END-4 先輩との新生活
◆
4月。
九条あまね先輩は、あたしの所属する校舎にはいない。
真新しい街。混み合った電車。知っている人がいない講義室。
あたしは、大学生活のなかで――少しずつ、新しい世界に慣れていく。
バッグのチャームは、大切な人と交換しあった、スパイク型のキーホルダー。
辛くなったときに、耐えたり、頑張れるように。あたしだけの、秘密のおまじない。
◆
大学からの帰り道。
土手沿いを歩いていると、どこかの部活のユニフォーム姿が、低水路の道を駆けていくのが見えた。
何部だろう。陸上部だったらいいな。
その光景に、ふと中学の日々を思い出す。
風の匂い。
汗のにじむ制服の感触。
誰かを、真剣に想った日々。
――全部が蘇って、胸が揺れる。
だからあたしも……、駅まで、ダッシュ!
だって、1秒でも早く。
あの人に会いたくなってきちゃったんだもん。
◆
アパートに到着した。
ひとり暮らし、今日で無事に2週間目。
けど祝っている暇はない。鍵を開けて、スニーカーを脱いで、急いで準備する。
ええと、歯ブラシ。化粧水。乳液。着替え……、は、いいか。
借りちゃおう。というか歯ブラシも、いい加減置いてこようかな。
――もう随分前から、名前で呼んでもいい、あの人の家に。
リュックを背負って、またダッシュ。足が軽やか。心も弾む。
そして駅前の、やたら高級なマンションまで来た。
エントランスの前のインターホンを鳴らすと。
『……鍵、持ってるでしょ。どうしてインターホン鳴らすの?』
マンションのエントランス。
スピーカー越しの声は、相変わらず少し冷たくて。
でもあたしにはわかる。これは、照れているやつだ。
「えへへっ。親しき中にも礼儀ありだよっ、先輩!」
『交際しているんだから。いつでも、何時だろうと、入ってきていい』
「だ、だってぇ。勝手に開けたら、怒られるかなって……」
『怒らない。むしろ、もっと来てほしい』
そして、ひと呼吸置いて。
『……来てくれて、嬉しい』
……はぅぅ。
結局、あたしのほうが照れてしまう。
大学生になっても、先輩はずるい。
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今日は、講義の時間がバラバラだったから、先輩の家に集合だ。
少しでも時間が合えば。
同じ電車に乗って。
お互いのキャンパスのスタバに並んで。
帰り道は、一駅ぶんだけ歩いて帰る。
高校時代には夢みたいだった日常が、今、ここにある。
「――ねえ先輩。あたしたち、付き合ってから……、何年経ったっけ?」
「……急にどうしたの?」
冷めた声で聞かれる。心外。
「ど、どうしたもこうしたも! だって中学のときから……!!」
「……6年。そろそろ覚えてほしい」
「ろ、ろくねん!? ふへえぇ……っ」
言われてみれば、……そっか。
中学生の時から、いろんな季節を一緒に過ごして。
制服が変わって、進路で悩んで、引っ越して、それでも毎日、そばにいてくれた。
――6年も。
毎日が夢みたいなんだ。
いまだに信じられない。綺麗で、優しくて、ちょっとズルいこの人が。
本当に"先輩"で。
本当に"あたしの恋人"だなんて。
……いつか、急に目が覚めちゃうんじゃないかって、ちょっとだけ怖くなる。
「……どうしたの、ひなた?」
でも――怖いなら、もう、飛び込んじゃえ!
「せんぱぁ~~いっ!! どーん!!」
「……わっ、ちょ、ちょっと!」
勢いのまま、正面から抱きついた。
胸に顔をうずめて、ぎゅーってしたら、なんだか涙が出そうになる。
「……好き。すきすきすきすきすき……っ」
「……急に何。溶けるよ」
頭をぽんぽんされながら、先輩の心音を聞く。
あったかくて、やさしくて、いつもの音。
――夢じゃないって、思える音。
◆
先輩の手料理をごちそうになった、夜。
部屋でテレビを見ていたら――ふいに、背中に腕がまわされた。
「……ひなた」
「ん、何?」
「……あなたが、欲しい」
……6年のあいだに、先輩もちょっとずつ変わってきた。
「こうしてても……いい?」
夜は、甘えてくれるようになった。
こういうときは、こう答えるって決めてる。
「おいで、あまね」
背中越しに、深く息を吐いた気配がした。
ゆっくりと振り返って。
唇にキス。
それを、深く。
永遠と思えるぐらい、ずっと、離れない。
やがて、ぷは、と息を吸った。
潤みを帯びた、琥珀色の大きな瞳。
……まだ手探りな距離。
でもその不完全ささえ、とても好きだ。
◆
翌朝。
カーテンの隙間から、やわらかな光が差し込む。
ん~っと、のびをしながら起き上がると――そこには、すでに目覚めていた先輩の姿。
……目を見開いて、固まっている。
「ひ、ひなた……っ。その、部屋着……何で、それ……っ!!」
顔、真っ赤。
目、まんまる。
動き、フリーズ。
えっ、待って、かわヨ……。
あの無表情美人で有名だったあまね先輩、どこ行った……!?
……落ち着け。これは、チャンスだぞ。6年かけて磨きあげた彼女力、今こそ見せるとき。
「……ああ、これ?」
心臓は、ばくばく。
でも、余裕たっぷりの声で。
胸元をくいっと引っ張って、見せつける。
「先輩のTシャツ~。なんか、すっごい落ち着く匂いで……、つい♡」
……な~んて。"つい♡"じゃないんだなあ。
最初から"うっかり忘れた"作戦なんですけど?(天才)
案の定――。
先輩の耳が、ぽっ……、じゃなくて。
ぼっっっ!!
って音を立てそうな勢いで真っ赤になった。
その赤みが、頬を通過して、首まで染め上げていく。
「……前に言ってたよね? "好きなだけ匂い嗅いでいい"って! だからこれは正当な使用~っ♡」
「そ、そ、それはっ……そ、そうだけど……!!」
――ばたんっ!!
先輩が突如、枕に顔をダイブ。
そしてそのまま――ぶんぶんぶんぶん、頭ふりまくり。
えっ。動揺の表現が、犬。
完全に大型犬。
「……ずるいよ、ひなた……ほんとに、ずるい……っ」
布団越しに震える声が漏れた。
余計に可愛い。
もう、ほんと、限界超えてきた。かわいさが臨界突破。
……部屋にある、ドレッサーに映る自分が目に入った。
うわっ、あたし……。
何これ。ペアルックか、ってくらいお揃いの紅潮カラー……!!
……いや、これはこれでアリでは!?
だって――。
かつては無表情だったはずのこの人が。
今じゃこんな風に、感情だだ漏れで照れてくれるなんて。
こんな奇跡みたいな光景、毎日拝めているなんて……。
心臓の残機、そろそろゼロ。
だけど、悔いはない!!
あたしは、胸を張って言える。
推し(無表情美人先輩)の赤くなる瞬間が最近の生きがいです!(なお心臓は死ぬ)




