28話 家族の約束
腫れた額に、氷を入れたレジ袋が押し当てられる。
「つめたっ」
「ユイくん、動いちゃだめ!」
真剣な顔で俺に顔を近づけ、脳まで氷漬けにしようとしてくるのは一緒に暮らす小学生の夏希。帰ってきてすぐに、俺の顔を見て大怪我だと思ったらしい。慌てて氷を袋に詰めて、今に至る。モチ太と喧嘩したとは言えず、バナナを踏んで転んだことにした。
「夏希……俺、自分でできるよ」
「ううん。ナツがやるの」
「でも、手が冷たいでしょ」
「冷たくないもん」
こうなったら意地でもやめない。夏希が頑固なのは知っているので、せめてやりやすいように横になる。座っていると、彼女の背丈では膝立ちにならざるをえない。俺の頭が低いほうが、負担も少ないはずだ。
おでこが冷たい。軽くキーンとしてきた。かき氷を一気食いしてるわけでもないのに。
「夏希は今日、なにして遊んだの?」
「今日はね、アキちゃんたちと鬼ごっこしたの」
「楽しかった?」
「うん。すっごく楽しかった。……でもね、明日からお盆で会えないんだって」
「そっか。もうそんな時期か」
夏休みの学生で、親戚との連絡が絶えている俺からしたら無縁の言葉だ。だが、世間では休暇のピーク。世の親は休みを取り、帰省や娯楽に勤しむ。
モチ太は老舗の息子だから、当然のように忙しくなるはずだ。ソララと有原はわからないけど、期待はしない方がいいだろう。
「せっかくだし、二人でどこか行こうか」
「ユイくんとお出かけ? する!」
「どこに行きたい? ちょっと遠くまで行ってもいいよ」
「じゃあね、遊園地がいいの」
「オッケー。ちょっと調べてみる」
スマホで検索すると、片道二時間とでてきた。しっかり遠い。だが、今の俺は毎朝六時に起きる健康優良児。ラジオ体操で鍛えられた生活リズムをもってすれば、このくらいの移動時間は大した問題じゃない。
「うん。行けそうだ。朝から行って、いっぱい遊ぼう」
「やった! ナツね、ジェットコースターと観覧車と、コーヒーカップと歩くパンダさんと、それからね……いっぱい乗りたいものがあるの」
「じゃあ乗り放題チケット買っちゃうか」
「乗り放題⁉」
夏希の目がキラキラと輝く。溶けてきた氷の袋を左手で押さえて、体を起こす。起き上がったところに、夏希が抱きついてきた。
「ユイくんと遊園地!」
「動けない動けない」
「ぎゅーっ」
今日は甘えたい日なのか、腕に力を込めて動かない。右手でそっと頭を撫でる。こうすると、夏希は満足してくれる気がする。当社比。
たっぷり時間を掛けて、夏希が離れる。
「おでこ、もう痛くない?」
「うん。夏希のおかげで良くなったよ。ありがとう」
時計を確認すると、もう六時だ。今からスーパーに行って、買い物をして……今日はもう、家にあるものでなんとかするか。朝から動きっぱなしだったから、疲労で倒れそうだ。ぱっと作れて、脂っこくないものがいい。
「今日はそうめんにしようかな」
「はいっ! ナツもお手伝いする!」
「よし。じゃあ鍋を混ぜてもらおうかな。麺がくっつかないようにする、一番大事な仕事だから」
「せきにんじゅーだい?」
「そう。責任重大。夏希にしか頼めない」
「頑張りますっ」
きゅっと拳を握って、踏み台代わりの段ボールを持ってくる。裏側を徹底的に補強しているので、軽くて丈夫な優れものである。
大きな鍋に水をたっぷり入れて、コンロの火にかける。沸騰したら麺の束を三つ入れるように言って、俺は薬味の準備にかかる。冷蔵庫からシソとトマト、キュウリを出してそれぞれ切っていく。
同じ場所に立って、一緒に料理を作る。食べるために。生きていくために。生きていくということを、二人でする。
夏希を見ていたら、彼女もこっちを見て微笑んだ。
「ユイくんとナツ、家族みたい」
「家族だよ」
同じ家にいて、一緒に生きている。朝起きて、夜寝るときに隣にいる。
夏希がいて、俺がいて。はじめてここが、誰かの帰って来る場所になった。
「親じゃなくても、兄弟じゃなくても。夏希は俺の大切な家族だよ」
「ナツ、ユイくんの家族なの……?」
「そうだよ」
じんわりと夏希の両目に涙が溜まっていた。
手を伸ばして、静かにコンロの火を消す。沸騰した鍋は静かになった。夏希の手から、菜箸を受け取る。いつでもこの子を抱きしめられるように。
「じゃあ……じゃあ、ナツはずっとここにいてもいいの?」
「いいよ。だってここは、夏希の家なんだから」
夏希が踏み台から下りる。静かに抱きしめて、背中を撫でてやる。
そうか。この子はずっと、不安だったんだ。俺と一緒にいても、俺が家族じゃないと思っていたから。いつかは家族のところに帰るのだと、それが当たり前だったから。
「これから先どんなことがあっても、俺はずっと夏希の家族だよ」
夏希は静かに泣いた。それから元気になって、いつもよりたくさんご飯を食べた。




