6-1 「ばか」って言われた、推しに。「好き」って意味でしょ、知ってる。
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午後の授業が終わる頃。
あたしの心は、自宅でも、部室でもなく、第二校舎の旧図書室に向かっていた。
放課後、部活を終えた夕方。
汗が引く間も惜しくて、気づけば足が自然と走り出していた。
夕暮れが、ゆっくりと空を染めはじめる。
風の匂いに、ほんの少しだけ夏の気配が混じっている。
制服の背中に残る汗が、じっとりと重い。
――もう5月も後半だ。
日ごとに陽射しが強くなって、部活の時間が、少しずつ遅くなってきた。
どうしようもなく、早く会いたかった。
部活のときよりずっと全力で、旧図書室へ駆けていく。
……遅くなってごめんなさい。
もう帰っちゃったかもしれない。
先輩、どれくらい待ってくれていたんだろう。
そんな不安をぎゅっと胸に詰め込みながら、ドアを開ける。
窓から差し込む西日が、濡れ羽色の長髪をやわらかく照らしていた。
その姿はまるで、人の形をしたガラス細工みたいだ。
九条先輩は、今日もそこに座っていた。
「……先輩っ!」
顔を出すと、先輩はちらりと目を上げて、小さくうなずいた。
本を読んでいる。いつもの、感情の読めない顔で。
「……なんかもう、それだけで国宝級です、先輩……っ!!」
「……国宝って、何」
「先輩が読書している姿のことですっ! 黙っていても完璧美人なのに、本まで読んでいたら……無敵の美少女じゃないですかっ!」
「……あなたって、本当に。そんなこと、真顔で言うのね」
先輩は小さくため息をつきながら、ページを一枚、静かにめくる。
震える指先まで、やっぱり、綺麗だ。
「真剣ですよっ、もちろんっ! 先輩の存在が文化財ですからっ。動かなくても絵になる”静の美”っ! 世界遺産登録、全力で推薦しますっ!!」
目を伏せる先輩。
ほんのわずかに、眉が寄っている。
「……ここ、図書室だから。読書って普通の行為じゃない?」
「いえ、普通じゃないですっ!! 先輩がやると全部が尊いんですっ! いつもあたしの世界をきらきらにしてくれて……ありがとうございますっっ!!」
無表情を保ったまま――。
でも首筋が、夕陽よりも濃い赤に染まっていた。
「……ばか」
心の中でファンファーレが鳴り響く。
今この瞬間、地球に生まれてよかった。本当に。
「……こほん」
先輩は咳払いをひとつ。
「あっ。ご、ごめんなさいっ。遅くなりました! ……あの。今、何を読んでいるんですか?」
きっと詩集とか、洋書とか、難解な哲学書とか……。
そんなものを想像しながら近づく。
「……ん」
先輩は、読んでいた本の表紙をこちらに向けてくれた。
タイトルは。
“激闘! たまごサンド探偵団・全国お弁当ミステリー編”
「……あれ?」
思わず、間の抜けた声が出る。
(たまごサンド……? 探偵団……??)
探偵×グルメ小説だと思う。たぶん。
……だよね。
これ、探偵ものなの? グルメなの?
タイトルだけ見ると、若干格闘要素も感じるんだけど……?
しかも児童向けだ。”対象年齢9歳~”って書いてある。
「先輩……。それ、すごい……強そうなタイトルですね? なかなかパンチが効いています」
「好き。シリーズ全巻持ってる」
即答。
「たまごサンドの描写が好き。あと、謎解きも本格的」
いやいやいや待って。
先輩のイメージ、あたしの中で“詩集しか読まない系無口美少女”だったんだけど……。
「……読みたい?」
すっ、と本を差し出してくれる。
表紙の角がすり減っていて、読み込まれた愛が伝わってくる。
「……あれ。でもそれ、図書室の本ですよね。又貸しっていいんですか?」
「わたしの私物」
「……えっ!? こ、こちら……マイたまごサンド本……!!?」
あたしの手に、九条先輩の私物が。
この本、先輩の部屋にあったってこと!?
部屋の匂いがついてたりしないかな……!?
それをあたしが。
し、し、信じられない……!!
「……じゃ、じゃあっ! あたしの好きなやつも、貸しますねっ!!」
受け取りながら、ほぼ反射で言っていた。
先輩は小さく首をかしげて、あたしを見上げる。
「……いいの?」
「もちろんですっ! 明日、絶対持ってきますっ! でも先輩、今読んでいる本をお借りしてもいいんですか?」
「うん。何回も読んだから」
さらっと言って、髪を耳にかけた。
そして――ほんの少し、口元を緩めた。
「……飛鳥ちゃんのおすすめ、楽しみにしてる」
――今、なんて?
あの感情の読めない先輩が。
“楽しみにしてる”って……言った!?
「え、ええっ!? せ、先輩っ……!?!?」
「……そんなに驚かないで。ほんとに、楽しみにしてるから」
しかも……今も、確かに。
笑顔を――あたしに、向けてくれた……!!
(ちょ、え、あの、ちょ、えええええ……!?)
脳がショートした。
心臓が、ドカンと花火のように爆発した。
これは……今日一日、全力で走ったあたしへの。
世界一やさしい、サプライズボム……。
――もう、ダメだ。
し、し、し、ししし死ぬ――!!(※心臓が)
(わああああああああ!!!!)
恋の火薬庫に点火されましたぁぁぁっ。爆発五秒前、恋心大炎上中!!
これは……これは事件だ(恋的な意味で)!!
「……どうしたの? 表紙、ずっと見つめてる」
――どうやらあたしは、先輩から見ると。
マイたまごサンド本をじっと凝視する、謎の人になっていたらしい。
でも、問題はそこじゃない。
本当に大事なのは――。
(やばい、やばいやばいやばいっ。……あたし、本なんて全然読まない……っ!!)
どうしよう、……どうしよう!?
明日、何を持っていけばいいの~~~!?!?




