2-2 む、無理……! そんな顔で見ないで……! それ以上何か言われたら、あたし、(尊くて)死にます……!
「……ん、ぐ。い、ま、たべて……る……」
先輩が、右手で口元をそっと隠しながら、申し訳なさそうに視線をそらした。
指の隙間から見え隠れするほっぺが、ぷくっとふくらんでいる。
困ったような顔。だけど、怒ってるようには見えなかった。
むしろ――恥ずかしそう?
「っ……あ、あたし、見てませんっ! 何も見てないですっ!! ホントにっ!!」
意味不明な言い訳をまくし立てて、ぺこぺこと頭を下げる。
けど、逃げない。いや、逃げられない。
視線も、足も、ぜんぶ先輩に縫いとめられてしまっている。
透き通るような手。
細くて綺麗な指先。
その左手には――ひと口かじられた、大きなおにぎり。
がぶりと食べた断面から、明太子がこれでもかと顔を出している。
机の上には、先輩のイメージに合う、落ち着いた青色の水筒が置かれていた。
旧図書室の静けさの中。
冷たい朝の空気みたいな匂いに混じって……ほのかに、お米と海苔のいい香りが漂っていた。
……ごくん。
先輩は小さく喉を鳴らして、右手を下ろす。
普段の無表情が、ほんのり緩んでいる。
あれ。よく見ると、先輩の首筋、赤い……?
「……そんなの、うそ」
――むり。
今のは、ずるい。
上目遣いで、少しだけ細めた目。拗ねたようにあたしを見る、先輩。
「見たでしょ……」
その声とともに、さらりと髪をかき上げる。
その仕草すら、絵になるくらい綺麗で。
ちらっと見えた先輩の耳は――まっかっかだった。
頭が追いつかない。
おにぎり。九条先輩。旧図書室。もぐもぐ。
そんな言葉ばかりが頭の中で渦巻いて、現実感がどんどん薄れていく。
バクバク鳴る心臓がうるさい。いっそ誰か、止めてほしい……!
ふいに、先輩が目線を逸らす。
もう一口、おにぎりをはむっとかじった。
口いっぱいに頬張って、もぐもぐもぐ……。
必死にもぐもぐ。
急ぎ気味に水筒へ手を伸ばして――。
――カタッ。
ふたを落とした。
「あっ」
地面に転がるそれを咄嗟に拾おうとして、先輩が身をかがめる。
――ごっ。
机の角に、額をぶつけた。
「……~~っ……!」
低く小さな声が漏れる。
黒髪がふわっと揺れて、額にかかる。
さっきよりも赤くなった耳。
そのまましゃがみこんで、額を押さえる先輩。
あたしを、見上げた。
潤んだ大きな瞳は、ますます拗ねたようで、だけど気まずそうで。
唇の端には、まだ米粒が貼りついたまま――。
すべてが、反則だった。
「……ごめんなさいっ!!」
その一言だけを残して、あたしは旧図書室を飛び出した。
何に謝ったのか、自分でもよくわからなかった。
廊下を駆け抜ける。連絡通路を渡る。階段を一気に上がった。
昇降口を飛び出して、部室に寄らずグラウンドへ。
息が苦しい。足が重い。でも止まれない。
(――先輩、可愛すぎ……っっっ!!)
ずっと見ていた。
憧れていた。
あんな表情、ずるい。
ぷくっとふくらんだほっぺ。
真っ赤な耳。
恥ずかしそうに見上げる、潤んだ瞳。
ほんの少し、そばにいただけで、心が焼けてしまいそうになるなんて――!
「うおおおおおおおおおおおおおお!!」
声にならない声を吐き出しながら、トラックに飛び出す。
スパイクも履かずに、ラインのそばを全力で蹴った。
足がもつれても構わない。涙なんか、絶対に出さない。
風を切る音が頭の中のノイズをかき消してくれる。
全速力で逃げたい。自分の気持ちから。
全速力で振り切りたい。胸の高鳴りを。
あの匂いも、大きな目も、もぐもぐしてた口元も、全部、ぜんぶ――!
「ちょっとひなたっ!? どうしたの、何かあったのぉ〜!?」
れなこの驚いた声が遠くで聞こえる。
でも今は立ち止まれない。
風になる。土になる。ただの足音になる。
「……今日はいつにも増して、気合が入っているね……っ!!」
何かを考える余裕もないくらい、走って走って、走り続ければ。
走って、逃げていれば――。
いつか、このどうしようもない感情を、追い越せる気がした。