表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

38/50

(小話)r-1 宇宙人、寝たふりをする。


 先輩の教室には、ふたり以外、誰もいなかった。


 放課後だから、当たり前だ。

 しかも、陸上部の練習が終わるくらい遅くて――夏の夕方、18時。


 あたしは先輩の、そばの席に着く。

 向かい合わせじゃない。横並びだ。

 ぴったりくっついているわけじゃないけど、肩と肩のあいだ、文庫本一冊分もない。

 先輩は、読書をしながら待ってくれていた――の、だと思う。

 けれど、まったくページがめくられない。

 顔の向きからして、視線は手元の文庫本のあたりに落ちているけど、まつげがぜんぜん動かない。


「……先輩?」


 返事はない。

 そーっと顔を覗き込む。

 目を閉じていた。無表情。いや、無感情?

 すぅ……、すぅ……。と、小さな寝息が聞こえた。


「……寝ている、んですか?」


 やっぱり返事はない。

 でも、耳がやたら赤い。

 これは気のせいじゃない。


(……失礼します、先輩)


 息をひそめて観察してみる。

 唇は閉ざされていて、口角はゆるんでいない。

 でも、まつげの先が、ぴくり。

 ほんの一瞬だけ震えた。

 凝視を続ける。何度も、ぴくっ、と。

 ……確定。これは、寝たふりである。


(何これ、可愛すぎでは……)


 たぶん、あたしが何かするのを待っている。

 構ってくれるのを、期待している。

 無表情を保ちながら、耳だけピンクにして。

 そんなの、ズルいじゃん……。


「……じゃあ、起きない先輩には、こうしちゃいます」


 勇気をふりしぼって、指を伸ばす。

 先輩の前髪をひとすじかきあげて、額にやさしく触れる。


 ――熱い。


 ほんの少し、指先が触れただけなのに。

 先輩の肌は、吸い寄せられるみたいに、なめらかで、柔らかくて。

 結構、熱い。……夏だからかな。

 髪の生え際、額のなだらかな丸みに沿って。

 そのまま、つい――指をすべらせてしまう。


 まぶたの際。

 眉間。

 鼻筋の端っこ。

 こめかみのくぼみ。

 ひとつの空気の中で、あたしの指が、先輩の顔をなぞっている。

 どこを触っても、極上に綺麗で。

 触れるたび、心臓が、喉の奥でちかちかと跳ねて、壊れてしまいそう。


 ――だめだって、わかっているの。

 だけど。

 指先はさらに、ぷにっとした唇の輪郭の、すぐぎりぎりまで……。

 触れたい。けど触れない。触れたら、戻れなくなりそう。

 震える吐息が、先輩の前髪を揺らす。


「……先輩が、悪いんですからね……っ」


 目を閉じたままの、無防備なその顔。

 ――額へ、唇を落とす。


 その瞬間。

 ――ぴくっ。

 まぶたが、わずかに動いた。

 目は、まだ開かない。


「……起きてるって、バレバレですからね」


 そう囁いたら、少し間をおいて。

 ゆっくりとまぶたが開いた。

 まっすぐにこちらを見つめる、琥珀色のまなざし。


「……ひなたちゃんって、わかりやすい」

「どっちが、ですかっ……!?」


 先輩はゆっくり上体を起こして、さも今起きましたみたいな顔をする。

 ……ずるい。いろいろずるい。

 顔はいつも通り、感情の見えないままなのに。

 首筋が、ばっちり真っ赤だった。


 この人は、やっぱり宇宙人だ。

 どこまでが本気で、どこからが照れ隠しなのか。

 あの日からずっと、こっちが試されている気がする。

 それでも。

 そのまなざしに見つめられるだけで、胸の奥が、ふわっと温かくなる。

 だから、そばにいるのをやめられない。




 心音だけが、ゆっくりとした時間の中に溶けていく、先輩の教室。


「……また寝たふりしたら、もっとイタズラしますからね」


 そう囁いたら、先輩のまつげが――ほんの、ほんの少しだけ。

 恥ずかしそうに、震えた気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