(小話)o-1 ……ぷに感、確認。
「……ん〜〜〜っ、先輩遅い〜〜っ!」
保冷バッグを、ぎゅっと抱きしめて。
足をぱたぱた揺らしながら、拗ねた声を空に放つ。
でも、それを聞いてくれる人は、まだここにいない。
青空とコンクリート。
それから、ほのかにあたたかい風。
空がこんなにも近い、屋上。
春と夏の境目みたいな空気が、夏制服の袖をなでていく。
――わかっている。
先輩は絶対に来てくれる。
チャイムが鳴ったと同時に、教室を飛び出した。
階段を駆け上がりながら、胸がきゅうっと苦しくなったのを、覚えている。
会えるってわかっているのに、それでも、ドアノブに手をかける瞬間は、毎回どきどきする。
がちゃり、と金属の音。
ぎぃ、と開いた扉の先は、光に満ちていた。
屋上の片隅、日陰になった場所。
そこに、ふたりで座るための小さなシートを敷いた。
アイスキャンディーを入れた保冷バッグは、バッチリ用意した。
今日みたいな暑い日は、ちゃんと溶けないように。
しばらく待つ。……今に至る。
(先輩……。まだかな、まだかな)
風が、さぁっと吹いた。
その中に、冷たい香りが混じる。
洗いたてのシャツみたいな。もしくは、氷菓子みたいな匂い。
「あっ……」
屋上のドアが、ばたん、と音を立てて閉じた。
ゆっくりと歩いてくる影。
透けるような黒髪が、光の中できらめいて。
まっすぐな姿勢で、静かで、何を考えているかわからないのに――。
どうしてだろう。
この人が近づいてくるだけで、空気が、やさしくなる。
「……先輩発見〜〜〜っっ!」
跳ねるように立ち上がって、思い切り手を振る。
先輩もこちらを見る。
ぱちん、と目が合った。
ほんの一瞬、まぶたが伏せられる。
それはきっと、先輩なりの――微笑みのしるし。
「お待たせ、飛鳥ちゃん」
その声だけで、胸がぽんって鳴る。
保冷バッグをぎゅうっと抱きしめたまま、ぴょこんとお辞儀をした。
「はいっ、おそようございます先輩っ!」
「うん。……おそよう?」
軽く首をかしげる先輩に、勝ち誇るように胸を張る。
「お昼のあいさつは、おそようって決まってるんですっ!」
先輩は何も言わずに、まばたきをした。
そのまま、ふたり並んでレジャーシートに腰を下ろす。
風がそよいで、あたしたちの髪を優しくゆらす。
「……先輩、じゃーんっ。今日の目玉はこちらっ!」
保冷バッグを開けて、二本のアイスキャンディーを取り出した。
ひとつは、いちごミルク。もうひとつは、ソーダ味。
「どっちがいいですか?」
あたしが差し出すと、先輩はじっと見つめてきた。
……アイスじゃなくて、あたしの顔を。
「えっ……な、何かついています?」
思わず頬を押さえると、先輩はふっと視線を落とす。
そっと、ソーダ味を取った。
「何となく、……飛鳥ちゃんはいちごっぽい」
「へっ……? い、いちごっぽいって、どんなっ!?」
先輩は、口元をほのかにゆるめた。
「――甘そうだから」
「~~~~~っっ!!」
でた。
最近の先輩、こっちをからかうのがうますぎる……!
でも――今日は、負けていられない。
「……先輩。アイス、食べたいですか?」
「うん。食べたい」
「どぉ~~しても、ですかっ!?」
「……うん。どうしても」
「ふふ。ダメでーすっ!」
にんまり笑って、人差し指をふりふり。
「遅刻した人には、ペナルティがありまーす! 残念でした、先輩っ」
先輩がぱちくりと、まばたきする。
「遅刻の代償は……あたしの頬をぷにってする刑ですからねっ!」
「……わたしがする側?」
「はいっ。反省の気持ちを込めて、思いっきりどうぞっ!」
頬を突き出す。
ぷぅ、と膨らませて、アピール全開。
でも先輩は、無言のまま。
手を伸ばすでもなく、見つめるでもなく。
ただ、息をのんだような顔で、こちらを見ていた。
「……な、何ですか」
――ほんの一瞬だけ、先輩の目が揺れた。
「それ、罰じゃなくて、ごほうびじゃないの?」
「えっ……」
それから静かに、手をのばしてきた。
「じゃあ……執行するね」
「っっ……ひゃっ」
先輩の指先が、そっと頬に触れた。
ぷにっ、と押される。
柔らかく、あたたかく、ためらいがちな優しさ。
それなのに、心臓が、ぼんっ! って鳴った気がした。
「……ぷに感、確認」
「うぅぅぅ〜〜〜!?」
こんな、先輩がノリノリで、ぷにっ刑を執行するなんて……!!
「……思ったより、やわらかかった」
「うわぁぁぁぁ……~~~!!」
悔しくて、恥ずかしくて、どうしようもなくて。
そのくせ、嬉しくて仕方がないなんて……。
ずるい。
ほんと、ずるい……!
顔はぐしゃぐしゃ。心はふにゃふにゃ。
手で顔を覆って、そのままぺたんと仰向けに倒れこむ。
指の隙間から見える、真っ青な空。
どこまでも広がってて、まぶしくて。
火照った頬に、風がそっと触れる。けど。
それでも、ぜんぜん冷めない。
隣に目をやると――。
先輩は、視線を落としたまま、小さく肩を揺らしていた。
ほんの一瞬、何か言いかけて、やめたような横顔。
ソーダ味のアイスキャンディーの袋を握ったまま。
その首筋が、どこかぎこちなく赤く染まっている。
「――今度は、わたしの番でもいい?」




