5話 ちゃんとした料理
スーパーでの俺は、ママに連れて行かれる子供のごとくなにもしなかった。カートを押して、有原が食材を入れていく様子を眺めるだけ。俺にやらせたらなにも決まらないと、彼女もわかっているのだろう。本当にその通りなのでありがたい。
帰り道は俺が十キロの米を、有原がマイバッグに詰めた肉や野菜を持った。調味料もいくつか買った。
「ただいまー」
「おかえりなさい」
家に入ると、夏希が駆けつけて出迎えてくれる。モチ太は居間で座ったまま「やあやあ」と手を振ってくるだけだ。この家の主みたいな顔してやがる。
俺と有原が買ってきたものを見て、夏希は激しく瞬きした。
「ユイくん料理するの⁉」
「有原が教えてくれるって言うから、ちょっとね」
ぱあっと笑みを咲かせて、夏希は背筋を伸ばすと有原に一礼。
「お姉ちゃん、ユイくんをよろしくお願いします。……えっと、二日漬けですが」
俺は漬物なのか?
「それを言うならふつつか者ね。っていうか、そこまでお願いされる気はないし」
夏希の頭を撫でながら、なぜか俺を睨んでくる有原。
「俺はなにも言ってない」
「保護者でしょ」
だからって怒るのは違うと思うんですが。なんて思う俺の横を通って、有原はさっそく手を洗って包丁とまな板を取り出す。
「はい保護者、野菜切って」
「ナツもやりたいなー」
「夏希ちゃんはまた今度ね。今日はこのダメ人間の相手で忙しいから」
「流れるように俺をダメ人間扱いするなよ」
「違うの?」
「正しければなにを言ってもいいというわけじゃない」
「ダメ人間ではあるんだ」
「それは否定しない」
友達を増やそうと努力するわけでもなく、部活に入らず、趣味もなく、無気力に日々を過ごすだけの存在。それが俺だ。自分でもびっくりするくらいダメ人間じゃん。
「そういうことらしいから、夏希はモチ太と遊んでてくれ」
「はーい」
夏希は素直な子だ。お願いすればちゃんと聞いてくれる。
モチ太のところに戻ると、二人でテレビを見始めた。後ろ姿を見ていると、モチ太は完全におじさんだ。学生服とは思えない貫禄が滲んでいる。
「ところで、今日はなにを作るんだ?」
「豚汁」
「難しそうだな」
「簡単」
あっさりと言い切って、有原は米袋にハサミを入れる。
「お米は私が炊くから。野菜切って、肉と一緒に鍋で炒めて」
「了解」
有原がまな板の前に並べた野菜。これを切れということなのだろう。
料理はしないが、これでも家庭科の授業はちゃんとやっていた。知識がなにもないわけではない。
「夏希ちゃんが食べるんだから、小さめに切りなよ」
「確かに」
家庭科の授業だけじゃダメだよねやっぱり。経験って大切だ。
皮を剥いて切る。その繰り返しを黙々とやる。こういう無心でできる作業は嫌いじゃない。なにも考えないでいいから、楽だ。
タマネギ、ニンジン、里芋――その途中で、ストップがかかった。
「遅い」
とっくの昔に米のセットを終えた有原は、横で見ていたが痺れを切らしたようだ。どくように手で合図すると、俺の代わりに包丁を持つ。
「物部は見てて」
「了解」
我が家にはピーラーが無い。だから里芋の皮むきに苦戦していたのだが、有原はそれを一瞬で終わらせてしまった。そのままゴボウも皮を剥くと、あっという間に切るところまで終わらせてしまう。
「はっや」
「昔からやってるから。これくらい当然」
「家の手伝い?」
「そんな感じ。でも偉いって言わないで。そういうのじゃないから」
少しも得意げではなさそうに、有原は淡々と料理を進めていく。鍋に油を敷いて、野菜と肉を投入して炒める。火が通ったら水を入れて煮込む。最後に顆粒出汁と味噌で味付けをしたら完成。
湯気の立つ鍋からは、食欲をそそる匂いがしている。
「うん。できた」
「すげえ……。俺、途中からなんもしてないけど」
「あっ」
ピシッと固まる有原。どうやら、当初の目的は忘れてしまっていたらしい。
少女は顔を赤らめて、必死に言い訳する。
「で、でも、今日は見学の日だから」
面白くてじーっと見ていたら、有原は耐えかねて肩を叩いてきた。
「もうっ! 自分でやるって言わない物部が悪いんでしょ」
「それは一理ある」
教えてもらう身でありながら「やってくれて楽だなー」とか考えてた俺。本当にダメ人間じゃないか。
そんなやり取りをしていたら、居間で遊んでいた二人がやってきた。
「できた?」
「おおっ、冬花氏の手料理!」
「夏希ちゃん、いっぱい食べてね。モチ太はもう帰る時間でしょ」
有原に言われて、モチ太はスマホを見る。
「おおっと確かに。では結斗氏、僕はそろそろお暇させていただく」
「私も家で晩ご飯があるから」
「二人とも帰っちゃうの?」
夏希は寂しそうにモチ太のシャツの裾を掴む。
「すまない夏希氏。僕はこれから、世界を救うためにアンデッド・ナイト・クローラーとして活動しなければならないんだ。だけど必ず、三度の聖戦の後に遊びに来るから安心して待っていてほしいのさ」
「うん。また来てね!」
意味不明な長文を並べるモチ太に、夏希は一瞬で返す。あの子、天才かもしれない。
俺はさっぱり意味がわからなかった。オタク的なことだとは思う。
「では結斗氏、ヴァルハラで会おう!」
「明日の朝、バス停でな」
大層に手を振って、モチ太が出ていく。
その後に続いて、帰る準備をした有原が靴を履く。
「お姉ちゃんもまた来てね」
「うん。……ちゃんと料理してるか、チェックしに来るから」
「うっす」
主に俺の監視が目的らしい。まあ、夏希が喜ぶからいいか。
「お邪魔しました」
有原が出ていった。ワンルームの部屋は、また俺と夏希の二人だけになる。
元が一人用の家だ。二人で暮らしているだけで、手狭に感じていた。なのに不思議と今は、この家が広く感じる。
……モチ太、デカいからな。
米と豚汁。この二つが並んでいるだけで、いつもより食卓は豪華に見えた。
「ねえねえユイくん。この豚汁、すっっっっっっごく美味しいね!」
「そうだな」
有原が作った豚汁を、夏希は心底美味しそうに食べた。
少しだけ、悔しいと思った。