8話 期待の○○
「学友たちよ、九月までしばしの別れ。時間を共にできない悲しみを抱えながら、その悲しみすらも乗り越え、また一段と大きくなって再会しようじゃないか! はーっはっは」
俺と有原しか残っていない教室で、モチモチボディのオタク野郎は謎の演説をしている。
終業式が午前中に終わり、午後には下校。部活やら家やらで、他のクラスメイトは帰宅していった。俺たちが残っているのは、バスの時間が合わなかったからだ。
「あいつなに?」
「いつものことでしょ」
俺と有原は前後の机に座って、これから覚えるべき料理について相談している。
「夏希は甘い味付けが好きだから、鯖の味噌煮とかいいと思うんだ」
「いいんじゃない」
「あとはオムライスと卵焼きの練習だな。……卵はすぐ破れるから嫌いだ」
「ちゃんと油敷いてる?」
「いつ?」
「卵焼きもオムライスも、油敷かないとフライパンにくっつくでしょ」
「あー。そうなんだ。卵はすぐ火が通るからいらないと思ってた」
「アホだ……」
有原は額を押さえてため息を吐き、呆れたように言う。
「ほんと、私がいてよかったね」
「助かってる」
否定できるはずがない。有原がいなかったら、今も俺と夏希は弁当生活だっただろう。日替わり弁当のバリエーションも有限。夏希にだって飽きが来る。
有原は頬杖をついて、俺のことをじーっと見ている。
「ロリコン」
「やっぱお前に感謝することねえわ」
ちょっと好印象だと思ったらこれだ。やっぱ人間関係ってだめだね。
「はぁ? こっちは本当のことを言っただけでしょ」
「誰がロリコンだ。恋情と庇護欲の違いもわからない変態め」
「へ、変態っ⁉ 私が変態だって言いたいの?」
「うん」
「はあぁ⁉」
図星だと人は怒るって言うし、たぶん本当に変態なんだろうなぁ。と思ったが、モチ太に「おいキモオタ」と呼びかけても「やあやあ結斗氏」と返されるだけだ。あいつは肝が据わり過ぎてる。
「まあまあ冬花氏落ち着いて」
「なにモチ太。邪魔なんだけど」
「二人に紹介したい人がいるのさ」
「二次元の?」
「はっはっは。僕もそこまで落ちぶれちゃいないのさ」
さっきまで虚空に演説していた人間がなにを言っているんだろう。
だが、今回は実在の人間らしい。
モチ太が手で示した先――教室の入り口には、ピンと背筋を伸ばした少女が立っている。ショートカットで綺麗に焼けた褐色の肌。今にも走り出しそうなあたり、どこか夏希に雰囲気が似ている。
少女は軽快な足取りでモチ太の横に立つと、ハキハキと口を動かす。
「一年二組所属! 松川空良。ソララって呼んでもらえたら光栄っす!」
「ソララ氏は僕の後輩なのさ。夏希ちゃんの話をしたら、会いたいって言うから。いいかな、結斗氏」
ソララと呼ばれた少女は、体を俺に向けると自己アピール。
「自分、周りの人から『子供みたいだね』って言われるっす!」
「それは褒め言葉ではないのでは……?」
「かけっこ速いっすよ!」
「小学生相手にはよさそうだけども」
俺にアピールしてどうする。
「ど、どうしてもダメって言うんすか……」
「一度たりともダメとは言ってないんだけど」
なんで俺が断りまくってる前提なんだよ。
「いいっすか⁉」
「いいよ。俺に断る権利とかないし」
「よかったぁー。モチさんからは腹踊りぐらいしないとオッケー出ないって聞いてたっすから」
どんな話を聞いてたんだよ。でもってなんで腹踊りしたらオッケーになると思ったんだよ。
「無駄骨っしたか」
ソララはぶつぶつ呟きながら、シャツの内側を覗いている。
「描いてきたの?」
「はい。見るっすか?」
「見ない見ない!」
「そっすかー。残念っす!」
さっと視線を逸らす。危ないところだった。
初対面の後輩女子の腹なんか見てみろ。有原からどんな呼ばれ方をするかわからない。なまじ一歳差だから、普通に犯罪者だ。
「……すごい子ね」
「モチ太のやつ、とんでもない爆弾連れてきたな」
戦々恐々とする有原と俺。さっきまでの喧嘩は停戦だ。こっちで仲間割れしてたら、モチモチと元気っ子に粉砕されてしまう。
「どゅ、ドュフ……ソララ氏、僕は見ても構わないよ」
「モチさんにだけは見せねーっすよ」
と思ったが、向こうも一枚岩ではないらしい。モチ太が普通にセクハラして、普通に断られてた。なんで俺はオッケーでモチ太はダメなんだよ。
そんなにして夏希と会いたい……もしやロリコンか?
有原と目が合った。どうやら彼女も同じことを考えていたらしい。
「期待のロリコンね」
「ロリコンに期待すんな」
有原も大概、変なやつだよなと思う。