11-1 耳に録音して永久保存したい。先輩の声。
◆
放課後。
立ち入り禁止の第二校舎。
鍵の壊れた裏口から、そっと忍び込む。
旧図書室の扉を開けると、むっと蒸した空気が首すじをなでた。
(……きっと、いる)
ゆっくり、ゆっくりと中へ入る。
窓際の長机。陽の差す場所に――九条あまね先輩はいた。
艶やかな黒髪。
伏せられたまつげ。
静かに本をめくる、透けそうなほど白い指先。
ただそれだけで、空気が凛と引き締まる。
約束通り、今日は会えた。
ようやく戻ってきた、あまね先輩。
……深呼吸する。
胸いっぱいに息を吸って、詰まった緊張を吐き出す。
そっと、隣に腰を下ろした。
「……こんにちは、先輩」
声をかけても、反応はない。
「……えっと。また明日って、言ってくださったから……」
先輩は、うんともすんとも言わない。
視線を上げることもない。
ただ、ページをめくる音だけが、小さく重なっていく。
すぐ隣にいるのに、ものすごく遠い。
けど――それが先輩だ。
(……先輩)
……あたしたち、何か変わったはず。
ほんの少しでも、きっと。
そう信じたくて、こっそり先輩の横顔を覗きこむ。
「……あのっ」
勇気を出して呼びかけたときだった。
――ぴたり、と。
本をめくる手が止まった。
「昨日は……、電話、本当に嬉しかったです。……今日、なんですけど」
返事はない。
先輩は髪をかきあげて、耳にかける。
その微かな動きだけで、心臓がきしんだ。
(……言わなきゃ)
作戦会議で、たくさん話した。
れなこも、みかげも、背中を押してくれた。
電話した夜から……。
いや、初めて見たときから、ずっと胸に留めていた願い。
――いま、ここで、ちゃんと伝えなきゃ。
「……なた、って……」
先輩のまつげが、ぴくりと揺れた。
「……"ひなた"って、呼んで、くれませんか……っ!!」
そして、ぱたん、と。
本が閉じられる音がした。
「……ごめんね」
その言い方が、ひどく――ショックで。
でも。
「……顔、見れなくて」
――耳を澄ませていたから、聞こえた。
どんな音よりも小さな声。
先輩の視線は、机の上をさまよっている。
本の角を、指でなぞって。
その仕草が、繊細で、愛しくて。
「顔見ると……胸、潰れちゃいそう」
その言葉と同時に、先輩の耳が――。
信じられないくらい、真っ赤に染まった。
先輩は、迷うように一度息を吸ってから、ふっと目を伏せた。
唇がそっと開く。
「……ひなた、ちゃんの、顔」
名前を呼ばれた、そのたった一言で――。
胸の奥で、何かがとんでもない音を立てて、爆発した。
(むりむりむりむりむりむりむり)
思ったより、これは――毎日呼ばれるのは、絶対むり。
「ちょ、ちょちょ、ちょちょちょっと……、待ってください先輩っ!?!?」
顔が熱い。胸が詰まる。息ができない。
なのに、嬉しくて、苦しくて、泣きたくなるくらい幸せで。
「それは……ずるいっ!! 尊すぎて……。尊すぎて、し、しぬぅ!!」
「……何が、ずるいの?」
「ぜんぶですっ!! 録音して、300回聞いてから死にたいっっ!!」
「……過剰反応しすぎ」
「そんなことありませんっ、正常反応ですっ!! あまね先輩が可愛すぎて……脳が、とけましたぁ〜〜〜!!」
自分でもよくわからない悲鳴を上げながら、机に突っ伏す。
……くすっ、と笑う気配がした。
思わず、ぱっと顔を上げる。
「……もぉ」
やっと、視線をくれた。
顔じゅう、真っ赤で。あの透けるような白肌はどこへやら。
――世界中の可愛いをぜんぶ集めて、ひとりぶんに濃縮したみたいな。
そんな風に、少し涙を浮かべて、困ったように笑う先輩が、いた。
「……はぅぅ」
あたし、ダウン。




