4話 なに食べてるの?
モチ太が言うには、有原冬花は男嫌いで有名らしい。
「正確にはもっと別の言葉を使った方がいい気がするがね。冬花氏が男と仲良くしている姿は、誰も知らないのさ」
「まあ、想像はできないよな」
なにせ俺とのファーストコンタクトが、さっきのロリコン誘拐犯事件だ。なんというか、全体的に男への信頼度が低いのだろう。
「だから結斗氏も、あまり気を落とさないでくれたまえ」
「落としてないよ。愛想が無いから、誤解されるのは慣れてる」
「そういうネガティブな開き直り、僕は嫌いじゃないのさ」
転校してきて、教室の隅でじっとしているやつがいたら不気味だろう。俺だってそんなやついたら引く。
たとえば俺が犯罪者として報道されたら、インタビューでは「ああ……あいつですか。まあ、いつかやると思ってました」って言われるに違いない。愛想が悪いって、それくらい損なことだ。
「それにしても、有原って子供好きなんだ」
コンビニで買ったお菓子とジュースを持って歩く俺とモチ太。その少し前を、夏希と有原は並んで歩いていた。手も繋いで、すっかり姉妹みたいに仲良しだ。
教室では険しい顔ばかりの有原も、ふわっとした笑みを浮かべている。
「夏希氏の笑顔を向けられて、トゲトゲしていられる人間はいないってことさ」
「そりゃそうか」
一緒に暮らしている身として、あの笑顔の破壊力は理解している。
朝早くに起こされても許してしまうのは、彼女が振りまく可愛さによるところが大きい。
そんな夏希の、有原との会話に耳を澄ましてみる。
「お姉ちゃんって、ユイくんとモッチーの友達なんでしょ」
「えっ……」
ちょうど夏希がとんでもないことを言ったタイミングだった。有原の顔が、離れていてもわかるくらい強張る。
「ど、どうしてそう思ったの?」
「だって仲良しだもん」
「な、なか……仲良し⁉」
肩を震わせて、言葉を噛みながら有原が答える。夏希は小首を傾げた。
「違うの?」
「……そ、そうよ。仲良しよ。実は私、物部とモチ太の友達なの」
「だと思った!」
大喜びの夏希に、有原は「あはは……」と中身の無い笑顔を返す。本当に苦しそうだ。ドンマイ。
「夏希氏は偉大なり」
「違いない」
あんだけ尖ってた有原が、俺のいないところで勝手に友達になってしまった。
アパートに着くと、有原は大人しく中に入ってきた。
「こんな狭い家に住ませるなんて酷い」
的なことを言われるかと思ったが、そんなことはなく。むしろ、
「意外と片付いてるじゃない」
と高評価だ。
モチ太はふむふむ頷きながら、あちこち眺めるとやがて真剣な顔で近づいてきた。
「もしや結斗氏、本当にオタクではないのでは?」
「だからそう言ってるだろ」
「なんと⁉ 教室の隅にいる陰キャは全員オタクとばかり!」
「偏見強すぎだろ」
モチ太的には、俺の部屋にはポスターが貼ってあったり、フィギュアがあるものだと思っていたらしい。
残念ながらこの部屋、びっくりするほど無機質だ。
教科書の入った本棚、ちゃぶ台とテレビ、布団。押し入れには俺と夏希の服が入っているが、それだけだ。ゲームもないし、流行のサブスクとも無縁。暇つぶしの方法は、テレビか天井の染みを数えること。
「物部ってオタクじゃないんだ……」
「ついでにロリコンでもないぞ」
「それはまだわからない」
友達にはなってくれたのに、ロリコンかは疑っているらしい。なるほど、有原はロリコンとも友達になれる懐の深さがある。ということか。
高校生三人で話している間、夏希は手洗いうがいをしてせっせと動き回っていた。洗面所から出てくると、
「皆も手洗いうがいしてね」
と言って、居間においたレジ袋に駆け寄る。お菓子とジュースがよほど嬉しいらしい。ポテトチップスの袋を出すと、俺に見せてくる。
「ナツね、この味好きなの」
「のりしおか。いいね」
モチ太と有原に手洗いソープとタオルの場所を教え、俺はジュースを紙コップに注ぐ。二リットルのペットボトルは、まだ夏希には少し大きい。
とりあえず、お菓子とジュースがあるだけでいい感じだ。殺風景だった部屋も、コップが四つ並ぶと賑やかに見える。
だが、普段から二人で生活しているこの部屋には座布団が二つしかない。考え込んでいると、察したようにモチ太が座布団を避ける。
「結斗氏。僕は畳で構わないのさ。なんたって、肉のクッションがあるからね」
尻を手で叩くと、ぽよんと柔らかそうに揺れる。なるほど確かに、あれなら痛くないだろう。
「お姉ちゃんは座って」
「ううん。夏希ちゃんが座って」
「いいから! あのね、ナツいいこと思いついたの。ユイくんも座布団に座って」
俺は知っている。小学生の言う「いいこと思いついた」は、絶対に信用してはいけない。だが同時に、アイデアを否定すると大いに夏希が悲しむことも知っている。
悲しませるくらいなら、大人しく言うことを聞いたほうがいい。
俺が座布団に座ると、遠慮がちに有原もそうする。それを確認して、夏希は満足げに頷いた。
そして、
「ナツはここに座るの」
あぐらをかいた俺の脚の、ちょうど真ん中に収まった。
これで解決! みたいな顔をして、俺と有原、モチ太の顔を順繰りに見る夏希。
「……あの、夏希さん」
「んー」
