35話 夏、終わる。君が隣に。
お盆休み最後の遊園地は、予想通り大混雑だった。開園前から出来た列に並んで、一日乗り放題のチケットを買う。ゲートをくぐると、そこに広がるのは巨大なアトラクションの群れ。非日常を奏でる園内放送と、人々の話し声。
「ユイくんユイくん。みてみて、すっごく大きな観覧車!」
「でっかぁ!」
ゆっくりと回転するゴンドラが向かうのは、首が痛くなりそうな程高い場所。
ゴウッと音を立てて、ジェットコースターが走り抜けた。盛大な悲鳴が園内に響き渡る。夏希の注意はそちらへ引きつけられる。
「あれから乗りたい!」
「よし、並ぼっか。ジェットコースター乗る人は?」
「はいはいはいっ! やっぱり最初はジェットコースター派っす!」
「僕は遠慮しておくのさ」
「じゃあ、私も乗ろっかな」
モチ太が挙手して一歩下がる。ということは四人だから、ちょうど二人ずつで座れそうだ。
俺と夏希のペアは、基本的に崩れることはないだろう。特に今日は、迷子になる危険もある。保護者として目を離すわけにはいかない。
遊園地の目玉だけあって、ジェットコースターは人気だ。長い列の中で熱中症にならないよう、気を配らないといけない。
「夏希、これ首に巻いておいて。喉が渇く前にちゃんと水筒飲むんだよ」
「はーい」
濡れたタオルを渡して、首元を冷やしておく。水筒の中にはスポーツドリンク。リュックの中には、凍らせたペットボトルも何本か入っている。いざというときのために、冷房の効いている場所も確認済みだ。
「後ろ二人も無理しないようにな。水分補給と休憩を適宜取るように」
「ちゃんと日焼け止めは塗ってる?」
「もちろん。夏希が日焼けしたら大変だからな」
「物部は塗ってるの?」
「いや、俺は肌強いし……」
「はぁ。そんなとこだろうと思った」
呆れで肩を落とす有原が、バッグから小さなボトルを取り出す。
「はい。塗って」
「俺はいいよ。別に困ってないし」
「結斗さん。日焼け止めはガチで塗っといた方がいいっすよ」
「え、ソララもそっち側?」
褐色の肌を自慢げに指さして、少女はにかっと笑った。白い歯が眩しい。こいつ、全身健康人間か。
「もちろんっす。運動で筋肉は育っても、肌はそういうわけにはいかないっすから」
「そうだったのか……。てっきり、生まれつきかと」
「スキンケアも可愛いを目指すトレーニングの一環っすから」
そういやこいつ、可愛いを追求した結果ここにいるんだっけ。夏希のことを師匠と呼んでいるのも、それが理由だったよな。脳筋のイメージが強すぎて、すっかり忘れていた。
俺が押されたところに、もう一度有原がプッシュしてくる。
「ベタつかないやつだから。ほら」
「……はい」
「ユイくん嫌そう」
「子供じゃないんだから」
夏希に言われるほどとは、よっぽど嫌そうな顔をしているのだろう。だが、ここで断ったら夏希に示しがつかない。さっと手と顔に塗って終わりにする。
「うん。ありがとう」
これでいいだろう。満足して返したら、有原は首を左右に振った。なんでだ。
「首が塗れてない」
細い指が伸びてきて、ぴとっと俺の肌に触れる。
「つめたあっ!」
「あ、ごめん。保冷剤触ってからだったから」
「それは意図的では⁉」
悪戯っぽく有原と俺のやりとりに、けらけら笑ったのは夏希だった。
「うふふふ。お姉ちゃんとユイくん、仲良しだね」
手で口元を隠して、嬉しそうに俺たちを見上げてくる。そんな顔をされてしまっては、これ以上言い合いをする気も失せるというもので。おとなしく俺は引き下がることにした。
「ね、物部」
「そうだよ。俺たちは仲良しなんだ」
そういえば、有原と初めて会ったときもこんな感じだったっけ。夏希が友達なんでしょと言ったから、有原は俺と友達になった。予言のような、魔法のような。夏希の言葉は、不思議な成分でできている。誰かを笑顔にする、特別なレシピを彼女は知っている。
ソララは一人、目をぱちくりさせて固まっていた。俺と有原を交互に見てから、首をこてっと傾けた。
「やっぱりお二人、ラブい関係だったんすか?」
「「違う!」」
声が揃ってしまったのが、余計に疑われる原因になった。っていうかラブいって言い方やめろよ。生々しくてなんか嫌だ。
