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END-3 卒業間近。先輩との夜


 校舎の窓に、まだ咲いていない桜の枝が揺れていた。

 もうすぐ3月――けれど、夜の風はまだ冷たい。

 第二校舎へ続く連絡通路。

 誰も来ないその場所で、ふたりきり。


 外灯のオレンジ色が、地面に長く細い影を落とす。

 その隣に、先輩が立っていた。

 制服の上から羽織ったコートが、ふわりと風に揺れる。

 耳の下でそっと結ばれた髪が、夜気をまとって静かに踊っていた。


「……本当に、卒業しちゃうんですね」


 わかっていたはずなのに。

 言葉にしてしまったら、胸の奥に、どうしようもない穴が空いた。

 先輩は、ゆっくりと頷いた。

 あたしのことを見つめていながら、どこか遠い場所を見ているような瞳で。


「……寂しくなります」


 ぽつりと零れた言葉が、冷たい空気の中に溶けていく。

 ……あたしのばか。

 言ったそばから、もっと寂しくなった。


「あたしは、まだ……追いつけてないのに」


 先輩の背中を、ずっと追いかけてきた。

 髪型も、スキンケアも、食事の管理も、プロポーションの保ち方も――。

 全部、最初は先輩の真似だった。

 真似して、失敗して、自分なりに工夫して。

 何度もやり直して、そのたびに、新しいやり方を探してきた。


 今では、ほんの少しだけど。

 先輩の隣にいても、少しは恥ずかしくない、……誇ってもらえる彼女になれたかな、って。

 本当に、ちょびっと。

 先輩に近づけた気がしていたのに。

 なのに、もう、明日には――先輩はここを離れてしまう。


 沈黙が落ちる。

 木々の葉が揺れる音が、夜の奥から微かに聞こえてくる。


「……ひなたは、強いよ」


 先輩の声が、そっと静けさを破る。


「走れなくなっても、また立ち上がった。……誰かの言葉じゃなく、自分の意思で」


 その声に、胸がきゅっとなる。

 あたしがどんなに悩んで、揺れて、泣いたか――。

 耐えきれなくなって、逃げ出しそうになった日も。

 そのたびに先輩は、全てを受け止めてくれた。

 抱き締めてくれたし、それ以上のことも、応じてくれた。


 だから――ここで、言わなきゃいけないと思った。


「あたし、先輩に出会えてよかったです」


 心から、そう思えた。

 先輩がいたから、何度も踏みとどまれた。

 先輩がいたから、あたしは――あたしでいられた。


「……ありがとうございました、先輩」


 目を伏せて、そっと言う。


「卒業、……おめでとう、ございます……!!」


 ……あれ。

 おかしいな。

 泣かないって、決めていたのに。

 そのとき。

 目元に、冷たくて――温かい指先が触れた。

 指の腹で、そっと涙を拭われた。

 その動作が、あまりにもやさしくて。

 あたしはもう、声すら出せなかった。


「……こっちこそ。出会ってくれて、ありがとう」


 その声は、微かに震えていた。

 きっと言いたいことはまだまだある。

 でも、いい。

 言葉にならない想いが、空気の粒にまで、染み込んでいく。

 言葉にしないまま――夜が、全てを包んでくれた。





 3月。校舎に春の風が吹き込む。

 桜のつぼみが、膨らみはじめていた。

 部活復帰の日。

 トラックの端に立って、軽く息を吸う。


 最初の一歩。

 地面を蹴った瞬間、足が応えてくれる。

 風が、頬をなでる。

 ――あたし、また走れる。


 まだ完治じゃない。

 全盛期のタイムにはほど遠い。

 でも、体の奥から、気持ちが跳ね上がった。


「――おかえり、ひなた」


 その声に振り返ると、桜の花びらが舞った。

 制服姿の先輩が、グラウンドの外に立っていた。

 胸元には、卒業証書の筒が抱えられている。


「ただいま、……先輩」


 言葉が、すっとつながる。

 止まっていた時間が、また動きはじめた。


「ひなた、走りなさい」


 そう言って、笑ってくれた先輩の顔が、少し寂しそうだった。

 でも――その瞳には、迷いのない光があった。




 卒業する先輩。走り出すあたし。

 交差して、離れて、それでもずっと、心は並んで――。


 あたしは、もう一度スタートラインに立つ。

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