7-2 “楽しみにしてる”の一言で人は簡単に爆発する(心が)
文芸部所属のクラスメイト、織莉みかげ。
スマホ越しに聞こえる声は、少しかすれたハスキーボイス。
髪は、校則違反ぎりぎりのメッシュ入り。
パッと見はヤンキーの子。態度も言動も、だいたいヤンキーだけど……。
でも、あたしは知っている。
みかげの部屋の本棚には、誰よりもぎっしり、物語が詰まっているっていうことを。
「みかげ、……お願いっ!! お知恵を拝借させてっ!」
『何だその声。借金取りに追われてる人みたいだな』
「本を貸す約束、しちゃったんだよ……先輩にっ!」
『先輩って誰だよ?』
「あう……。く、九条先輩……っ」
『やめとけって言ったのに』
「……うるさいなぁっ。いい人だもん、先輩はっ! 読書しているところに声をかけたら、本を交換しようって流れになって……っ」
『あっそ……。で、九条さんは何読んでたの』
「"たまごサンド探偵団"……」
『あー。そのシリーズ、全12巻で伏線ちゃんと回収するやつじゃん。……通だね』
「そうなの!? てか、どんな本を持っていけばいいと思う!?」
みかげは、しばらく電話越しに唸る。
『真面目系? 走る系? それとも笑えるやつ?』
「“走る系”って何!?」
『よし、走る系でいこう。だったら……やっぱ、これだな』
数秒後、スマホがぶるっと震えた。
LINEの通知。
添付された書影は――。
『熱いよ。箱根駅伝もの。読んだら、マジで走りたくなる』
「……え、えっと。実物、持ってたり……?」
『あるある。てか、今からひなたんち行くわ』
「へっ!? いや、待って待って!? 夜だよ!? うち、そんな近くな――」
言い終わる前に、通話がぷつんと切れた。
……本気?
念のため、リビングにいるお母さんに伝えておく。
「友達、これからちょっとだけ来るかも~!」
◆
電話をしてから15分後。
インターホンが鳴った。
玄関を開けると、パーカー姿のみかげが立っていた。
「ほんとに……来てくれたの?」
「ああ。むしろ夜分に悪いな。渡したらすぐ帰るわ」
フードを目深にかぶって、手には分厚めの文庫本が一冊。
「よかったら、あがってってよ!」
「……そっか。じゃあ、ちょっとだけ」
みかげを部屋に通す。
机の上には、ジュースの缶と、お菓子の小皿。
なんでもない夜を、ちょっとだけでも特別に見せたくて。
あたしたちなりの、ささやかなおもてなしだ。
「おかーさん、みかげ来たよーっ! 手伝ってくれてありがとー」
「……気を遣わせてごめんな」
「ううんっ、来てくれてすっごく嬉しい。ありがとっ、みかげ」
「ん……。これ、ほれ」
差し出された文庫本。
カバーに細かな折り目があって、角が少し丸くなっている。
やわらかな手ざわりに、読み込まれた時間と、持ち主の想いがにじんでいた。
「……これ、みかげのだよね?」
「そ。初版」
「初版って……レアだったりする?」
「まあ、ちょっとな」
「そんな大事な本、貸してくれるの……?」
「いいよ。何回読んだかわかんないくらいだし。……というかな、手放すんじゃない、貸すだけ」
「でも……。明日、先輩に渡すことになるかも」
さっきまで。
"どうしよう"、"何を渡せばいいの"って、頭の中がぐるぐるしていたのに。
みかげが来てくれて、本を手にしたら――別の不安が、胸の奥にふっと湧く。
そんなあたしを見透かしたように。
みかげは少し照れたように笑って、ジュースの缶を開けた。
「……わかってるよ。だから貸すんだっての」
――あたし、泣きそうだ。
「ま、とりあえず少しは読んどけ。まったく知らないままじゃ、九条さんに“エア読書勢”ってバレるぞ」
「たしかに……」
「しかし600ページ超えだからなぁ。完徹しても、たぶん読破はムリだ。明日渡すんだろ?」
「うん……」
「なら、ここだ。推しシーン。まずはここから読んでみ?」
ベッドの上には、読書途中の"たまごサンド"。
どちらも、ちゃんと読みたい。
――本を開きたい。
さっきの読書体験で気づいた。
ページをめくる快感。
物語に触れる喜びを、指先が覚えつつある。
何よりもこれは、みかげの“推し本”だから。
“風が強く吹いている”を、そっと手に持った。




