前編
ウィリアム・ジョゼットは、世界でも有名な魔術師だ。しかし、魔術師として有名なのではない。柔らかな金髪に深緑の瞳をもつ彼の容貌を見れば、世界中惚れない女性はいないという意味で。
だが、一つ彼の名誉の為に言っておこう。彼は決して女たらしではない。寧ろ女嫌いと言ってもいいほど女性が嫌いだ。何故そうなったかは彼自身に聞いて欲しい。私に聞かれても困る。とにかく、女性が苦手だと言っても彼はモテる。女性である私が嫉妬するほど綺麗なのだから。
そんな彼は今、何故か私の目の前でお昼を黙々と食べている。
「ウィリアムー、頼むよ。なっ、チョコレートシュガーをやるし。あ、おまけでイチゴのプリンもつけるから!」
そんな彼の右脇で頼み込んでいるのは、魔術師団の団長・ハリー・ジェンズである。
「おい、フローラ!お前も頼め。」
何故だ。
口に出さずに不満を呟いて、ウィリアムにさり気なく声を掛けた。
「あー、ハリーが頼んでいるんだから、出席するだけしたら?」
美男子と呼ばれる彼が、目の前でイチゴのプリンを食べているのを見たら笑いそうだ。因みに言っておけば、陽気なハリーと私は幼なじみで、ウィリアムとは魔術師団の同期である。そんなハリー頼んでいるのは、年に二回あるこの国有名なダンスパーティー。話によれば、ハリーがご執心の女性がウィリアムのファンだという。
彼を餌にして、その女性をパートナーとして誘いたいという。ご苦労な事だ。
「もっと頼めっ!」
ハリーは一週間を切った事でかなり必死だ。こんな彼は人生が掛かっていた魔術師団の試験の時より必死だ。ある意味、彼にとって人生が掛かっていているのかも知れないが。
「仕方ない、出てやろう。だが、パートナーがいない。」
イチゴのプリンまで綺麗に平らげた当の本人が、やっとここで口を開いた。やれやれ、これでうるさいハリーから離れられる。そう思って席を立とうとした矢先、ハリーは恐ろしい事を言い出した。
「え?いるじゃねぇか、目の前に。」
もしやと思えば、ハリーは私を指差して言ったのだ。
「フローラをパートナーにして出れば良いじゃねぇか。コイツ男並だし、女が嫌いなお前でも大丈夫だろ。」
「ちょっと待て、ハリー。」
「うむ。フローラならば問題ない。」
「だろ?あー、良かった良かった。」
「良くないっ!私は一言も良いとは言ってない!」
トントンと話をまとめる二人に、ばんっと机に手をついて声を荒げた。
「なんで?フローラ、パートナーいないだろうが。」
「ダンスパーティーの日は騎士団とともに会場の警護に当たってる。」
「誰かに代わってもらえ。」
きっとウィリアムに睨みを効かせて見れば、当然というように彼は微笑んでいる。
「断る!」
「親友の頼みが聞けないのか?この薄情者っ。」
わっと嘘無きをするハリーを見て言った。
「パーティーなど興味もないし、私なんかを連れて歩くウィリアムに失礼だろうが。」
「もしかして、男並みって言ったの気にしてる?」
ハリーの言葉には耳も貸さずに食堂を出ると、異母兄妹に会うため城内に向かって歩いた。二人が追ってくることは無いようでホッと胸を撫で下ろした。城内を歩けばすれ違う文官や侍女達の視線が痛く、自然と早足になる。普段なら、人目が多いこの表の廊下を通ることは無いが、異母兄妹がいる北の館にはここを通らなければ行けない。北の館の入り口に立つ門兵が、魔術師団が着用する紺色の服を見るやいなやさっと門を開けてくれた。ここに入れば、先程の鋭い周りの視線からは逃れられる。周りの視線が痛いのはこの風貌のせい。縮れた短い黒髪はハリーの言った通り男並みだし、金色の瞳は猫のようだと言われる。20を過ぎれば、大抵女性らしい体型になるのに背は小さく、女性とは言い難い体型だ。
そう自分の容貌を思い出し憂鬱になった心を振り切って、異母兄妹が待つ部屋へと駆け出した。
ナサニエルとエイシアは、国王と正妃の嫡子である。いつかはこの国を継ぐ者で、エイシアは他国へと嫁ぐ大事な手駒だ。金髪に金色の瞳を持つ二人は異母兄妹であるが、彼女にとってそんな事はどうでもよかった。国王の気紛れで手を付けられた母は、事務職だった城の役職を外され、下町でフローラを産んだ。フローラが認知されなかった事で、母は人並み以上の苦労を背負い、若くしてこの世を去った。頼る当ても無かった為、幼いながらにも魔術師団へと入団。女性にして見事に一人前となった。そんなフローラを異母兄妹の二人は何かと彼女を構いたがった。今日でも部屋に呼び出された。
「あっ、お姉様やっといらっしゃった。兄様?」
