END-1 リハビリの日々
◆
歩くだけで、ふくらはぎが張る。
何でもない段差で足が止まる。
競技用のスパイクを履いて、風を切って走っていたなんて――夢だったんじゃないかと思うくらい。
左足は、まだ自分のものじゃないみたいだった。
「ひなたさーん、今日もがんばったねえ」
理学療法士さんの明るい声が、リハビリ室の白い空間に響く。
あたしは少しだけ笑って、タオルで額の汗を拭いた。
――まだ、ぜんぜん走れない。
でも、少しずつ。ほんの少しずつだけど、前には進んでいる気がした。
手術は成功した、とのことだ。
入院したばかりの頃は、ベッドから降りて、車椅子に乗ることも困難で。
歩けない自分に、悔しさと情けなさが込みあげてきて、泣きそうになる日もあった。
それでも毎日、足はわずかずつでも動いてくれた。
歩いて、伸ばして、踏み込んで。
できなかったことが、"できた"に変わっていく。
屈伸は控えるように言われている。今は90度よりも曲げてはいけない。
けどいつか、思い切り曲げられる日が来ることを信じて。
◆
病院の入り口で、あの人が待ってくれていた。
手を振ってくれるその姿に、胸がぎゅっとなる。
制服じゃない。グレーのパーカーに、白いスニーカー。
さらりとまとめた髪はハーフアップで、耳元には小さなピアスがきらめいていた。
「……先輩、開けたんですかっ!?」
つい、声が裏返った。松葉杖を倒しかける。
……そりゃあ、よく似合っているよ。
ただでさえ超絶美人なのに、拍車がかかって。ずるいくらい綺麗だ。
でも、無垢な先輩がピアスなんて……。ちょっと、いや、かなりショック。
「……これ」
先輩は、そっと片方のピアスを外して、見せてくれた。
耳たぶに挟むだけの、フェイクピアスだった。
「な、……なぁんだ。よかったぁ~~~……!!」
思わず声が漏れる。
あたし、何をそんなに動揺しているんだろう。
……いやいや、ピアス穴がないことに安心したのもあるけど。
「……安心した?」
先輩の、下から覗き込むような、ちょっとした上目遣い。
「もぉ、先輩」
――今日も、先輩が来てくれた。
毎日、欠かさずに来てくれること。
そのことが何より嬉しい。
一方で、先輩はむっとしていた。
「……先輩じゃなくて、あまねって呼んでよ」
「えぇ~? 先輩は、先輩ですよぉっ。いつまでもあたしだけの先輩です♡」
ウインクをする。
先輩は呆れたような、照れたような。視線をそらして、頬をかく。
……ピアスの件で驚いたから、かな。
ちょっとだけ。
ほんの少しだけ、追加でいじわるしたくなった。
「……そういう先輩こそ、何で毎回、来てくれるんですか?」
松葉杖にもたれかかって、少しだけ俯くようにして、聞いてみた。
先輩は、あたしの目をじっと見て。
それから、静かに、微笑んだ。
「会いたいから」
たった、それだけの言葉だった。
短くて、まっすぐで。
その奥にある想いがまっすぐ届いて――また心がほどけていく。
ペットボトルの水を、先輩が手渡してくれる。
指先が少しだけ触れた。
顔をそむけて、水をひとくち。
「……ずるいです。先輩」
本当は、泣きそうになったのを隠しただけだった。




