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15-3 "好きだから頑張れる"一方で、"好きだから気持ちが乱れる"なんて。


 今日が最後だ。

 この空間を借りられる、たった2週間の最終日。

 静まり返った視聴覚室。

 扉を開けると、いつもの席にあの人はいた。

 暗幕の閉じられた薄暗がりの中、光を拒むようにして座る姿は。

 まるでこの空間そのものが、先輩の一部になってしまったかのようだった。


「こんにちは……。おじゃま、します」


 返事はなかった。

 ただ、琥珀のまなざしが、ふいにこちらをかすめて。

 それから、またすっと静けさへ沈んでいった。

 ……こくりと喉を鳴らして、いつもの席の隣に腰を下ろした。


(……先輩。プレゼン、どうでしたか?)


 すごく、聞きたい。

 今すぐにでも。

 けれど、それを口にしたら、心が揺らぐのがわかっていた。

 隣にずっといたい。そう願ってしまう自分を、絶対に止められない。


「……大会、あるんです」


 スカートの裾をぎゅっと掴む。


「最近、サボってたから……ちょっと、取り返さなきゃって」


 ほんの14日間。

 されど14日間。

 この部屋で。

 この人のそばで。

 あたしは、自分の心がどれだけ簡単に奪われるか、知ってしまった。


「……頑張ってね。応援する」


 その声はとても静かだった。

 でも、胸の奥に触れるような、やわらかさがあった。


「わたしにできることは、ある?」


 先輩の優しい言い方に反して。

 あたしは――突き放すように、口を開く。


「……もう少しだけ、静かにしてもらえると。……助かります」


 ああ。

 本当は、こんなつもりじゃないのに。

 他に言い方が思いつかなかった。

 こんな言い方では……。


「だから……、大会が終わるまで、陸上に集中します」


 先輩は、何も言わなかった。

 ただ、黒髪の隙間からのぞく横顔が、どこか遠くを見ていた。


(……何で、こんなに苦しいんだろう)


 手を伸ばせば、届きそうなのに。

 名前を呼べば、こちらを向いてくれそうなのに。

 それができないくらいには――もう、距離ができていた。


 たかが数週間離れるだけ。

 大会が終わったら、またきっと顔を合わせられる。

 それなのに。

 人生で一番大事なものを手放してしまった。

 そんな気がした。




 予鈴が鳴る。

 静かに席を立つ。

 先輩は、やっぱり振り向かない。

 でも何故か。

 その姿が「行かないで」と叫んでいるように見えた。


「……ありがとうございました。先輩」


 ごめんなさい。

 ごめんなさい、ごめんなさい。先輩。

 あたし……。大好きな人の隣じゃ、力を出せないタイプでした。


 今後は先輩を、優先するために。

 先輩と出会う前から、こんなあたしに期待してくれる人たちへ、義理を果たしたい。

 その人たちの想いに、もう少しだけ応えさせてください。

 中学校を卒業するまでは。


 視聴覚室を出る。

 ――閉じかけた扉の隙間から、嗚咽のような音が、微かに聞こえた。

 揺れた。

 空気が。

 背中が。

 あたしの心が。





 朝練。

 放課後。

 立てる機会があるたび、トラックに立った。


 授業の合間には、スマホでフォームを確認して、ノートに癖や改善点を書き出す。

 空いた時間はすべて、ストレッチに使った。

 鏡の前では、何度も、何度も、腕の振りを繰り返した。

 再開してからずっと続いた、夜の電話も、ぱったりなくなった。


 とにかく――動いていた。

 止まったら、考えてしまう。

 考えてしまったら、崩れてしまう。

 だから、走った。

 昼休みも、例外にしなかった。

 あの人がいる、あの空間を、手放した。

 顧問に怒られても、れなこに止められても、やめなかった。

 走ることでしか、自分をつなぎとめられない気がした。




 ――ちくっ。


 最初は、ただの違和感だった。

 左脛の奥が、小さく、痛んだ。

 走っていれば消える――そんな種類の痛みだと、思っていた。

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