ジェットコースターで学んだこと。女子の悲鳴はでかい。
俺が落ちる瞬間に「うっ」と一瞬だけ呻いたのに対して、夏希たちは「きゃーーーーー」と三十秒くらい叫んでいた。そんだけ叫んでいたくせに、下りたら「楽しかった!」と目を輝かせるあたり、俺とは感性が違うらしい。
怖いのが楽しいってのが、イマイチ理解できない。生物の本能として間違っている。
だから本音を言えば、お化け屋敷ももちろん断りたいのだが。肝試しを全力で推してくるガールズだ。入らないわけがない。
「ユイくんユイくん、絶対にナツを置いていかないでね」
「ねえ物部、私一人じゃ歩けない」
「怖いの苦手なのかよ!」
「「怖いけど好きなの!」」
意味不明な理屈を訴える夏希と有原。仕方なく二人の手を繋ぐ。左手は夏希。右手は有原。両方から引っ張られるので、案山子くらい腕が開いている。ドキドキとかない。無。お化け屋敷に行きたくないという気持ちと、有原と手を繋ぐドキドキが対消滅した。
「やはり結斗氏は奇跡の二刀流」
「もうなんでもいいよ」
モチ太の言葉に反論する気も起きなかった。小学生と高校生。両手に花だが、思ってたのとはなんか違う。
モチ太はろくろ首に萌えるハードコアな変態なので、意気揚々とお化け屋敷に入っていった。ソララはモチ太の腕にしがみついていたが、恐ろしい棒読みだった。
「こわいっすー。きゃー。モチさん助けてー」
そんなテンションで怖がるやついねえよ。と心でツッコミながら、両手の花を引っ張る。こっちは逆にガチビビりだった。肝試しはいけても、あからさまに怖いタイプは無理らしい。
「ひっ、お人形……なんで首だけなの⁉」
「きゃーっ! ゾンビ! ゾンビが来てる!」
「走るな! 俺が千切れる!」
夏希と有原が別方向に走り出したときはまじで怖かった。物理的に。
疲弊したまま向かったのは、ゴーカート。夏希は身長が足りず運転できないので、俺がハンドルを握る。モチ太は座席が窮屈だという理由で不参加。乗れないものがけっこうあるらしい。
床がトランポリンになっているバルーンドームは、年齢制限で夏希だけが入っていった。一人では面白くなかったようで、すぐに出てくると残念そうに「お腹空いちゃった」と呟いた。
大混雑のフードコートになんとか席を見つけ、順番に買いに行く。夏希と同じものにしようと決めていた俺の昼食は、ハンバーガーになった。列に並んでいる最中も、はぐれないよう手を繋ぐ。
こんな人混みで見失ったら、見つけるのが大変だ。迷子センターに連れて行かれでもしたら……夏希が自分の苗字を知らないことに気がついてしまう。綻びは、できるだけ隠すと決めた。だからこの手は繋いだままだ。
「夏希。楽しい?」
「うん。すっごく楽しい! 遊園地って、すっごく面白いね」
「今日の絵日記が楽しみだ」
夏希に渡した絵日記は、もう半分を超えてしまった。夏が終わったら描かなくなるのだろうか。コメントをつけるのは日課になっていて、なくなると思うと少し寂しい。
「ジェットコースターはどうやって描くの?」
「うっ……難しいな」
あの複雑な骨組みを思い出しただけで拒否反応。適当に縦横の線を引いて、結果的に意味不明な絵ができあがるのは目に見えている。
夏希は眉間にしわを寄せて考え込む。そんな姿も可愛らしい。
「帰ったら一緒に考えよっか」
「うん!」
俺には無理だけど、一緒に頭を使うことはできる。夏希は天才だから、そうすれば最高のアイデアを思いついてくれるのだ。なんて思うのは親バカだろうか。けれど俺には、彼女の絵がどんな絵画より価値のあるものに感じる。
「あのね、ユイくん」
「どうしたの?」
夏希が軽く手を引く。彼女に声を掛けられると、それだけで胸が温かくなって、微笑みたくなる。魔法みたいに俺のことを優しい気持ちにしてくれる。
「ナツ、これからもずーっとユイくんと一緒にいるね」
「うん。そうしてよ」
「えへへ」
君が何者かなんてどうだっていい。俺が必要としているから、ここにいてほしいんだ。
ぎゅっと固く手を繋ぐ。心まで繋いだその絆が――
終わりの合図だったことを、そのときはまだ知らなかった。




