妹のナサニエルだった。ぎょっとして慌てて逃げようとしたが、慣れないドレスで容易く腕を取られた。
「何故逃げるのだい?」
「いや、ほんの反射的に…」
ははっと乾いた笑い声をあげて交わそうとするが、容易に離してはくれない。
「相手にほったらかしにされたのだね、可哀想に。」
「いや!飲み物を取りにっ。」
必死で弁解するフローラを見て何を誤解したのか、同情の笑みを浮かべた異母兄の彼は、ずるずるとフローラを引っ張りながら歩き出した。
「私の為にこんなに着飾って、可愛い子だ。まだ父上にも挨拶してないのだろう?ちょうどいい、一緒においで。」
向かう先は、王が座る玉座。フローラは必死で抵抗したが、簡単に玉座の前に連れて来られてしまった。目の前には憎き母の仇である幾分年を取った銀色の髪と金色の瞳を持つ王とその隣に、日だまりのような穏やかな王妃が座っている。
「お姉さま!」
王妃の脇から飛び出してきた、愛らしい王女エイシアはフローラの隣にいる兄を見て、怪訝そうに眉をひそめた。
「兄様、お姉さまのお相手の方は?」
「私だ。」
嬉々として胸を張る兄を更に険しい顔で見つめたエイシアだったが、兄の腕から逃れようと暴れているフローラに目を向けた。
「まさか攫って来たのでは?」
「エイシア、物騒な事を言うもんじゃない。フローラは私の為に、綺麗に着飾って…」
「とんだ誤解だ。」
「ほう、ではダンスの相手は誰なんだい?」
片眉を俄かに釣り上げて、言えるもんなら言って見ろと不敵に笑うナサニエルを睨んで、フローラはきつく唇を結んだ。
「ほら、見てごらん。相手などいないんじゃないか。観念して私と踊るのだよ、フローラ。」
「…う、」
「うん?」
「ウィリアムだ!私のパートナーは、ウィリアム・ジョゼットだ。」
とてつもなく大きな声で叫んでやると、ナサニエルは驚いてフローラを掴んでいた手を離した。俄かに赤くなった右腕をさすりながら、きっと睨みつけてやる。
「なんと、あの女垂らしのジョゼットか!」
「あの男はよしなさい、フローラ。」
「そうだ、断じてならん。」
「うるさい、お前の指図は受けない!」
フローラの周りが一瞬、静寂が包んだ後、それを打ち破ったのは、馬鹿丸出しの国王とナサニエルだった。そんな国王に唾を飛ばす勢いで反抗した。
「お姉さま、素敵だわ。私、ウィリアム殿とお姉さまを応援致しますわ。」
すっかり乙女の気分になった妹を、ナサニエルは厳しい言葉で咎めた。
「黙りなさい、エイシア。フローラ、アイツはやめなさい。私にしておきなさい、私なら…。」
「ナサニエル殿下、勝手に私のパートナーを連れて行かれては困ります。」
そう言うナサニエルを遮ったのは、フローラの背後に現れたウィリアム。彼は、自然な動作でフローラの腰に手を当て、ナサニエルから自分に引き寄せた。
「フローラを離しなさい。」
さも殺すとばかりに睨むナサニエルを涼しい顔で見つめると、ウィリアムは更にフローラを自分に引き寄せる。
「ウィリアム・ジョゼット、君はフローラのなんだ。」
ナサニエルの質問には答えず、変わりに優雅にフローラの前に片膝をつくと、彼は右手の甲にキスをして言った。
「フローラ、愛している。私と結婚して欲しい。」
それは、古来から続く由緒正しき求婚だった。呆気に取られるフローラといつの間にか、会場にいる者達の視線を浴びているウィリアムだが、彼は一切動かずフローラの返事を待っている。
当の本人は、会場の熱気にやられたかのように、頬をほんのり染めて深緑の瞳に魅せられていた。
彼も彼女も魔術師だ。
ウィリアムはその深緑の瞳を幻鏡とし、相手を惑わすのを得意としている。対するフローラは、魔術師特有の術式を用いた魔術を得意としている為、今ウィリアムの幻鏡にかなう筈もない。
美しい翠の瞳。
その瞳を見ていたら、思わず頷きそうになる。
「ならん!ならんぞっ。」
「あなたはお黙りになって。私の親友に手を出した不届き者め。」
その完全に考えられなくなった頭に響いたのは、切羽詰まった王の声とその声にぴしゃりと否を唱えたのは、隣に座る王妃だった。
