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36話 ビターキスと消失

 楽しくて忙しない時間はあっという間に過ぎていく。夏希が行きたいというアトラクション全てに同行し、適切なタイミングで休憩時間を設ける。普段から引きこもりの俺が、かつてないレベルの人混みに揉まれながら気を配るのは至難の業だった。


 モチ太は途中からフードコートを食い尽くす怪獣と化し、ソララはそれを応援するマネージャーに。有原は俺と一緒に夏希の面倒を見てくれたり、一歩引いて見守っていたり。


 日が傾く頃には、すっかり全員くたくたになっていた。


「……疲れた。もう動けない」

「ナツ……飛んでるカニさんに乗りたいの……」


 俺と夏希はアトラクション制覇を達成し、ベンチでぐったり肩を寄せ合う。夏希は半分ほど眠っていて、うとうとしながらメルヘンなことを呟いている。


 モチ太とソララは、締めのアイスを食べながら俺たちの近くにいる。


「結斗氏、今日はお楽しみだったようだね」

「なんでいちいち言い方がキモいんだよ」


「いやはやなんのことやら。僕には一切合切なんのことかわからないのさ」


 エロ狸は大きく膨れた腹をぽんと叩くと、満足げに口角を持ち上げた。

 その横でチョコソフトを食べていたソララが、若干申し訳なさそうに頭を下げた。


「ほんとは隠れてついていく予定だったっすけど。ご一緒しちゃって申し訳なかったっす」

「そもそもなんで尾行しようとしてたんだよ」


「え、それはモチさんが『結斗氏の二刀流デートを、僕らが邪魔するわけにはいかないだろう』と言っていたっすから」

「モチ太ァ!」


 どうせそんなことだろうとは思ったが、本当にこいつはろくでもない。いい加減にロリとJKと一緒にいることを二刀流と呼ぶのをやめろ。宮本武蔵とかに失礼だから。


「わっはっは。結斗氏の早起きによって失敗に終わってしまったがね」

「はぁ……。余計な気遣いしやがって」


 俺が不安でついてくるなら、そうと言ってくれればいいのに。こっそりやろうとするあたり、謙虚というかなんというか。


「でも、二人がいてよかったよ。ありがとな」


 夏希の頭をそっと撫でてやる。額の汗で、前髪がぺったりしている。そろそろ散髪に行った方が良さそうだ。女の子の散髪って、どこでお願いしたらいいんだろう。俺みたいに千円ちょっとで済ませるわけにはいかないだろうし。後で有原に聞いてみよう。


「もう、大丈夫なのかい?」


 モチ太が尋ねてくる。俺のメンタルのことだろう。


「大丈夫とは言い切れないけど、俺は夏希を信じるよ。ここにいるって言ってくれたから」

「あたしもまだ、師匠から学ぶことがたくさんあるっすから。いてくれなきゃ困るっす」


 トイレに行っていた有原が戻ってくる。小走りの姿が見えたので、俺たちはそこで話題を止めた。隠し事をするのは、仲間はずれにしているようでいい気分じゃない。


 有原は一直線に進んでくる。


「おやおや」


 呟きながらモチ太が引くと、入れ替わるように俺の前に立つ水色のワンピース。朝よりもくたっとしているが、彼女の瞳にはまだ力がある。


 有原は俺に向かって、真っ直ぐに右手を差しだしてきた。その頬は赤くて、きゅっと結んだ口は開きそうで開かない。


 その意味を察せないほど、俺も鈍くない。隣の夏希は相変わらずうとうとしている。


「モチ太、ソララ。夏希を任せてもいいか?」

「合点」


「……師匠は死守するっっす!」


 モチ太は知っていたというふうに頷いて、ソララはやや驚いた顔で背筋を伸ばした。


 立ち上がって、有原の手を取る。お化け屋敷で繋いだのとは違う。怖いからじゃなく、ただそうしたいから繋ぐだけ。照れ隠しの材料なんてなくて、最初の一言を発するのだって勇気が必要だった。


「なに乗る?」

「観覧車」


 それだけ交わして、俺たちは列に並んだ。


 夕暮れの観覧車。そんなロマンチックな場所に、自分が行くことになるとは思わなかった。現実感がないまま、進んでいく列。ふわふわした気分のまま、案内されたゴンドラに乗り込む。ドアが閉まった。


