29話 君の隣に
電話がしたいとメッセージが届いたのは、夕食の片付けが終わった頃だった。二人で話したいと言われたので、夏希が寝た後に外に出た。とはいえ、まだ十時前だ。高校生からしたら、それほど遅い時間ではない。
何度かメッセージのやり取りをしてから、電話をかける。
「もしもし」
「ん。お疲れさま」
電話越しに聞こえる有原の声は、綿みたいに優しくて温かい。この声を聞きながら眠りたいと思うほど、心が安らぐ。
思えば今日は、忙しい一日だった。
あれから、モチ太とソララは二人でたくさんの話をしたらしい。モチ太がずっと隠していたこと。ソララがずっと想い続けていたこと。二人が積み上げてきたものは、少しだけズレていたけれど、お互いが大切なのは変わらないこと。
これからゆっくり、時間を掛けて愛を育んでいく。ソララがそう言っていた。モチ太は気まずそうに、けれど否定はしなかった。
俺はワガママを通した。その代償が体力なら、安いもんだ。
「大変だったでしょ」
「思ったよりずっとキツかったけど……なんとかしたよ」
「すごいね。物部は」
「有原ができるって言ったから、俺もできるって思えた。ありがとう」
「お礼を言われることなんてしてないけど。……でも、どういたしまして」
くすっと笑い声。それからイタズラっぽく尋ねてくる。
「ってことは、また私に貸し一つ?」
「やっぱさっきのナシで。有原に貸し作ると怖いからな」
「ちょっと。私が性格悪いみたいじゃん」
「有原は性格悪いだろ」
「はぁあ? そんなことないし。物部の方がずっと捻くれた変態でしょ。この間も恋人欲しいって興奮してたし」
「あれはお前がやれって言ったんだろ」
そういうところ、性格の悪さ滲んじゃってますよー。有原さーん。
あと、どさくさに紛れてロリコン・極になってたこと忘れてないからな。これからの進化がちょっと気になってんだこっちは。
「で、本当はどうなの?」
「なにが」
「恋人、いるの? いらないの?」
「……」
言葉に詰まったのは、考えてしまったから。なぜ有原はそんな質問をするのだろう。俺に、どんな答えを期待しているのだろう。
――いると答えたら、もしかしたら。
左手で胸を押さえる。喉まで出かかった言葉を呑み込んで、正しい答えを絞り出す。
「……いらない。今は夏希を一番にしたいから」
あの子は俺の家族だから。家族より大切なものはない。たとえ俺が、そう扱われなかったとしても。俺がそうじゃなかったぶん、あの子にはたくさんの愛情を注ぎたい。
「そっか。変なこと聞いてごめん」
「いや、俺の方こそ……ごめん」
自分がどうして謝られているのかも、謝っているのかもわからなかった。嘘をついているわけじゃない。傷つけたわけじゃない。それでもなにかが噛み合わないような、不自然さが胸に残る。
「有原はお盆、どうするんだ」
「私は……特になにも。いつも通りかな。ちょっとした宴会みたいなことはあるけど、従姉妹と仲がいいわけでもないし」
「じゃあ、夏希と三人で遊園地行くか?」
「いいの?」
「明日聞いてみる。夏希もその方が楽しいだろうし。お盆の最終日、暇だったら」
「うん。行きたい」
ソララとモチ太は……そんな時間があるなら、今は二人でいたいだろう。正直、上手くいったらいったで、どうやって接すればいいかわからないし。いつも通りでいいんだろうけど、片想い中のソララと両想いのソララではなにかが違う気がする。モチ太も然り。
「物部はお盆、どうするの?」
「遊園地以外は特になにも。夏希と遊んで、ちょっと手間のかかる料理でも作ろうかな」
「料理、ちゃんと続いてるね」
「な。それが一番びっくりだよ」
「最近は私に質問もしてこないし。ちゃんと独り立ちできて偉い」
「俺もプロ?」
「〝も”ってなによ。私はプロじゃないからね」
バカバカしくて、俺たちは笑った。有原に笑って欲しくて口にした冗談で、笑ってもらえる。同じときに、同じ理由で笑える。気持ちのいい時間だ。
「せっかくだし、おはぎでも作ってみたら?」
「いいなそれ。遊園地に持ってくか」
「遊園地におはぎって。あははっ。全然合わないけど、面白いからあり」
ツボに入ったようで、苦しそうに笑う。鼻をすすったのは、笑いすぎて涙が出たせいだろうか。さっきの、そこまでは面白くなかったよな。
「あーお腹痛い。変なこと言わないでよ」
「ツボりすぎだろ」
「だって物部が言うと、なんか面白いんだもん。しょうがないじゃん」
「俺の声ってそんなにおかしい?」
「そういうことじゃなくて! 物部と話すまでは、こんなに笑ったことなんてなかったから。自分でもわからないけど、とにかく、笑っちゃうっていうか……うん。以上!」
「なんも説明できてないじゃん」
とりあえず、俺の声がおかしくないってことはわかった。よかった。
有原はなにも返してこなかった。この件については、これ以上深掘りするつもりはないらしい。
少しの沈黙があって、有原が躊躇いがちに切り出す。
「ね、ねえ物部。迷惑だったら断ってくれていいんだけど……お盆休みの一日、じゃなくて半日、もなくていいから。ちょっとだけ時間をくれない?」
「いいよ」
「まだ理由も言ってないのに?」
「有原の頼み事なら、俺、断らないよ」
「――っ、ばか。急にそんなこと言わないでよ」
電話の向こうで、有原が照れたようにまくし立てる。
恥ずかしいことを言っているのはわかる。でも。
「断ったりしないから、迷惑だなんて思わないから。ただ言ってくれれば、俺はそれで十分だよ」
「……ありがと。じゃあ、言うね」
有原は息を吸った。そこから少し時間がかかったのは、すごく大切なことなんだからだと思う。だから俺も、受け止められるように準備する。
「お墓参り、付き合ってほしいの。ずっと行かなくちゃって思ってたんだけど……怖くて。でも、物部とだったら……。できる気がする、から」
「わかった。一緒に行こう」
有原冬花の支えになりたい。彼女が笑う理由になりたい。
今はまだ、一番にはできない。でも、彼女が特別なのは間違いない。