「…あれはその。」
「言い訳は聞きたくありませんわ。あれほどあの子に手を出してはなりませんと、口をすっぱくして申しましたのに、まだ幼いフローラの母君に手を出したなど!私、まだ許した訳ではございません。」
「いや、だから。」
「側室に迎えようと?とんだ恥知らずだこと。あの子には思い馳せる殿方がいらしたのに、無理やり奪ったのはあなたでしょう。王なら何をしてもとでも?とんだ思い上がりですこと。王家の恥がっ!」
いつも穏やかな母の顔が、鬼の形相となって父を睨む姿を呆気にとられる異母兄妹に習って、フローラも開いた口が塞がらなかった。
「フローラ。」
その言葉で玉座を見ていたフローラは、ウィリアムに視線を戻して、幾らか冷静になった頭で答えを考えた。
「いや、君にはもっと相応しい女性がいるだろうが。」
「相応しいかどうかは私が決める。君以外に相応しい女性など居るものか。君の本当の気持ちを聞きたい。」
こんなに女性に情熱的に囁く奴だっただろうか?いや、女性嫌いで有名な奴だ。一体どうしたというのか。
困ったフローラは辺りに視線を泳がせて、ニヤニヤとこちらを見ている一人の男性を見つけた。ハリーだ。フローラの視線に気づいた彼は、口の動きだけで頑張れよと言ってきた。
恐らく、ウィリアムの気持ちを知っていて今回の事を仕組んだのだろう。後で覚えてろと言う気持ちを込めて、ハリーを睨むが彼は一層可笑しそうに笑っただけだった。
「…君を見かけたのは、魔術師団での入団式でだ。最初は男の子だと思った。だけど、喋ってみると普通の女の子と変わらない事に気づいた。それから君に恋をするのは時間の問題だった。君以外の女性に触れて欲しくなくて、ハリーに頼んで女性嫌いの噂を流してもらった。それぐらい私は君の虜になっていたんだ。君は私の事が嫌いか?」
いつの間にか立ち上がったウィリアムに、抱きしめられていたフローラは耳元で囁かれる彼の言葉に顔を赤らめて、囁き返した。
「…嫌いじゃない。」
嫌いじゃない。ずっと仲間以上に思っていた。けれど、好きというわけでもないと自分でもわかっている。いつも美しい容姿の彼の姿を追っては、羨ましいと思っていた。
ずっと女性扱いされたことが無かった。そんな自分が求婚されている。どうしたらいいのかわからない。
フローラの言葉に更に力を込めて抱きしめたウィリアムは、体を密着させてフローラを覗き込んだ。
「私の妻になれ。一生君だけを愛する。」
「ほんとう?」
「本当だ。誓う。」
深緑の瞳。好きでも無かった彼をいつも目で追ってしまっていたのは、きっとその瞳に初めて会った時から魅せられていたから…。
ウィリアムの瞳が魔術を発動させる兆しを見たフローラは、ふっと小さく笑って思った。
魔術で言わせられるなら、自分の口から。
「私なんかでよければ。その求婚お受けします。だから…。」
魔術は使うなと言いたかった言葉は、ウィリアムの突然の口づけによって封じられてしまった。いきなりの出来事に、目を見開いたままのフローラから名残惜しそうに唇を離したウィリアムは、愛しそうに微笑んでフローラから離れた。
「ふ、ふ、フローラ!貴様っ、私の妹になんて事をっ。」
今にも殴りかからんばかりに怒り狂うナサニエルを放って、ウィリアムは国王夫婦に跪いている。
「お姉さまーっ。なんて素敵なの!こんな近くでお姉さまのキスを見れるなんて。いえ、大事な私のお姉さまを奪われたままでは私、納得出来ませんわっ。私もお姉さまとキス致します。」
キャーキャーまくし立てていたエイシアは、次の瞬間には神妙な顔つきでフローラにキスをしようとしてきた。その事にぎょっとして逃げようとした所に降ってきたのは、王妃の静かな声だった。
「これ、静かになさい。ナサニエル、エイシア。はしたない。」
シュンとした子供達から目を滑らせ、膝をつくウィリアムを王妃は見て言った。
「ウィリアム・ジョゼット。本当にフローラの事を愛しているのですね。」
「はい、この想いに偽りはございません。」