「俺が有原に怒られちゃう」
ちゃぶ台の一つ右に腰掛けた有原は、目を見開いて固まっていた。
「つ、つ、通報しなきゃ……警察呼ばなきゃ……」
「結斗氏のその状況は万死に値する。冬花氏、FBIを呼びたまえ」
なんか知らんけどモチ太の逆鱗にも触れたらしい。いつもはモチモチ笑顔なのに、今は不動明王みたいな顔をしている。
どうすればこの状況を――そうだ。
「夏希! 有原の膝に行け!」
「えっ⁉」
突然自分がターゲットにされ、正気に戻る有原。左右を確認して、改めて自分を指さして、「私?」と首を傾げる。
夏希は首を傾げて、
「お姉ちゃん、いいの?」
「……うん。いいよ。おいで」
「やったー」
立ち上がって移動して、今度は有原の膝に座る夏希。有原は嬉しそうに、だらしない笑みを浮かべている。
「このロリコンめ」
「だ、誰がロリコンよ!」
散々人のことを言っているくせに、実は自分がそうでしたってオチじゃないか。
モチ太の怒りも収まっていて、安堵のため息を漏らす。
「ユイくん、もうお菓子食べていい?」
「ああ、いいよ」
高校生たちのアホなやり取りに待ちくたびれ、夏希がポテトチップスに手を伸ばす。俺たちも反省して大人しくすべきだろう。
俺もお菓子とジュースに手を伸ばして、口を閉じる。俺が黙っていても、夏希がずっと話しているから安心だ。聞き上手のモチ太もいるし、有原は今日会ったばかりなので聞きたいことがたくさんあるだろう。
時刻が五時を回ったのを確認して、立ち上がる。
「まだ帰らなくていいなら、夏希を見ててほしいんだけど」
「僕は構わないぞ」
「私もいいけど。どこか行くの?」
「晩ご飯買ってくる」
答えると、有原が重ねて聞いてくる。
「いつもなにを食べてるの?」
「スーパーの弁当」
夕方以降の安売りを狙って買ってきて、レンジで温めて食べる。あんまり遅い時間だと、売り切れてしまうので注意が必要だ。
「毎日?」
「日替わり弁当だから、同じのじゃないぞ」
「そういうことじゃなくて、自炊はしないのって聞いてるんだけど」
「しないな」
「それでいいと思ってるわけ?」
「……いや」
いいと思っているわけではない。毎日代わり映えない弁当の繰り返しで、朝も食パンだけ。もっといろいろ工夫した方がいいのはわかる。でも、どうすればいいかわからない。自分で料理するより、まだ出来合いのものを買った方がマシじゃないかと思う。
有原が立ち上がる。
「ああもう、モチ太。夏希ちゃんをお願い。ほら物部、買い物行くよ」
俺の返事も待たず歩きだすと、有原は台所の設備を確認する。炊飯器や鍋、フライパンなど基本的なものは揃っている。だが、どれもほとんど新品のまま使っていない。一通り見終わったら、靴を履いて外に出てしまった。
立ち尽くす俺に、モチ太が声を掛けてくる。
「結斗氏。ここは僕に任せて先に行け」
「……なんなんだよ、あれ」
「冬花氏は昔からああなのさ。悪い人じゃないけど、愛想がないから誤解されやすいんだよね。あれ、これってどっかの結斗氏と似てね?」
「うるせーな」
ため息をついて、有原の後を追う。
悪意が無いのは俺だってわかる。だけど、どうしてそんなに気にするのか。それが不可解だ。俺も夏希も、彼女にとってはただの他人。放っておけばいいのに。
靴を履いて、外に出る。
七月終わりの五時半は、まだ空の大部分が青い。山の向こうがじんわりとオレンジに滲むだけで、街灯も点かない明るさだ。
この近くのスーパーは一つしかないから、有原は迷わずに歩く。その左側を、一歩遅れて着いていく。
ひぐらしの鳴き声。まばらな車。自転車を漕ぐ子供。
「迷惑なやつだって思ってるでしょ」
前を歩いていた有原が、振り返らずに言う。
俺が返事をできずにいると、彼女は自嘲気味に笑った。歩いていると髪が揺れて、横顔が見える。なにか苦い物を噛みつぶしたような、曖昧な表情。
「私は家に帰ればご飯が出てきて、世話してくれる人がいる。だから物部にこんなこと言うのは、卑怯だよね。一人で暮らしたこともないくせに」
「有原は、その、なんというか」
「なに? はっきり言って」
「……家が嫌いなのか」
一拍の静寂を置いて、少女は小さく吹きだした。
「ううん。そういうのじゃない」
「そっか」
「でも、ちょっと息苦しくはあるかな」
「嫌いじゃん」
「嫌いじゃない」
あっさりと否定して、有原は空を見上げる。どうやって表現すればいいか、悩んでいるようだ。しかし彼女は、すぐに首を横に振る。答えは見つからなかったらしい。
「そういうこともあるの」
「ふうん」
納得しろとのことなので、頷いておく。
なにも理解してはいない。けれど、有原が考えてくれているのはわかった。自分のことを卑怯だと言う人はきっと、誠実であろうと努力している人だ。
だから俺も、ちょっとは信用してみようと思った。
「このままじゃダメだってのは、分かってるんだ。夏希のためにならないから、なんとかしたいとは思ってる」
料理もせず、安売りの弁当を毎日食べるだけ。夏希はそれでも美味しいと言ってくれるけど、心は痛む。一人ならまだしも、彼女はまだ小学生だ。
でも、どうすればいいかわからないから。
「手伝ってあげる」
有原がそう言ってくれたのが、心強かった。