(小話)n+2 「がんばったら、ごほうび」──その甘声で、一撃即死。(ごほうびをもらって再び臨終)
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「……じゃあ、まずはここから」
放課後。改めて、視聴覚室。
先輩が、ノートにさらさらと問題文を書きはじめる。
「電車が時速xキロで走っていて、y分後にz地点を通過します。xを求めなさい」
「うぅ……、またxですか……」
これって本当に数学?
どうして数字が出ないで、アルファベットが跳ねてくるの?
授業がこっそり語学に変わっているんですけど……っ。
「あの。あまね先輩……」
「……ん。どうしたの、飛鳥ちゃん」
ノートから視線を上げた先輩と、すっと目が合う。
「xって……ペケ、って意味ですかね?」
「……え?」
「バツ印とか、不正解とか……。もしくは、宝の地図に書いてあるやつですか……!? “ここにバクダン埋まっています”的な……っ!」
泣きそうな声で口走る。
「……じゃあ、xじゃなくて、罰にしようか」
「えっ?」
「“罰”を受けたいのかなって、思っただけ」
「えええっ!? な、な、何でですかっ!?」
「だって飛鳥ちゃん、さっき“覚えることから全部逃げました”みたいに言ってたよね?」
「ちょ、それはっ、悪意のある意訳ではっ……!」
あたしが言ったのは、“覚えるべきことが記憶から逃げ出した”ってだけで……!
「逃げたのは記憶じゃなくて、飛鳥ちゃんでしょう?」
「ひぃぃ……!」
「ちゃんとできる子だもんね。……もう、逃げちゃダメ」
「うぐぅっ……」
先輩の言葉、ぜんぶ真っ直ぐに刺さる。
ぐぬぬ……、悔しい……。
でも、好きだから、従っちゃう……っ。
「これからは、忘れた分だけペナルティ。いいね?」
「ぺ、ペナルティって何するんですか……っ!?」
「……たとえば」
ノートの上を、先輩の指が軽く、とん、とんと叩く。
「ひとつ忘れるごとに、”わたし問題”をひとつ。オリジナルで」
「オ、オリジナル!? せ、先輩問題って何ですかっ!?」
「ふふ。出題者の気分次第。……わたしの学習範囲から選ぶかも」
「そ、それ、絶対こっちの出題範囲に入ってません~~~っ!!」
びくびくしながら様子をうかがうと。
先輩はふと、ノートから視線をそらして――。
口元を、少しだけゆるめた。
「……焦った顔、かわいい」
「い、いじわるですっっ!!」
――今日は、完全にペースを奪われている……っ。
先輩の笑みは、からかうようで……それでも、やっぱりやさしくて。
長いまつげの下、その頬に、かすかに――色が差した。
……気がする。
ずるい。
そんな顔、見せられたら……あたしまで。
ほっぺたが熱くなるに決まっているじゃないですか……!!
「飛鳥ちゃんが、真面目にがんばったら……」
すっと、空気が変わる。
声は低く、凛としたまま。
くすぐるように、どこか甘く。
「――そのたびに、ごほうびをあげる」
「……へっ……ごほうび……?」
「がんばった人には、それなりの評価を」
そっと言葉を落とす、その声が。
あたしの耳の奥まで、ぞくっとかすめていった。
「ごほうびって……たとえば……?」
「内緒。でも、飛鳥ちゃんが喜ぶもの」
「せ、先輩、それは……!」
先輩は、何も答えず――ただ、妖しく微笑む。
(む、無理……集中なんて……できるわけ……っ)
頬の熱を押さえるように、深く息を吸う。
でも、冷めない。
心臓が、きゅうっとつままれて。なのに、ばくばく鳴っている……。
もう、わけがわからない。
「……じゃあ、ひとつ目の“わたし問題”、出すね」
さらさらと、ノートにペンが走る。
先輩は斜めにページをこちらへ向けた。
【問題。
“あなたが、いちばん好きな匂いを、できるだけくわしく答えなさい。”】