 閉ざされた空間は、もうお互いの声しか聞こえない。


「あのさ有原。……ごめん。今日はずっと夏希につきっきりで。俺から誘ったのに」

「仕方がないでしょ。物部にとっての一番は夏希ちゃんなんだから」


 下を見ていた有原が、視線をこっちに向ける。


「隣行ってもいい?」

「もちろん」


 右側に詰める。有原は左側に座って、合図もなしに俺たちは手を重ねた。恥ずかしくて、逃げるように外を見る。左肩に重さが加わった。それは有原の重さだった。腕同士が触れあって、肌がくすぐったい。近くにある頭からは甘い匂いがした。


 ゴンドラはゆっくりと上昇していく。


「一目惚れだって言ったら、信じてくれる?」


 有原は目を閉じていた。眠るように穏やかな顔で、そっと聞いてくる。


「一目惚れって、俺に? そんなことあるのかよ」

「おかしいよね」


「おかしいは言い過ぎだ。傷つくって」


 イケメンだとは言い切れないけど、そこまで悪くはないはずだ。転校生ボーナスが乗ればワンチャンないとは言い切れない。有原に一目惚れされるレベルとは、到底思えないけれど。


「あははっ。ごめんって。でも本当に不思議。だって格好いいって思ったわけじゃないから」

「有原さん。そこは嘘でも格好よかったって言ってもいいんだよ」


 男子の心は繊細なんだ。優しくしてくれないとトラウマになる。


「格好いいとは思わなかったけど……」

「二回言うほど大事か?」


「優しそうだなって思ったの。この人はきっと、すごく優しい人なんだろうなって思った」


 繋いだ手が、触れた肌の温度が、甘く溶けていく彼女の声が、嘘ではないと教えてくれる。

 他のアトラクションの高さを追い越して、夕陽が直接差し込んでくる。逆光で有原の表情は見えない。


「……ううん。嘘。すっごく格好いいと思った」


 俺は彼女の、どんなところが好きなのだろう。理由を挙げればいくらでもあるのに、簡単な言葉にはなってくれない。


「物部の一番は、これからもずっと夏希ちゃんなのかな」

「それは……」


 夏希とずっと一緒にいる。それはすなわち、ずっと夏希を一番にするということだ。

 有原が一番になることはない、ということ。


 頭の隅にはあった。けれど見ないフリをしていた。家族と恋のどちらかを選ばなければならない。今は夏希を一番にしていて、それでもいいと言ってくれているけれど。甘えているだけだ。


 どちらも、なんてない。どちらかだ。

 そんなこと、誰よりも俺が知っていたはずなのに。


「好きな人の一番になれないことが、こんなに辛いなんて思わなかった」


 オレンジの光に照らされて、きらりと一粒の滴が光る。


 ゴンドラが頂点に達した。なにもかも見渡せるその場所で、視界に映っているのは彼女一人だった。重なったのは一瞬で、すぐに有原は離れていった。涙をふいて、なんでもないと微笑んで首を振った。


 唇には、少しだけ苦い感触が残る。


 大切なものを守ると決めて、ずっと一緒にいてくれるかもしれないと希望を持って。好きな人に、好いてもらえて。こんなに近くにいるのに。こんなに愛しく思うのに。


「夏希のことは、どうしようもないんだ。でも俺は、」


 なにも届かない。こんな言葉に意味はないと、彼女の目が言っていた。俺の心が知っていた。

 大切な人を大切にしたい。大切な人に大切にされたい。ただそれだけの、簡単なことなのに。


「俺は、有原のことが」


 ジェットコースターに夕陽が重なって、ゴンドラの中に闇が落ちる。


 手の平から柔らかな感触が消えた。絡んでいた腕の温度がわからなくなる。息づかいが聞こえない。光が見えない。

 泡に飲まれるように、目の前にいる少女が消えていく。


 永遠に思える闇を抜けたとき、ゴンドラの角度は一度も変わっていなかったし、そこに有原はいなかった。


 俺の左には、人一人分の空白だけがあった。


「有原……?」


 まるでそれが当たり前かのように。

 有原冬花なんて、最初からそこにいなかったみたいな顔をして。

 世界はゆっくりと、回転を続ける。

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くぅ… こんな所で止まってるのか…
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