はっきりと王妃の質問に答えた彼は、真っ直ぐに王妃を見据えた。
「そうですか…。先ほど言ったように、フローラは私の親友の忘れ形見。彼女は、このどうしようもない王のせいで早くにこの世を去ってしまいました。私は、あの子の代わりにフローラの母を務める心構えです。フローラを泣かすことがあれば、ただではおきませんから。覚悟なさい。」
「そのお言葉、胸にしかと刻みつけましょう。そして同時に、何時でもフローラだけを想い、彼女を私の全てをかけまして守り抜く事をここに誓います。」
ウィリアムの言葉に納得したのか、にこやかな笑みで今度はフローラを見た。
「フローラ、大きくなりましたね。あなたに会ったのはほんの小さな頃でしたものね。こちらに来て、私に良く顔を見せて頂戴。」
少し戸惑ったものの、差し出される両手に誘われて、玉座の前にある階段を上がり、王妃の近くへと歩いていく。
「あぁ、ほんとミリアにそっくりだこと。」
近くにやってきたフローラの両頬を優しく包むように添えると、王妃は少し寂しそうに、そして穏やかに微笑んだ。
「瞳の色は儂に…。」
「お黙りっ!あなたがこの子の父親面するなどと、許しませんよ。」
隣から体を乗り出してきた国王に一喝すると、階下にいるウィリアムへと声を掛けた。
「ウィリアム・ジョゼット。フローラをくれぐれも頼みますよ。」
「母上!」
「ナサニエル、往生際が悪いですよ。このろくでもない父親のようになりたいのですか?」
ぐっと黙り込んだ兄を隣で見ていたエイシアは、吹き出しそうな口元を必死で抑え、肩を愉快に踊らせている。それを目ざとく見つけたナサニエルは、鋭い目つきで睨み付けた。
そんな姿を見ながら、ウィリアムの元へと戻ったフローラは、立ち上がった彼に引き寄せられて赤面した。
「たまには顔を見せて頂戴ね。」
「はい、約束します。」
そんな穏やかな会話をした王妃は立ち上がって、遠目から見守っていた観客に告げた。
「さぁさあ。皆さんお待ちかねのダンスパーティーを始めましょう。今日はフローラとウィリアムの祝を兼ねて。大いに楽しい一時を過ごして下さいな。」
その言葉を封切りに、いつの間にやら準備を完了させていたオーケストラの者たちが、歓声と共に優雅な音楽を奏で始めた。
それと共に、ウィリアムはフローラを連れて会場を抜け出した。
「あれ、ダンスは?どこに行くんだ?」
「ダンスは、口実だ。それに呑気にダンスを踊ってられるほど、私は我慢強くはない。」
「どういう意味?」
ウィリアムに連れられ、熱気から逃れられたことでほっと気を抜いたフローラに、ウィリアムは少し呆れたように聞いた。
「男が女性にドレスを贈るのは何故だと思ってる。」
「え、親切心?とか…。」
「大抵の奴は贈ったドレスを脱がすことしか考えていないさ。」
ため息をつきながら抱きしめたウィリアムは、慌てるフローラに分からないように微笑んだ。
「わ、私はっ。」
「何、急ぎはしない。夫婦になれるのだから。君の心の準備が整うまで待つさ。」
「…本当は、その美しい姿を他の男共に見せたくなかったから。」
「え?」
うっかり聞き逃したフローラの声をさらりと流して、身を離して優雅に手を差し伸べた。
「我が未来の奥方。一緒に一曲踊って頂いても?」
「…喜んで。」
にっこり笑ったフローラは、ウィリアムの手をとった。
月明かりの下、二人は仲睦まじく、夜が更けるまで二人っきりでダンスを楽しんだのだ。
その後、ダンスパーティーで国王夫婦のお膝元より、男性が求婚するという新しい行事が出来た。それによりダンスパーティーの日は、女性にとっても男性にとっても一大イベント化したのだ。
そんなことになって、ある男性が女性に求婚したとき、「彼の有名な方のように求婚してごらんなったら?」と言われたそうな。こんなことになったのは、きっと二人のせいだ!と二人の親しい友人はぼやいていた。
その親しい友人は上手くいったのかと聞けば、金髪に深緑の瞳を持つ美しい彼は、さぁ?と意味あり気に笑っただけだった。