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12-1 推しに名前呼びなんてされたら死ぬにきまっている。


 ――むり。

 あたし、一昨日から今日にかけて、何回生き返ったらいいんですか?

 授業のチャイムが鳴っても。

 黒板の文字も、先生の声も、ぜんぶ――先輩に、上書きされる。


 ノートの余白に"あまね先輩"と書いた。

 自分の字なのに、きらきらして見える。

 その隣にこっそり書き足す。

 "ひなたちゃん"という文字と、相合傘。

 ……ふえぇ。生きているって、奇跡だ……。


「ねぇ、ひなた〜」

「はい尊いっ!!」

「まだ何も言ってないけどぉ!?」


 隣の席から、れなこの呆れた声が飛んでくる。


「……あれ、もう休み時間!?」

「休み時間っていうより給食だよぉ〜」


 言われてみれば、お腹がすいている。

 でも、現実世界に戻るのが惜しい。

 ――だって。

 あの先輩が、あたしの名前を呼ぶなんて……どんな幸せよ!?

 ……昨日も、電話で。


(……ふへぇ。ふへへへ……っ、やばい……)


「ひなた、やばい顔してるぅ!! ふへへって言ってたよ今!」

「え!? し、してない! 言ってないよ!?」

「じゃあそのノートに大量発生してる"ひなたちゃん"って何〜?」

「それは……先輩が言ったからぁぁ!!」


 机に突っ伏して隠す。

 顔から湯気が出そう。ていうか出ている。完全に茹でタコモード。


「……行ってきたら?」

「……え?」

「給食当番、代わるよぉ。気になって食べられないでしょ?」

「れなこ……!!」

「お代は、先輩との恋話でお願いしますっ♪」


 ……ありがとう、れなこ。

 立ち上がって、駆け出そうとしたそのとき、背後からふわりと聞こえた。


「ずっと元気なかったもん。ひなたが、また笑ってくれて……ほんとによかった」





 階段を駆け上がる。

 目指すのは、ひとつ上の学年。あの人のクラス。

 給食の放送に、廊下にこぼれる笑い声。

 お昼時の喧騒が、やたら遠くに感じられた。


(……会えるかな)


 呼吸が浅くなる。

 さっきまで教室でふへっていたのが嘘みたい。

 今は胸がぎゅっとしている。


 教室の窓から、そっと中をのぞく。

 ――でも、いない。

 見渡しても、先輩の姿はどこにもなかった。

 教室の後ろで談笑していた、数人の中のひとりがあたしに気づく。


「あれ……飛鳥さん?」

「えっ、え? はいっ!?」


 反射的に姿勢を正す。

 出入り口に現れたのは、長身で、どこか洗練された雰囲気の女子。

 柔らかく髪を結っていて、微笑んだ顔には、先輩に似た気品があった。


「よかった。……ずっと気になってたんだよね。ほら、番号くれたじゃん」


 ぽかんとするあたしに、その人はスマホを取り出して、手早く操作する。

 見せられた、連絡帳の表示には。


《飛鳥ひなたさん/あまねを待ってた子》


 ――あのときだ。

 雨の中、何時間も探し回った日。

 すがる思いで番号を託した、上級生。


「あれから、あまねには会えた?」


 ……ナチュラルな名前呼び。

 羨ましいな。


「……は、はいっ。おかげで……」

「そりゃ良かった。また、あまねに用事?」

「はい。今日は、来ていないんですか?」


 彼女は少しだけ目を細める。


「……なんかね。あまねが急に、笑ってたんだよ」


 え? と、思わず聞き返しそうになる。


「……笑ったんですか?」

「うん。珍しいよ。滅多に笑わないのに」


 ……それは、納得できる。


「そしたらさ、"名前呼ぶのって、すごく勇気がいるんだね"って言ってて」


 ――あまね先輩。

 それって。


「……視聴覚室Bだってさ」

「えっ……」

「委員の仕事でプレゼン準備中。鍵も持ってるし、給食も持っていったよ」

「……はい」


 言葉が追いつかない。

 でも、伝えたいことは、伝わっている気がした。


「だからさ。たぶん――飛鳥さんは、特別だと思う」


 視界がにじんだ。

 胸の奥から、いろんな想いが溢れそうになる。

 ……よく見えないけれど。

 彼女も、涙ぐんでいる気がした。


「きっと、あまねも待ってる」

「……はいっ!」


 声が少し震えたけれど、その人は頷いてくれた。


「……あーあ」


 ――大きなため息。


「妬けちゃうなあっ。あまねの一番の友達、私だったのに! もうっ」

「す、すみません……っ」

「……いじわるだったね、ごめん」


 彼女は、頬をかきながら、くしゃっと笑った。


「私、あまねのこと、大好きだからさ。……だから嬉しいの。あの子が自分から、誰かの名前を呼ぶなんて、今まで一度もなかったから」


 その声に、嘘がないのがわかる。

 やさしくて、あたたかくて。先輩を本当に、大切に思っている声だ。


「私、志緒しお さゆきって言います」

「……ひなたです。飛鳥ひなた」

「うん、知ってる。あまねもそう言ってたし。てか、番号預かったときに聞いてるよ?」

「そ、そうですよね……っ」

「私とも、友達になってくれたら嬉しいな」

「……はいっ、よ、よろし……、よろしくお願いしますっ……!」


 慣れない敬語が空回って、頭がぺこぺこと何度も下がる。


「ふふ、ありがと。そんなにかしこまらなくて大丈夫だよ」


 志緒さんが、すっと手を差し出す。

 その手を握った。

 手のひらは、少しひんやりしていて。

 でも、ちゃんとぬくもりがある。

 ……そんなところも、先輩と似ている。


「行っておいで。ひなたちゃん」

「……はいっ」


 もう一度、深く頭を下げて――走り出す。


 階段を駆けあがる足音も、廊下に響く放送も、何もかもが遠ざかっていく。

 今、あたしの中にあるのは、たったひとつの音。


 ――あの声で、呼ばれた名前。


 胸の奥に残っている。

 その一言だけが、何度も、何度も、あたしの中で波紋のように広がっていく。


 視聴覚室は、もうすぐそこだ。

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