そわそわと落ち着きなくさ迷っていただろうと、安易に想像出来る五つ下のエイシアは、可愛らしい丸みを帯びた顔に花が咲いたような笑みを浮かべ、テラスから外を見ていた兄を呼んだ。
「ん?やっと来たか。」
億劫そうに真っ白な柵から体を起こして、こちらにやって来ると伸びをした。
「何のようだ。ナサニエル。」
いつものんびりと構えている年子のナサニエルだが、国王よりも食えない奴なのを誰よりも知っているフローラは、手短に要件を聞き出そうとした。
「兄上か兄様と呼びなさいって言ってるでしょう?言葉使いもなってない。はい、言い直し。」
むくれて窘める彼はどうも兄貴ぶりたいらしい。
それにため息をついて、渋々言い直す。
「お呼びでしょうか、兄上。」
「よろしい。良く出来ました。」
グリグリと頭を撫で回す手を振り払い、要件を促す。
「フローラは、ダンスパーティーに出るのかなと思って。」
何故か嬉しそうなナサニエルの横からは、エイシアが
「お姉様には、ローラエレンというちゃんとした名前がございますのに。」
「あんな奴が付けた名前など使うものか!」
小さく呟いたエイシアを叱って、不機嫌に目を背けた。エイシアが悲しそうに目を伏せるのを目の片隅に見て、少し罪悪感を覚えたが、あえて何も言わなかった。
「まぁまぁ。ねぇ、フローラ。今年は出席するのだろう?」
「しませんっ!」
そこへ割って入って来たのは、ナサニエルだった。
「えぇー。今年こそはフローラと踊ろうと思ってたのに。」
「ずるいっ、兄様。私もお姉様と踊りたいですわ!」
「仕事だし、誰とも踊りません。」
「お姉様っ。」
「…仕事がどうにかなればいいのか。」
ポツリと呟いたナサニエルの言葉に、もしやと目を開けば彼はにっこりと微笑んだ。
「フローラの仕事なんて、僕の権力を使えばなんてことはないからね。一緒に踊ろうね。」
跡取りのナサニエルと踊ると言うことは、単に異母兄妹の枠を越えた立場同士であると周囲に知らしめる事になる。
何を誤解されるかわかったものではない。あの憎き国王に近く理由を自分から作る訳にはいかない。
何としても、それだけは避けなければ。
ぐるぐると一人考えていた時、ふといい案が浮かんだ。
「実は違う男性にパートナーに誘われているので、申し訳ないのですが、お断りさせていただきます。」
「何だって?」
うっかり喋ってしまったのが運の尽き。
「まぁ、お姉様。それはどんな殿方ですの?私達にも紹介していただけるのでしょう?」
「エイシア、お前は黙ってなさい。フローラ、相手は誰だい?」
じりじりと追いつめられてしまった為、慌てて取りつくろうと踵を返した。
「いや、その。相手がいないからって。じゃあ、またパーティーで。」
「待ちなさい、フローラ!」
制する言葉を無視して部屋を飛び出すと、一目散に魔術師団の鍛練場へと向かった。
うっかり喋ってしまった為に、あの兄妹は何がなんでも相手を探し出すだろう。そして、とことん潰しに掛かるだろう。そこのところ、少し頭が可笑しい兄妹だから。何をしでかすかわかったものでない。
そう思うと、フローラは更に走る速度を上げた。
目的の人物は、熱心に新しい魔術の視察をしていた。そこを有無を言わさず首元を引っ付かんで、物陰へと連れてゆく。
「どうした?」
珍しく慌てたフローラを見て、ウィリアムは首を傾げた。
「よく聞け、ウィリアム。実は…。」
フローラの異母兄妹が王太子であると知っている数少ない知人の一人である彼は、至って冷静に話を聞いていた。
「…って訳だ、すまない。」
異母兄妹に話してしまった事を詫びると、クスリと笑っていった。
「私にどうしろと?」
「だっだから、ハリーには悪いが、パーティーには出席するな。」
「何故?」
頭は大丈夫かと聞きたくなったフローラだが、ぐっと押し留めて違う言葉を話す。
「何故って、私を連れてパーティーにでも出てみろ。あの兄妹が黙っちゃいない。ウィリアム、お前消されるぞ?」
少しの間があって、ふっと笑ったウィリアムはなんてことはないかのように言い募った。
「それが何の問題があるのだ?元々、分かっていた事だろう。今更臆してどうする。それに、私にとっては好都合だしな。」
「それは、どういう…?」
「じゃあ、5日後の夕刻に。正面玄関で待っている。」
質問を遮り、約束を取り付けたウィリアムは、悠々と去って行った。
「正気か…?」
呆然と佇むフローラの声は、誰ひとりの耳に届かずに消えた。
そして迎えたダンスパーティー当日。フローラにとって、それが波乱の幕開けとなった。